自死の勧め 私マイクの為の「私の自死道」ではなく 「全ての老人の責務」として是非ともと マイクはお勧めします

 

今の日本を駄目にしたのは 老人達である と マイクは 老人をこう断言します

その思いから このHPを立ち上げ 日本特有のサラリーマン社会を批判し 自己中ばかりになった日本をボヤいてきました

 

日本を駄目にした老人達は これ以上無駄に生きるのではなく 罪人としての懺悔と罪滅ぼしを 老人の責務として 自死する そうすべきなのです

死んでから閻魔様の裁きを受ける前に 日本社会を救うべく 早死にを積極的に実践すべきとしか マイクには考えられないのです

それは誰にでも直ぐに出来ることではないのですが そうあるべきで 可能性がある筈だと信じて マイクは真摯に実践の道を探して参りました

そうすべき時は近いのだと焦るほどに 高齢貧困日本社会がもう直ぐそこに見えているのです

 

 

2016.3.11 東日本大震災5年目の今日 マイクの自死道を考えるブログ二つ teacupブログと amebaブログに綴った

長年の纏まりのない思いをここに急ぎ纏めて見なければと思い このHPに 新しいページ作成を始めることにしました

 

 

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そもそも マイクは

2008.3.12 マイクのteacup「腰痛日記」ブログのトップにあるように 死にたくなるほどのヘルニアに見舞われたのです

丁度その時巡り合ったのが自死という生き方 覚悟して逝った哲学者」須原一秀 双葉社 2018.2.1.25初版 です

 苦しんで死ぬ前に 65歳での自死を決めて 実践した哲学者の記録

熟読するに 尊敬できるがしかし 自己中なこの哲学者の安易に自死を勧めるこの本を読み終えると 直ぐに読後批評をすべく

 

2008.3.30 マイクのteacupブログ「自死本 読後感」を立ち上げ その39回の批判書き込みはマイクの死生観を大いに刺激した

(HPの 自死本読後感ページには ブログの纏め)

 

ヘルニアが治まると ブログも休止してしまいました

 

2年ほどして古希を迎えたマイクは 自分の死を考える時期に来ていることを 心身に感じて 流行りとなった終活本を読み漁るようになって それを

2010.4.10から teacupブログ「自死本 読後感」終活本紹介カテゴリーとして 自死本読後感ブログを再継続しました

(HPの 終活本紹介ページに ブログの纏めを)

 

この再スタートの日には この2年間で考え至ったマイク自身の死に方をHPの「私の自死道」のページに載せた事を紹介するものでした

2010.4.10「私の自死道」 酒道として 私の飲み方を考えているうちに考えついたものです

他人に迷惑を掛けたくないマイクは ひとり静かに仙人の様に 酒に浸りながら餓死したいと云う願望でしかありません

 

2010/7/13「私の自死道を 哲学カフェで」 京都の哲学カフェにて 2010.7.9に講演をしたことも

 

メメント・モリそのものは楽しくもあり 考えるうちに発展し私の解脱道と辞世の句」等を考えたりました

しかし実際には家族説得や社会性を考えると そんな死に方は 実現の容易でないことを自覚するばかりでした

 

その終活本紹介カテゴリーで69回を書き込むうちに マイク自身の死に方だけでなく 老人の死に方を社会的に考えなくてはならないと知る

そしてそれは終活本にある単なる死への準備や後始末よりも もっと積極的に自死を勧めるべき事態が迫っているのだと気が付きだしました

 

消極的な尊厳死や安楽死ではなく 積極的な自死を許容する社会になるしか 高福祉に限界が迫る日本社会は存在しえないのです

2012年に 佛教大学ビハーラ研講座で こんなデータを知った

2030年には 47万人の死に場所が無くなると云う厚労省資料

 

老人が社会的な負担になり 自暴自棄老人が当たり前になり 嫌老社会になることは目に見えているのです

命のコストパフォーマンスを考えたり トリアージが医療や介護で一般化し 外れ者が多発するのです

誰が考えても 大方の老人がそう成ることは避けられません 大金持ち以外は

 

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その解決策として

新潮45 2015年11月号に 特別寄稿「医学の勝利が国家を滅ぼす」臨床医 里見清一 があった

新聞広告記事の左側

今後の医薬の進展で 新薬の効用とコスト分析から 今のような手厚い保険福利ではギリシャのようになるか
或いはアメリカのような富豪だけの自由診療にするしかない と結論する

 

里見清一氏が辿りついた現実的な結論は エキゼル・エマヌエル「なぜ私は75歳で死にたいか」をベースにしたもの

75歳からは延命治療を出来なくし 対処治療のみとすべきで 国民の平等と人道から法的に一律に決めるべきだとする

診断は 70歳までに限る理由も述べる

でもどうして75歳なのか また病状や治療を如何識別するのか 専門家がこれから公開で議論を勧めて貰いたい

この寄稿が 社会的な反響を引き起こすものになるよう願ってなりません

 

昔からの知恵としての楢山節考や 70歳で老人殺しの筒井康隆「銀齢の果て」との違いもシッカリ述べている

浅丘ルリ子が主演する映画「デンデラ」の監督天願大介は「楢山節考」の今村正平の長男

『七十歳死亡法案、可決』垣谷美雨 幻冬舎 「老人島短篇集」太田典礼 太田出版(人間の科学社)

(筒井のシルバーバトル法) この中に老人自死容認の『鉄柱(クロガネノミハシラ)』朱川湊人

 

 

しかし欧米で進展している尊厳死や安楽死が 日本で容認されるのを待てないと思うマイクは この法案成立の困難さを感じます

それよりもマイクの発案する安楽死センターの実現に可能性を予感しているのです

 

そんな気持ちのマイクは 2016年8月に 所属するダンスカンパニーKDEが主催したアムステルダム単独公演に参加したのですが

オランダの安楽死事情を調査実感することを目的とし 又そのような国が薬物や売春の自由を容認する根本を理解しようとしたのが参加理由でした

流石のオランダ人の哲学に堪能された滞在でした

 

そのマイクの安楽死センター発想の一つは 赤ちゃん殺しや虐待に対処する赤ちゃんポストにあります

自死を救うには いのちの電話で生きることを説得するだけでなく 死にたいなら死に方を支援をする受け入れが大事なのです

断酒会等の依存症受け入れ機関は 完全断ち切りを前提にする限り 自信があろう筈のない人たちは寄り付けない

 

アルコール依存症を自認するマイクは HPの「私の酒道」のページに 自己管理さえすれば依存症こそ人生の楽しみと説いています

マイクは実際に 断酒会にもこのような指導をして欲しいと申し出た事がありますが無理でした

自死願望者を受け入れるのは 自死の勧めでもありますが 自死の仕方や時期タイミングを指導できます

急ぐべきか またもっとしたいことをしてからにしては如何かを相談できるなら 実際には自死遅延救済として立派な事業になります

 

若者や障害者に自死を勧める事は 今のマイクには出来ません と言うより 考えや判断が及びません

と言うより卑怯にも避けているだけなのです

マイクが考えるのは 終末期老人の延命治療で 保険治療で負担が少ない親族は 殆んどが 医師から迫られて延命を選択します

延命治療で2000万以上浪費するくらいなら 安楽死センターで最期を決める人には500万の健保還付で 楽しく最期を迎えることが出来るようにすべきと・・

麻生太郎副総理兼財務相は12013年1月21日開かれた政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者など終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。
また、「月に一千数百万円かかるという現実を厚生労働省は一番よく知っている」とも述べ、財政負担が重い現実を指摘した。

 

実際にこんなこと位は 赤ちゃんポストより容易な事業です

飛び込み自殺や心中・巻き添え・テロなど 社会的な損失を避けられるのです

綺麗な死に方は簡単で 迷惑掛けず 安上がりに出来ます

赤ちゃんポストは批判を受けながらも立派にやられておられるのです

 

安楽死センター発想のもう一つは 苦しんで死にたくないとかポックリとか云う終活本の発想ではないのです

生前には世間体があって中々楽しめなかったことを 最期には楽しまずにでは勿体ないのではと思い至ったからです

人生にはもやもやとした未練があって 何が何だか分からないまま死んでしまう為に 殆どの方が延命治療を受け入れてしまう

死んでもいいと思えるくらい楽しめることがあれば 心豊かに満たされて楽しく自死できるのではないでしょうか

それをお手伝いする受け入れ先としてセンターが必要だと直感したのです

「私の自死道」を中には ここまでの事は思い至っていませんでした 自分の精神性と自己満足を満たしたかっただけだったからです

 

安楽死センター発想の更にもう一つは 社会的な福祉予算の欠乏です

要らない老人は いやそこまでいかなくとも終末期老人は 不用な医療介護を遠慮して頂きたいものです

その為には 筒井の老人殺し合いや 朱川自死風習や 75歳延命治療禁止(里見法)等を法制化しなければなりませんが 実際的ではない

厚労省の資料グラフの通り 外れ者を早く処理してしまうには 安楽死センターでの楽しい死を保証して差し上げるしかありません

安上がりですが楽しい最期を体験すれば 未練なく自死を選ぶことが出来るでしょう これを貧乏人に勧めて 延命を止めて尊厳死して貰う

その為には センターが楽しんでから自死自決するお手伝いすればいいのです

センター運営費用は 延命治療の健保出費の数分の一で済むので 健保からの還元で為されるべきで その可能性は十分あるのです

先に述べた麻生の本根通りなのです

 

これまでのブログの中で見付けた楽しいこととは事は カテゴリー「楽しい死とは」の170件に亘っています

考え付いたのは エロとヤクとテロでしかありません

そのエロは誰でも望む楽しみかどうか そうと言う自信がありません

ヤクは最期ならやらない手はない そう思うがこれも

テロは 罪滅ぼしになるやり方をしっかり考えなければならず 大変難しいが一番やり甲斐がある これもマイクの思い過ごしかも

 

悩みながらも考えれば考えるほどこれしかない 早死にや無駄に生きない事でしかこれからの日本を救えない

自死は老人の責務 そう思ってカテゴリー「老人の責務」61件で考え続けた

命のコストパフォーマンスを考えることでしか最期は説得できないでしょう

嫌老社会になる前に 自分が痴呆になる前に 懺悔し 責務を果たし 罪滅ぼしをし そして早死にする

 

心身障害者の事にはマイクは卑怯ながら議論を避けてきました

しかし考えることを避けることは出来ませんし 赤ちゃんポストから教えられたように 大いに教えられることがあります

 

マイクは 実践陽明学の石門心学の顕彰会修正舎の会舗で学びながら 中々思いばかりで実践が難しく 実に恥ずかしい

そのような気持ちを 心満たされて急ぐべし 252件に綴っています

 

中々実践出来ぬまま 終わりよければ全てよし 99件 で幾ら語りお勧めしても 誰もが簡単に悟り納得して貰えない

 

それでも 死は個人の責務であることを確信するようになって 死は他人事ではない 2017.2.9 現在38件 継続中

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2017.1.5 家内の弟を19日間の集中治療室でのお世話になった後 親族の了解のもと延命治療を止めて亡くなった

本人の意思を確認することをしなかったことは 尊厳死ではなく 殺人行為にちがいなく マイクは現実にこのようなことが社会で一般化していることを実感した

 

安楽死どころか殺人や幇助が普通に発生しているのです

マイクは弟が 延命治療より 楽に死ぬことを望んでいましたが 彼に死ぬ前に最期にして欲しいことを聴くことも出来ませんでしたことを恥じています

安楽死センターの社会的必要性を信じて考えて来たことが 一挙に崩れてしまいました

 

現実の死は 自分の事であると思い知らなくてはなりません

 

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それでもそのお手伝いをする安楽死センターが必要なのだとマイクは思います   2017.2.19

 

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