「終活本」紹介 「マイク流の楽しい死に方」を考えるために

老人マイクは遠くない自分の死を考え悩み 考え至った自分の死に方を私の自死道として纏めました

しかしもっと我々老人の終末が積極的に楽しめる筈だとの直感を 何れ「その2」として確かめてみたいと思います

 

そのような思いをマイクにさせたのは 「自死という生き方」と言う本に巡り合ったからでした

その読後感はマイクのブログ「自死という生き方」読後感にしましたが そのことで多くのことを考えました

この本の読後感を終えてからは引き続き「終活本」を読み漁り それを紹介しながら考え続けています

 

      2012.7.19    HPの古人のパワーのページに戻る トップページに戻る

 

 

 

私マイクスタンディングの読後感のブログには 刺激的な次の本について読後感を書き込んでいます

「自死という生き方 覚悟して逝った哲学者」須原一秀 双葉社

2008年2月24日の新聞書評欄でこの本を知りました

書評を熟読しただけで共感し興奮しましたが だけど多分マイクにも納得できない言い分があるだろうことを察し本屋へ行ったのですが 1月25日の初版初刷在庫は市内のどこにもなく 2刷版を予約して待って一月後の3月30日からやっと読むことになりました

この本に刺激されて開いた自死本読後ブログは マイクの言い分を4月20日まで一気に綴り続けて終わりました

 

その後マイクは自分自身の死に方を考えるようになり マイクのHPに 私の自死道2010.2.6)なるページを立ち上げました

その頃から自死関する本や老人の終末に関する終活本が目立つようになり これらをも取り上げるべく2年後の2010.4.10からまたブログ再起しました

 

ブログを時系列に並べ直したものを 自死本読後感としてマイクのHPの中に 前半である須原本の部分だけを既に纏めています

そこで今回は その後のブログの後半「終活本」紹介をも時系列に並べ替えたものを 下記のように2010.4.10から作りはじめます

その狙いは 私の自死道をさらに発展させるためで マイクの終末までにはより現実的で可能性の高いレベルの『私の自死道 その2』に発展させたいからです

 

「自死本読後感」ブログ時系列並び替え その2(終活本紹介)

並び替えその2は ブログで須原本の読後感が終了した後2年後に再起したブログを カテゴリー「終活本紹介」としたものです

以下に 2010/4/10の「書き込み」から 順次時系列に転記します

 

2010/4/10 「私の自死道」

この読後感想を書き込み終えて もう2年になる
今もこの本が書店でよく見られるは 多くの人に考えさせるところがあるからでしょう
マイクもその後考え尽くせぬ位のこの本の意味付けに 相当悩み続けました
その結果 そして最近になって マイク自身にも自死についての具体的な姿が見えてきました
それをマイクのHPに 「私の自死道」なるページを立ち上げました

平均寿命に近づき やがて身体や頭が衰え 生きていることに未練が無くなることもあるかも知れない
積極的にそうする積りがなくとも そうなる可能性は否定できない
そうなったときにどうすべきかを考えておくことは無駄ではないと思う

考え込んでいるうちに 死に場所と死に方を考えてしまい 我ながら悦に入ってしまったのです

   白幽子 巌居

「私の自死道」http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm

ここには それらを詳細に記しています
是非とも ご意見ご叱正をお願いします

止められないマイクの酒の飲み方について思い巡らすうちに死に方まで考えついたものです
処で酒の飲み方は「私の酒道」http://mike-st.hp.infoseek.co.jp/syudou1.htm
に お役に立つ酒道哲学を纏めていますので 是非ご訪問ください

また京都芸術センターのボランティア参加企画展で 京都芸大の小山田さんとトークもしました

京都芸術センター「てんとうむし」企画@素振り小屋

 

2010/4/22 「「平穏死」のすすめ」

タイトルのような本を見付けた
「平穏死」 石飛幸三 講談社 には 老衰延命治療の是非を問うもので 医療技術の進歩と 延命主義の自縛によって 多くの人工的死の悲劇が蔓延していることを特老常勤医が自問する
本人も家族も判断できない選択に 延命を怠った医師が責任を問われる法律不備と 家族の何が何でもという要望と 医院の事なかれ主義との間に 多くの障害があると言う
老衰に対する延命の意義に マイクの自死道も 須原自死道も 欠かせない視点の一つとしての意義がありそうです
まだまだか何時か分からぬその時期までに 考えを休める余裕はない筈です
このブログが2年も休憩してしまったのは 不覚としか言いようがありません
マイクと須原の自死道と この平穏死とはかなり違いますが 視点に何か繋がるものがあります
ブログをゆっくりながらも 再開してみます
「平穏死」石飛幸三 講談社

 

2010/5/5 「生田春月は自葬までを」

京都古書研究会の販売会で 「自殺作家文壇史」 植田康夫 北辰堂出版 なる本を見付けた
中に 生田春月なる詩人でもある作家が 自死自葬論を完遂したとあった
若くして自死を決め 最後を船から身投げした
須原さんはこのことをご存じであったかどうかは分かりませんが その後の調べで 色々の自殺本があり 自死を決めた方の記録の多いことを知って 勉強しなければならないようにも思って見たが いざ沢山見つけた古書を買うには躊躇しました
「自殺作家文壇史」 植田康夫 北辰堂出版

 

2010/7/13 「私の自死道を 哲学カフェで」

このBBS410日に「私の自死道」なるページをHPに登録したと書き込んだ
ところがその後 ヒョンナことから 56哲学カフェで 9日に フリーダンサー マイクスタンディングとして 京都ギリシャ・ローマ美術館で そのことを講演することとなった
須原哲学をベースに勉強したこと そろそろ自分の死をシミュレーションすべきと言うマイクの気持ちを伝えました
誰もが親密感を感ずる哲学的な話題だったので 皆さんの色々の受け止め方が分かって 益々の思索の励みになりました
原田造形大教授がマネージするこのカフェに参加できて光栄を感じました
 56回哲学カフェ 講演会
有難うございました

 

2010/9/27 「野坂の安楽死の勧め」

新潮45 10月号

新潮45 10月号 特別企画「"幽霊老人"社会」狂想曲 として 阿部定(今105歳)を追った面白いルポと 野坂昭如が 時に死を考えたまえ 安楽死こそ最高の老人福祉と 熱く語っている
最近 死に方をテーマとする本が沢山目につく
流行りと言うより これから切実に 個々人に迫りくるのです
安楽死は 医療費パンクと共に 必然的に現実に迫ってきます
その前に 個々人が死を自分のものと出来てこそ自立して生きてきたことになるのだと
またヒューマニズムに囚われるのを背け 他人任せにしているのを批判している
強く深い迫った死の現実を見る野坂に感服した

 

2011/1/3「高齢者の処理法」

今年も高齢者マイクに進歩と後退の両方をもたらす新しい一年が訪れました
皆さまにはお健やかな新年を迎えられましたこととお喜び申し上げます
生と死を考え書き込んでから3年になります
個人的な生死の問題で始まりましたが マイクは今 社会的問題として考えることで 自分に迫りくるものを忘れようとしているのではないでしょうか
医療費のひっ迫や カネ次第の最後の死に方選択 容易な安楽死技術の開発と広報などこれからの社会問題化をイメージしています
それにしても 今日の新聞で 交通事故死年間5千人の半分が65歳以上だと言う
事故死する位なら 早めの安楽死をお勧めすべきかを考えるこのサイトの 分かりやすくまた新しいテーマとなるかも知れません
 週刊現代六月二十六日号の紙面

 

2011/5/23 「終活に切実感あるか」

ジュンク堂大阪店に 終活コーナーがあったのは昨年11月だった
お墓の準備に始まり 人生を終える色々の準備についての社会的認識が高まってきた
がらくた整理を意味する「断捨離」と「クラターコンサルタント」は やましたひでこの登録商標らしいが 終活事業の大事な仕事として 最近は身辺整理としての断捨離がはやり言葉になっている
この程度のことは当たり前過ぎて 遊びの範疇で 切実感はあるのでしょうか
終活にはもっと一杯の内容と深さがあり 実践には現実を考察すべき課題が多い
「終活」のすすめ 自分で出来る人生のしめくくり 市川愛 太陽出版
など があるが 自死を扱うにはまだまだ社会の進展を待たねばならない
マイクの「私の自死道」を 友人に理解されることは少なく まして家族には話すことすら難しい
医療費や老人介護などの社会的負担が切実な問題となるのは目に見えている
生きることより死についての哲学は 社会的終活として切実で必須です

 

2011/6/23 「楢山節考がより現実味あるものに」

マイクはこの暑さにこの夏を超えられるか 相当の気力を要すると感じている 梅雨明け前だと言うのに
死を考えることに積極的であるべきではないと言うのが趨勢の今 しかしマイクは考えずにはおられない このけだるく耐えられない暑さに我慢できずに

明後日から浅丘ルリ子が主演する映画「デンデラ」が公開される
70歳を超えて姥捨てされたカユが 捨てられた女の共同体集団に救われ生きる気迫を見る
しかも村への復讐を宣言する彼等集団に反発し・・・
監督天願大介は「楢山節考」の今村正平の長男
このような社会問題の再現を年寄りだけでなく考えるべき時代が確実に来ている
「映画『デンデラ』」

 

2011/6/26「さがしもの」

NHKラジオで「さがしもの」角田光代の朗読を聞いた
「その本を見つけてくれなけりゃ 死ぬに死ねないよ」病床のおばあちゃんに頼まれた一冊を求め奔走した少女の日を描く「さがしもの」なければ化けて出るよとも
未練があれば死にきれないと言い 本当に化けて出たおばあちゃんに人生を導かれると言う共感たっぷりの話
未練で長生き マイクのHPの「私の未練道」にズバリの話でした
http://mike12.web.fc2.com/miren.htm
「さがしもの」角田光代

2011/6/27 「凄い実話」

古本市で見つけた『「自殺」もっとも安楽に死ねる方法』 クロード・ギヨン イブ・ル・ポニエック 徳間書店 1982仏語原書1983訳本 を読み始めて 洒脱にして真髄を究めたフランス実用哲学書と言う感じの凄い本に巡り合ったことを ここに書き込もうとして画像を探していてまたも巡り合った別の記事を紹介しない訳にはいかなくなった

http://plaza.rakuten.co.jp/kameika/diary/200803200000/
みなさん、こんにちは、シャンタル・セビレーです。
昨日、自殺しました。
よく分かりませんが、こんなマイナーな鬼畜ブログながら、日本のメディアに紹介されてまあ、光栄です。
私はフランス人です。
8年前に顔面のガンに罹るまでは教師をしていました。
ガンに罹る前は左下のようなフツウの顔をしていたんですよ。
右側が自殺するちょっと前の写真です。
鼻腔に発生したガンのせいで、すぐに嗅覚を失いました。
やがて鼻梁は3倍に膨れ上がり、眼孔が顔面の横に押し出され、失明してしまいました。
ガンは口内に転移し、味覚も失ってしまいました。
外見がこんな姿になってしまっただけでなく、ガンによる痛みも耐え難いものだったので、合法的に自殺をするために裁判所に「死ぬ権利」を訴えました。
しかし、先日の裁判で私の主張は認められませんでした。
カソリック国家のフランスですから、国家が法的に自殺を認めるわけには行かなかったのでしょう。
でも、裁判の結果がどうであれ、「尊厳のある死」を決意した私を誰も止めることはできませんでした。
お隣のベルギーやオランダでは「死ぬ権利」が法的に認められていますし、スイスに至っては尊厳死を望む外国人を受け入れ、費用さえ払えば医師や看護婦が安楽死のための準備を揃えてくれます。
私には29歳を頭に3人の子供がいますが、家族は基本的に私の意思を理解し尊重してくれました。
人間が生きるということは、生きることを選択することだと思います。
逆に言えば、死ぬことを自分の意思で選択する余地がないようでは「生きている」とは言えないと私は思っています。
まあ、人間、生きてればいいというわけでもありませんからね。
異論のある人もいるに違いませんが、まあそんな人もいずれあの世でお会いしてゆっくりお話しましょうね()


多文化容認の自由国フランスであっても カトリック国であり話題騒然となったこの本と言い 尊厳死を否定されたこの女性のことと言い 哲学がまだまだ熟成していない哲学国フランスを見たように思います
哲学嫌いの儒教国日本にも 安楽死を積極的に受け入れなくてはならない時代が来るのは 姥捨て爺捨てが人口調整のために容認される時代になるもう直ぐ先のように思います

 

2011/11/8 「古来より自死が自然」

山折哲雄の「往生の極意」太田出版を読んだ
高齢化と格差の進む社会での死の有り様を 西行(断食)・親鸞(自然法爾)・一休(隠れ)・蓮如と一遍(念仏)などの往生観から読み解く
古来より 積極的に死を迎えたであろうことを 宗教学者として研究的に論じていて マイクも持論に自信を与えてくれるものであった
マイクは梅原猛や山折哲雄には メメント・モリ(死を想え)と言うばかりでなく 早く思うところを実行してみせるのが 彼らの天命ではないかと思っている
彼らにはまだまだの生に対する欲望が見えてしょうがない
老人の自死は 美しくも自然であるような そのように宗教的方法を 両宗教哲学学者が早くやって示して欲しい
やがて直ぐそのようなことが当たり前になる時代に先駆けるのが彼らの使命なのですから
 山折哲雄の「往生の極意」太田出版

 

2011/11/14 「自殺用品専門店の時代が直ぐに」

 「ようこそ、自殺用品専門店へ」ジャントゥレ

自死が大変容易でない行為である現在 また3万人もいるという事実 そして福祉が国家経済破綻の一大原因であることを考えると やがて世紀末には コンビニで自殺薬が風邪薬などと変わらずに買える時代になるとマイクは予測しているのですが 最近こんな小説を見つけた
「ようこそ、自殺用品専門店へ」ジャントゥレ
ブラックコメディですが マイクの想いにぴったりで 到頭こんな時代が訪れること間違いなしの 予感を後押ししてくれているようです

 

2011/11/17 「人生にけじめをつけることを始末と云う」

山折哲雄80才が 11月8日の書き込みの 「往生の極意」太田出版 に続いて 『「始末」ということ』 角川ONEテーマ21 を書評で見つけた
西行のように ローソクが消えるように死ぬのが理想と云う
葬式はしない
墓は作らない
遺骨は一握りずつ山・海にまいてもらうと思い定めているという

前の書き込みに 人の自死は 美しくも自然であるような そのように宗教的方法を 宗教哲学学者が早くやって示して欲しいと願った
ここまで本にして宣言したのですから 那須一秀の「自死」に習って 実践して欲しいものです
「始末」ということ』 角川ONEテーマ21

 

2011/12/12 「自死本がブームに」

 自殺するのがアホらしくなる本 的場光昭 展転社
毎年3万人もの自殺者を生む異様な国ニッポン。そのうち1万人はマスコミが殺している!
自ら死と向き合った医師である著者が、いかに自殺がバカバカしく割に合わないかを具体的に提示。この本は流行性自殺の予防接種だ!

第1章 自殺のアウトライン(マスコミが殺す一万人;人はなぜ自殺するのか六種類の自殺;自己愛的自殺;自己犠牲的自殺;攻撃的自殺 ほか)
第2章 自殺の予防接種(山上憶良の歌;世の中の憂きたびごとに身を投げば;世をすつる人はまことにすつるかわ;富貴貧賤;死んで花実がさくものか ほか)

WHOでは 自死の報道を抑えるべく決めているが 日本のマスコミはこれに反して煽るとある
下手な自死の残忍さを知らしめることは 誰かがしなければならない
上手な自死は 知らしめてはならないとWHOは言っているのだろうか

こんな本まである
 「自殺の日本史」 パンゲ・モーリス 講談社
意志的に選び取られた死=自死。
記紀と『万葉集』にある古代人の殉死に始まるこの風土の自死史。
道真の怨霊、切腹の誕生、仏教と自死の関係を問う。
『葉隠』『忠臣蔵』に表出する武士道精神と近松、西鶴が描く心中とは何か?
そして近代日本が辿った運命を、芥川、太宰、三島らの作品に探る。
自殺大国の謎を西欧知性が論理と慈愛で描く「画期的日本文化論」。
カトーの「ハラキリ」
自殺の統計学
自殺社会学の歩み
兆候としての自殺
歴史の曙
暴力の失効
武芸そして死の作法
捨身
残酷の劇
愛と死
自己犠牲の伝統
奈落の底まで
ニヒリズム群像
三島的行為
切腹、捨身、心中、殉死する魂の悲愴と高貴はいかにして形成されたのか? ニーチェが言う「隠された道徳の国」の精神の光と影とは? その根底に「生への愛」を発見した西欧知性による透徹した日本文化論

 

2012/2/11 「死にたい老人」

須原本の書評を書かれた「志村建世のブログ」を久しぶりで見ましたら 次のような読後感があったので 転記します
「死にたい老人」(木谷恭介・幻冬舎新書)
 「死にたい老人」(木谷恭介・幻冬舎新書)を読みました。この本はヤップ島への旅に持参した唯一の本だったのですが、グアム島でヤップ行きの便を待つ長い時間に、最初から最後まで読んでしまいました。こういう本が出てくる事情はわかりますが、決して気持のいい読み物ではありません。
 手にとって購入した動機は、これが死ぬための断食の記録だと表紙に書いてあったからでした。人は食べる力を失ったら死ぬのは自然なことで、その場合の死に方は苦しくないだろうというのは、私の基本的な認識なのです。この本に何度も引用されている「人間は寿命に従順であるべきだ」という司馬遼太郎の言葉も、その文脈で私は妥当だと思っています。
 ところがこの著者は、自死の手段として断食を選び、その実践記録を残そうとしたのでした。そして著者は現存しているのですから、その挫折の記録です。修業としての断食は、宗教界には古くからあって、長期の断食の後に地中に居を移し、竹筒で呼吸しながら絶命した後は密閉して、数年でミイラ化するという「即身仏」についての詳しい説明もありました。そういう自死方法の解説書としてなら、どの程度断食すると体重はどの程度減り、意識はどのように変化するかといった記録は参考になります。しかし現代の「死にたい老人」問題の本筋とは、少しずれているように思いました。
 かつて哲学者の須原一秀氏は「自死という生き方」を書き、それを実践した遺作を、遺族と友人が出版したことがありました。この本には、自らの意思で人生を閉じることの意味が詳細に説明されており、読後感は、自らがよりよく生きることを深く考えざるをえなくなるような厳粛なものでした。しかし、これもまた一般的な「死にたい老人」の参考には、なりそうもありません。
 映画「祝(ほうり)の島」
 私が関連して思い出すのは、映画「祝(ほうり)の島」で描かれていた老人たちの会話です。「寝たきりはいかんなあ、島に居られんようになる」「眠って死ねる薬を配りゃいいんじゃ」という、なごやかな談笑の一こまでした。そんな風景に似合うような、老人のための、やさしい指南書は書けないものでしようか。
 断食も、ある限度を過ぎると苦痛がなくなって意識がもうろうとなり、恍惚感をもって死ねるのが実感できるそうです。しかし、それまでに空腹感に責められて食べ物の幻影に悩むようでは、そんな実践をしたい人はいないでしょう。折から老人医学会では、終末医療を見直して、胃ろうの中止も選択肢に含める動きがあるそうです。寿命に従順に、苦痛なく枯れるように世を去りたいというのは、大半の老人の願いでしょう。この問題は、今後も禁忌なく話題にされるべきだと思います。

マイクも同感です
老人用に バイアグラだけでなくLSDがコンビニで買える時代が近いように思えてならないのですが それにはマインドイノベーションと言う難関がをどう越えたらいいのか 考え続けます

 

2012/2/27 「デュルケムの自殺論」

民主主義について調べるうちに デュルケムの「自殺論」を詳しく紹介する関西学院大学のHPがあったので紹介します
詳しいレジメやパワーポイントまである優れた資料です

http://semi.natura-humana.net/2002/bunken/durkheim/index.html
http://semi.natura-humana.net/2002/bunken/durkheim/durkheim-resume.html

ゆっくり勉強したいと思いますが 取り敢えず紹介まで
デュルケムの「自殺論」

 

2012/3/2 「天国で元気な老人?」

【第5回メセナひらかた文化祭】メセナひらかた会館で活動する団体の発表会
日時 3月10日(土)【ステージパフォーマンスday
日舞・バレエ・マジック・大道芸・太極拳など
午前10時00分〜午後5時30分

マイク達のダンスカンパニーKDEは バレー教室 クラルテ・ド・バレーのメンバーに交じって この日公演することになっている
最高齢のマイクは5分間通して ダンスした後に昇天するよれよれ老人を演ずることを決めた
しかし老人も多いと思う観客には何か失礼のような気がしてきたことと 昇天し天国へ昇る老人を よれよれ姿で踊るのか 若返って天国に向かうべきか迷っている
天国へ行っても老人のままなら 天国では楽しめないし 須原さんの言う通り元気なうちに早死にした方がよいことになる

こんな役を演ずることになって こんなことに気付かされて 今悩んでいる
メセナ枚方ステージ

 

2012/3/10 「70歳強制自死法まで8年」

『七十歳死亡法案、可決』垣谷美雨 幻冬舎 なる本が生まれた
『七十歳死亡法案、可決』垣谷美雨 幻冬舎
2020年には 70歳を超えると 30日以内に死ななければならないとか
その時に80歳になっているマイクは それくらいの覚悟で 今から死に方を模索しているのです
ところが2020年には突然70歳で その通りにされてしまうのです
お金持ちは医師にて既にOKになっている安楽死できるが 金がないと自分でせねばならない
コンビニで LSDや青酸が買えるようにもなるでしょう

その為のコンサルティングが ビジネスになるようもう進めないと遅れます
須原さんのような 縊首・首吊りは誰もしたがらないでしょうから
もう直ぐです

 

2012/3/16 「死はどこに向かう」

「どこへ向かって死ぬか 森有正と生きまどう私たち」片山恭一 NHK出版 を拾い読みした
森有礼の孫のパリ留学とそこで孤独に埋も死ぬ心を片山が思い巡らす
美しい死に方を探るマイクには気になるタイトルでしたが フランス文学調の冗長曖昧さがもどかしく拾い読みになった
「どこへ向かって死ぬか 森有正と生きまどう私たち」片山恭一 NHK出版
書評にはシッカリ読み説いている方がおられたので感心しました
http://ameblo.jp/mytec/entry-10764777516.html
若い女子大生には 死はバーチャルでしかないと思いますが 熟読・思考されておられるのにびっくりしました

 

2012/4/13 「孤独死の勧め」

死を積極的に勧める本が次々と出ている
去年の5月23日に書き込んだ『「終活」のすすめ自分で出来る人生のしめくくり』市川愛 太陽出版 もそうですが より具体的になってきていると思います

中でも昨今 孤独死が社会問題化していると言うのに 同じ著者がこれを積極的に扱っている
孤独死の作法 市川愛 ベスト新書
この本は「自死の勧め」そのもので より具体性の高いものです

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一 幻冬舎新書
この本は医療に依らず大往生するのが自然死と言いながら 孤独死の勧めでもあり 「自死の勧め」でもあります

(追記:講演会がよくありお話しをお聞きしましたが 京都の老人施設長ですから 施設での看取りが仕事です)



社会的に孤独死が増えると言う予感はしますが これを自死の勧めと捉えることはあながち間違いでないとマイクは予測していましたが こんなに早く社会現象になるようでは 倫理的バックアップを急ぎ作らねばなりません

2012/4/14 「自死先進国日本が見えませんか」

自殺や孤独死が社会的な問題となっているのに 自死の勧めとも言える孤独死を勧めたりするのは 次のような社会的背景があるからです

厚労省のデータでは 医療費抑制政策の為 今後医療機関で看取られる人は増やさないとする
厚労省のデータ


詰まり財政的に 自宅や介護施設での最後を迎えるようにしすることでしかあり得ないのですが 実際の都市生活者にとって 在宅看護・医療は殆ど現実的ではない
従って 厚労省は責任が取れないとしてその他の死に方を勧めている
具体的にそれが何か 誰も分かっていないが 何となく予感される人が先ほど書きこんだように自死としての孤独死を勧めるしかないと公言しているのです
確実にこのようになることが分かっているのに 終活をせずにいられるでしょうか
人生の締めくくりは その他の方法で 自分でするしかないのです
孤独死や 或いは安全安心な自然死と言える自死の方法を早急に考えなければなりません
今も難しい安楽死・尊厳死どころか 須原さんの言う人工死を容易にできる社会が否応なしにやってくるのです
と言うよりそうならなければ ならないようにするより社会問題になるのです
コンビニで買えるような薬を準備し せめて最後には見たい夢でも見るためのドラッグなども容易に誰でも買えるようになるしかないように思います
その頃は誰もそれを見て見ぬ振りするしかないような そんな殺伐とした日本が世界の先進国呼ばわりされているでしょう

 

2012/4/14 「楽しい死を想え」

もう孤独死が身近なものに そしてまた自死の勧めが実際に社会で流行っている
その為の楽しく死のうなるキャンペーンが既に広がっている
『死支度』 勝目梓 講談社

これは 同人誌巨匠の書く 美的に死のうとするエロ老人の粋でニヒルな小説です

歌詞をよく聞き取っていませんが バンド「雨先案内人」の『楽しく死のう』なる歌をYoutubeで聴けます
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ah0NVWhri_4

死を想え「メメント・モリ」は 死を意識し「生を楽しむべし」であった筈だが 時代は「死を楽しむべし」との発想に変わって行くのでしょう
段々怖い時代が近づいています

2012/4/19 「そろそろ死に際の雑誌」

最近死に関する本が多くなった思っていますが まだ雑誌は出ていないのではないでしょうか
健康雑誌として 壮快 健康365 わかさ

等が出ている

遺言・葬式・墓などの準備や 断捨離など 終活レベルのモノもいいが 一気に安楽死・尊厳死や 自然死の為の終末治療拒否や積極的死など また孤独死孤立死等の時事問題や 話題は一杯あるし 広く大衆レベルで考え哲学する時代が来ているように思います
それには書籍よりも 雑誌になる段階が来ているように思います

 

2012/4/20 「老人ホームでは死にたくないが」

マイクの死に方は 「私の自死道」のページにあるように決めています
老人ホーム嫌いだからでもありますが お世話にならないとも限らないので そこそこ調べてみましたが複雑多様でなかなか分からない
次の本を読んでみたいと思い調べました

老人ホーム選びは他人にまかせるな! 本岡類 光文社新書


特養入所は平等なんて大ウソ」「有料老人ホーム見学会のちらし寿司にだまされるな」「デキる老人は長期泊まって選ぶ」「特養は情と利で攻めろ」など、不幸にならない終の住み家の選び方のコツを、作家でかつ介護ヘルパー2級の資格を持ち、介護施設で時給850円で働いた経験もある著者が指南する。人はなぜ、介護施設選びに失敗するのか――高齢者施設選びというジャングルを踏破するために知っておきたい落とし穴や、介護施設側のタテマエとホンネの見分け方、介護施設見学ツアーの楽しみ方&利用法、1週間の体験入居と見学「裏コース」のすすめ、などなど、使用者目線と施設側の目線を持つ著者ならではの知識が満載の1冊。

目次
プロローグ 「よい老人ホーム」なんて、存在しない?
第1章 特養入所合格への傾向と対策
第2章 ああ、有料老人ホームめぐりのバスは行くよ
第3章 介護迷路で使えるナビ・システムはあるのか
第4章 有料老人ホーム選びには「お見合い」を応用せよ!
第5章 1週間の体験入居が、命運を決める
エピローグ 「終の住み家」は2度分けできないのか

2012/5/2 「23%もの自死願望経験」

今日の新聞記事に 「自殺したいと思ったことがある」人が成人男女の23.4% とある
内閣府の2日付け発表「自殺対策に関する意識調査」で 08年調査より4.3%増えたとも
実際に自殺する人は毎年3万人(成人の0.03%つまり3000人に1人)(願望者1000人に1人)で 殆どの皆さんは乗り越えられたか 怖くて死を思いとどまったのです
マイクの予言するように安易な死に方が一般的になれば自殺者がどんどん増えることになるのですが 殆どの人は悩みながらも健全な精神力や 人間関係で救くわれるので そのような社会作りが何よりも先行することが前提です
それにしてもこんなに寂しい日本になってしまったことを如何嘆いたらいいのでしょう

 

2012/5/2 「もう直ぐ人口100億 死なない百寿者増える」

ニュートン2012.6月号は 国連予測2083年に100億人時代となることを特集している
 ニュートン2012.6月号

マイクの生まれたころは20億 学生時代は30億人 今は昨年10月の70億人に爆発
日本も維新のころの3千万から一気に増えた
科学と経済力がもたらした爆発も 有限地球からの抑制が働くのでアジアも2053をピークに減少する(アメリカは増え続ける)
次第に人口横這いの多産多死から 少産少死で人口減・高齢化の時代になる
直ぐ先の孫の時代は確実に定員以上に溢れるアジア世界の影響を受けて 世界も日本も資源利用体制は激変し生活が抑制される
65歳以上は1990日本で13%から 2010で23%(ヨーロッパ17%) 2050で39%(27%)になる
平均寿命は2010は82.7歳 2100は92.3歳になるだけでなく 100歳を超えると死亡率が下がると言う事実があるとか
これが何をもたらすか 老人は良いにしても孫たち若者は堪らない世の中に確実になる
こんな心配を考える必要はないのでしょうか

 

2012/5/3 「アメリカ人の自立死の勧め」

アメリカ人の自立マインドは 子供に頼らない自立死までも 個人的にも社会的にも確立していると言う
自立マインドに欠ける体質のために 孤独死を防ぐ自治体や民間の社会体制が生まれない日本では実現できないのです
ひとりで死んでも孤独じゃない」矢部武 新潮新書 はそう言いながら 孤独死のない自立死日本を夢見る

西田幾多郎・児玉誉士夫・芥川龍之介・太宰治・江藤淳の大往生・殉死・暗殺・自殺等の先人たちの死の様相を眺め 味わい 思いを致す

福田和也『死ぬことを学ぶ』新潮新書も参考に
ひとりで死んでも孤独じゃない」矢部武 新潮新書 
死に方読本乱立しています

 

2012/5/5 「まだまだある終末本」

死ぬ権利はだれのものか 西村書店 (2012/1/20) William H. Colby

医療技術の発展と終末期の法的問題を扱う真面目な今となっては古いタイプの本ですが 著者自身の死の準備についても語り 意思表明書を作るべきと説く今年翻訳出版の本
生き方著作よりも 死に方本の方が多くなったのではと思ってしまう
死に方本を見付けてはここに紹介しながらニタニタしているように思う
自死願望でもないのに何故か安心する

 

2012/5/11 「ほたえ死に 絶賛」

 永江朗「広辞苑の中の掘り出し日本語」バジリコ
この本は「辞書を読むもの」と云い 言葉の中に見た思いをエッセーとしている
「心」は「うら」とも読み おもてに見えないものとしての 心と思いだと言う
うらさびしい・うらさびれる等も語感が一致する

著者は「のんき」を生活信条にし「ほたえ死に」とは「遊び暮らして死ぬこと」で 理想の生き方・死に方だ」と絶賛しています
マイクが調べた直訳は「ふざけた行いをしたあげくに死ぬこと」です
また「ほたえる」は ふざける・つけあがる の関西弁

現実には 生き方としては難しいが 死に方としては最後なのだから甘えが許されるでしょう
須原さんの死に方やマイクの自死道も ほだえている積りはないのですが 著者から見て理想なのでしょうか

 

2012/5/15 「愉しく逝くとは」

 愉しく逝くための帯津流養生訓 帯津 良一 PHP
「死に直面して後悔しないように、いきいきと、ときめきに満ちた「攻めの養生」で気持ちよく生き、その日が来たら、いさぎよく愉しんで逝く……そんな人生のための指南書です」

愉しく 元気な 食と体と心の養生を語ってはいるが 死に方は
死を受け入れた人は よりよく生きようとする
ダラダラ生きていると よりよく死ねない
とか言いながら 生き方養生訓ばかりです
どういう死に方をしたいかを考えておく
との章があったが 居酒屋でばったり行きたいと言う程度のモノでした

 

2012/6/1 「寝たきりが7年と言う!!」

平均で6.1年 女7.6年間の寝たきり生活を送るとはびっくりのデータである
これからは このようになっても行く先がない時代になると 先の414日のこのブログの書き込みのように厚労省が宣言しているのです
怖く辛い時代がもう直ぐ現実になります
死に時を早めに考えておくべきと著者は語っていますが その前に死に方を早めに決めておくべきだとマイクは思います
「日本人の死に時そんなに長生きしたいですか」久坂部羊(幻冬舎新書)
何歳まで生きればほどほどに生きたことになるのか?長寿をもてはやし抗加齢に踊る一方で、日本人は平均で男6.1年、女7.6年間の寝たきり生活を送る。多くの人にとって長生きは苦しい。人の寿命は不公平である。だが「寿命を大切に生きる」ことは単なる長寿とはちがうはずだ。どうすれば満足な死を得られるか。元気なうちにさがしておく「死ぬのにうってつけの時」とは何か。数々の老人の死を看取ってきた現役医師による死に時のすすめ。

 

2012/6/7 「簡単ではありません在宅死」

またまたこんな本がある
「在宅死のすすめ 生と死について考える14章」網野 晧之 (幻冬舎ルネッサンス新書)
私たちが生きるために決して目をそらしてはならないのが死である。人生の終局においては、野生動物と同じように、人間も死を受容し死に場所を見つけようとする。死に向き合い、病院や施設ではなく、自分が生きてきた自分の家で穏やかに死の到来を待つこと。さらに、見送る家族も周りの者も満足することこそ、誰もが望む幸福な死のかたちであると説く一書。
もうひとつ

「家族を看取る心がそばにあればいい」國森 康弘 (平凡社新書)
看取りの形はそれぞれ違っても、家族を大切に思う気持ちは必ず伝わる。そんな看取りを実践している柴田久美子と「なごみの里」。彼女たち「看取り師」への丹念な取材から、看取りの知恵と、看取ることの意味を探る。旅立つ人のためだけでなく、私たち自身のための「看取り」。
これもまた 在宅死を安易に勧めている様です

マイクはマイクの事情があって マイクの在宅死はほぼ不可能と悟っていますので 看取られずに死ぬ方法を自分で考えざるを得ないのです

「枯れるように死にたい「老衰死」ができないわけ」田中 奈保美(新潮社)
医療が終末期高齢者の死を先延ばししている?実情の取材を始めた著者が見たのは、鼻や胃に通した管から栄養を送られ、ただ時を過ごすお年寄りの涙だった。その矢先、96歳の姑が脳疾患で倒れ、意識不明。担当医には当然のように人工栄養を勧められるが。「人間らしい最期」の在り方とは?人工栄養という延命治療が高齢者から自然な最期を遠ざける。家族と自分のためにいま、知っておきたいこと。

マイクはこの本のような消極的死ではなく 積極的な死についても これから考えようとするのが「焦りのマイク」なのです
老衰死できる人は羨ましい
4
14日の書き込みの厚生省のグラフのように 在宅死できる人は希少なのです
もう一度グラフを見て考えてください

 

2012/6/9 「ラジオで終焉をテーマに」

ラジオ深夜便は 毎晩 悩み多く眠れぬマイクの癒しと刺激になっています
今朝の4時の心の時代は 京都大学・こころの未来研究センター教授 カール・ベッカーさんが 「理想の終焉」を見つめてと題して 理想的な死に方を語られた
真面目な学者さんらしい用意周到な準備を勧められていて 周りに迷惑にならない様にと色々考えておられましたが 元々日本人が持っていた気の遣いようを失ってしまったのではないかと嘆いておられた
 NHKラジオ深夜便

 

2012/6/11 「色々と 死に支度あり」

中村メイコ「人生の終いじたく」青春出版社

一寸古いが読書評論の 志村建世のブログ 2010.12.17 に 役者としての自由人を通したメイコらしい内容を紹介していた
 ですから一般の人が参考にできる「人生の終いじたく」とは少しずれています。「私はこんなふうに生きたから、こんなふうに死ぬつもり」の宣言というか、この際覚えていることを忘れないうちに全部書いて置こうという、豪快な「言い残し」に近いように読めました。

マイクの参加する元の会社のOB会の一つに 「げんき会」と言うのがあり その会の大先輩は いつも楽しく参考になるブログを書いておられる
昨日の日記には この会の次の10月6日に「死に支度」と題する約1時間の講演をすることになっておられるので 図書館で何冊かの参考文献を借りてきて 原稿のワープロを開始しました とありました
この本など マイクの「死に本紹介」のこのブログにあるピッタリの本等をお教えすべきかどうかと考え込んでいます

 

2012/6/12 「医療的ケア法制度にびっくり」

重い障害や病気・高齢で 痰の吸引や胃ろうからの栄養注入などが必要な人が増えたため 医師・看護師だけの医療行為の一部が 介護福祉士や研修を受けた介護職員にも認められるように今年4月 医療的ケアとして法制化された
 医療的ケア
障害児・者で1万人 難病の成人で2万人の医療的ケア対象者がいるとい言うが 高齢者の胃ろうだけでも60万人もあるだけでなく 毎年10万人増えていると言うからビックリ
研修の地域格差やグレーゾーンの実態などの問題を抱えながらどんどん増える医療・福祉ビジネスなのです
文科省は養護学校で必要な現場で先行させていたので 厚労省は法制化で迫ったのです
厚労省の看取り場所2005年予測通り 医療費抑制のため医療機関が増えず でも介護施設でも看取られないない「その他」で死を迎える筈の多くの人を 介護施設や自宅の医療的ケアで看取らせようとする政策なのでしょうが 介護施設はどんどん増えて しかも金蔓を大事に扱うべく 少しでも看取りを遅らせようとケアに頑張るでしょうから 末期高齢者も安らかには死ねないでしょう


2012/6/18 「山折哲雄 死を語る」

老人の死に関する本が斯くも多くなったことを紹介するシリーズとなったこのブログで 2011.11.8『往生の極意』と 2011.11.17『「終末」と言うこと』 の山折哲雄の最近の本を取り上げた
これらの前に 200978歳の宗教学者も次第に死を考えるようになった走りの本があります
87
歳の梅原猛は 安楽死や臓器移植について語っているが まだまだ自分の死について殆ど語っていないのに
わたしが死について語るなら (未来のおとなへ語る) 山折哲雄 ポプラ社
「死の問題を考えつづけることは 生きることの意味、命の大切さを知ること」
著者は冒頭でこのよう問いかけます。
みなさんが、いよいよ最後の秋(とき)をむかえようとしているとしましょう。そのときみなさんは、衛生的で空調のよくきいた、近代的な病院の一室で逝きたいと思いますか。それともわれわれをとりまく自然にふれるような環境のなかで、多少の暑さ寒さには我慢するとして、風のそよぎや川のせせらぎの音をききながら、そして小鳥のさえずりを聞きながら、そのときを迎えたいと思いますか。どちらを選びますか。
この私の問いに驚くべきことに、ほとんど全員の方が、自然のなかでこの世との別れを告げたい、と答えられたのでした
如何に生きるか、どのようにして生きるかという側面ばかりに関心を集中してきたのが、気がつくと死の問題をめぐってすでに大きな転換期に差し掛かっていたのです。
死をどうとらえ、考えればいいのか。
著者は自らが遭遇した死についてまず語り始めます。祖父の死、母と父の死。そして、父の死後、親鸞が流罪にあった佐渡で夕日を眺めながら、海のかなたに浄土を感じ、深い感動を覚えます。
「死の影」が家庭から学校から地域から追いやられ、覆い隠されるようになり、ヒトは必ず死ぬ存在である、というしごく当たり前のことを見て見ぬふりをするようになったのではないだろうか、と考えてきた著者は、本書で日本人の死生観を日本の古典を読み直すことで、もう一度考え直してみることも提案しています。
「平家物語」の無常感、宮澤賢治の死生観、金子みすずの詩に込められている死の世界。。
そして、「万葉集」「源氏物語」で描かれている深い死の影。
人生80年の時代に入り、生と死の間に病と老いの難問を抱えることになった現代において、「死」の問題をどう考えればよいのか。
その糸口を、本書は平易にそして奥深く語ります。


日本人と「死の準備」これからをより良く生きるために 山折哲雄(角川SSC新書)
「愛する人を看取る、愛する人たちに看取られる」これからの死生観がこの1冊で変わる!2部には浄土宗総本山知恩院発行機関誌『知恩』と佛教大学四条センターの共同企画、よく生きるための『死の準備』講座から6人の講演を採録。

 

2012/6/19 「永六輔は死も冗談ぽく」

奥さんを亡くして間もない頃に 死についての講演を聞いた
男は妻が死んだら3年 女は夫が死んで15年生きると言っていたが 死をエッセーのネタにして今なお頑張っているが どれも中身は軽い
「死に方、六輔の」永六輔 飛鳥新社
死を想え、死を笑え! あの世とこの世の摩訶不思議、その時を迎える心得と作法、自分の生き様を整理整頓、お迎えが来るその日まで。死がどんどん怖くなくなる、ロクスケ流、この世と笑ってサヨナラする方法。

「大往生」永六輔 岩波新書
人はみな必ず死ぬ.死なないわけにはいかない.それなら,人間らしい死を迎えるために,深刻ぶらずに,もっと気楽に「老い」「病い」,そして「死」を語りあおう.本書は,全国津々浦々を旅するなかで聞いた,心にしみる庶民のホンネや寸言をちりばめつつ,自在に書き綴られた人生の知恵.死への確かなまなざしが,生の尊さを照らし出す.

奥さんの死についての本等 色々と多いが 死を冗談ぽく済ませられるのには恐れ入ります

 

2012/6/19 「死より痴呆が怖い」

厚労省は 在宅ケアを認知症まで強化すると 今朝の新聞にあった
2008
年の認知症入院患者が7.5万人いて 内68%5.2万人が精神科で それも1996年の倍増と言う
しかも半数が退院や在宅できない社会的入院とも

死に場所のない つまり看取られ場所のない老人の死がこれから増えると言うと時代なのですので 自分の死に方・死に場所を今のうちに考えておかねばなりません
しかし痴呆になれば自分ではどうしようもないにだけに 認知症には絶対なりたくないと思っていますが どうなることでしょう
死より怖い認知症だとマイクは恐れています

 

2012/6/19 「痴呆の可能性と老害」

痴呆の惨めさを心配して サイトで現実を少し調べてみた

我が国の認知症患者は240万人(65歳以上有病率14%で 410万とも言われる)
出現率は 60歳以上では1% 70歳以上は10% 80歳以上では20% 90歳以上なら50%にもなる
年間発症率で見ると 65歳以上で12%で 75歳を超えると急に高まり6569歳では1%以下だが 8084歳では8%にも上る
終末期医療費が全老人医療費の20パーセントを占めるとか 一生の医療費の半分を死の前2ヶ月で使うとされているが 認知症は簡単には死なないので社会的に歓迎されない筈です

こんな現実を受け止め 85歳を過ぎると4人に1人は認知症になるのだから 認知症になる心配のなかった昔のようになるには 70代で死ぬべしと唱える長谷川和夫専門医の提案を巻頭に挙げている本があった
「老害: 子ども世代は逃れられない」佐藤 ゆかり・グループわいふ ミネルヴァ書房
高齢者だって生まれつきの性格にしたがって生きている。ただし、若いときよりも強い個性となって。高齢者が増えるとともに、多くの家庭を襲う「老害」は、もはや「年をとれば頑固になるから」「当事者でないとわからない」などの一般論ではすまされなくなっている。本書は、インタビューで得た8つのエピソードから「老害」の諸相を描いた話題作。

 

2012/6/20 「さらに痴呆について」

認知症の妻を介護中で 認知症に30年余関わる老年科医の「認知症あれこれ、そして」と言うブログがあったので 2011.8.23の記事の一部を転記します
http://alzheimer.at.webry.info/201108/article_11.html
一昨日21日の毎日新聞オンラインの社説「5大疾病 新時代の精神科医療へ」誰が書いたのか知りませんが、やや常識的な社説ですがこの社説のなかの最後に以下の文があります。
「現在の精神科医療の問題も指摘しないわけにはいかない。精神科の病床数は約35万床で全病院の2割、平均在院日数は300日を超え、世界的に突出している。精神科病床の医師数は一般診療科の3分の1でよいことが安易な長期入院の温床になってきた面は否定できない。近年は社会的入院が減る傾向もあるが、空いた病床は行き場のない認知症の高齢者が埋めている。人手をかけず薬を多剤大量投与する治療方法も相変わらず問題とされている。
弊害は大胆に取り除き、新時代の精神科医療を築かねばならない。」

専門家であり 患者家族として 切実に考えておられるので マイクもこれから丁寧に読んでみたいと思います
詳しく勉強出来る立派なHPもありました(三宅貴夫 認知症なんでもサイト)http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm
三宅貴夫 認知症なんでもサイト

 

2012/6/20 「もっと確かめたい痴呆の権利」

昨日紹介した「老害」の巻頭にあった 認知症予防には70代で死ぬべしと言った長谷川和夫さんを調べてみました
認知症介護の研究者としての83歳の長老で 多くの書籍で介護の実際を述べているが 医療と介護家族の面から述べているが 本人の立場からではないように思う
70
代で死ぬべしというのは確かに本人の為に言った言葉でしょうが どんな死に方をすべきか 誰が手伝うべきかとかの具体的な話はされていないようで 一寸無責任な気がします
70
代で・・の言葉はあるインタビューでのことだと http://koureishajutakuacchi.com/ にありました
痴呆本人の生きる権利 死ぬ権利について 実務者としての考えを聴きたいと思いました
尊厳死・安楽死・人権などの考えがまだ未熟な時代の実務者の研究のままではないかと思ってしまいましたが 失礼でしょうか
認知症ケアの心ぬくもりの絆を創る 長谷川和夫 中央法規出版
認知症ケアにおいて最も大切なことは。認知症の人と向き合って40年。長谷川式認知症スケールの産みの親にして、認知症ケアの第一人者である著者が初めて語る認知症ケアの本質。
認知症の知りたいことガイドブック最新医療&やさしい介護のコツ 長谷川和夫 中央法規出版
病気の原因、困った行動への対応、認知症になった人の気持ち、介護保険サービスなど、わからなかったことが、よくわかる。認知症をもっとよく知るための、図表・イラスト満載のガイド。認知症Q&A付き。
認知症家族はどうしたらよいか 長谷川和夫 池田書店
認知症の人とそれを支える家族が、介護というストレスが溜りがちな毎日のなかで、少しでも笑顔で過ごすためにはどうしたらよいか。この本には、具体的な介護の各場面でお互いの負担を軽減する対処法が書かれています。
やさしく学ぶ認知症のケア 長谷川和夫 永井書店
認知症の人の立場に立ったケアを目指し「わかりやすく」「読みやすい」介護する家族とケア専門職の方々のための必携の書。

 

2012/6/20 「痴呆にも尊厳死」

痴呆にも人権をと考え続けていると 今の日本で 認知症高齢者人権擁護法が話題になっていることに思い至ったが これは虐待や財産管理の問題についてであって 生きる死ぬとかの人権までは取り扱っていません

ところがサイトで思いめぐらしていますと 『ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」』 と言うブログを見たので紹介します
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65062079.html
尊厳死が合法となっており、すでに「安楽死後臓器提供」が行われているベルギーで、知的障害者、すべての子どもと認知症患者に安楽死を求める権利を認めよう、との声が上がっています。・・・・ちなみに、隣国オランダでは去年3月に認知症が進んだ女性の積極的安楽死が行われたことが明らかになっています。

安楽死先進国は そのようになることを考えるべきと教えてくれています
尊厳死もままならない今 安楽死は殺人視されている
痴呆の尊厳死や安楽死は 差し迫った社会問題になるでしょう
サイトでは色々論議されていますので マイクも考えてみます

 

2012/6/21 「マイクの生前葬」

痴呆の尊厳死をこの日本で誰が責任を持って対応すべきか
ベルギーやオランダの様な哲学者がこの日本に現れるのはまだまだ先の話でしょう

この2324日に京都木屋町のライブハウスで3回のダンス公演をするカンパニーKDEの仲間としてマイクも出演する
「天晴式」と題した流れの中で マイクの「生前葬」を取り上げ マイクはロボットダンスのソロをする
日頃死に場所・死に方のことを語る老人マイクにこんな機会を作ってくれたのは若い演出家の思いやりです
それぞれの人生には四季も始期も死期もある
セレモニーのフルコースの一つとしてマイクにこの役を任されたのですが 考え至らず振付に苦戦していますが 本番には何とかしたいものです

マイクも振付の覚えが悪くなり 年々痴呆に近付いているのではないかと実感し懸念しています
何を隠そう マイクがこの歳でダンスをしているのは 1974年に出来た長谷川和夫式の痴呆判断基準に頼るのではなく 自分で自覚しておきたいからです

 

2012/6/25 「痴呆の意思表示カードは有効か」

今朝の新聞に 本の論評で優れたブログを書いている 生命哲学の森岡正博が 話題のニュースになっている6歳未満児の臓器提供に 本人に同意なき事では正当化できない筈と 強く反対意見を載せていた
6
歳児の権利を親に任せてもいいのかとの問い掛けです

さて同じように森岡ならば 痴呆の尊厳死や安楽死の権利を親子兄弟に任せられないと言うでしょう
脳死ではなく確実に生きているのに 健常とか正常とも言えない痴呆の方かたからも同意は得られない筈です
それも死なせると言うこと等 絶対犯罪と言うでしょう
痴呆には尊厳死も安楽死も意思表示カードも許されないと言うでしょう

彼は 本人の立場に立って考えてみるべきであり 他人の手を掛けられるべきでないのは 命と言うものが神聖で絶対的な権利だと言っているようです
しかし如何してそのような権利が正当であるかを語ってもいないし 余り哲学的ではないようにしか思えません

「脳死の人」「生者と死者をつなぐ」等の著作がありますが 本物の哲学者かどうかと思ってしまいました
哲学者ではなく宗教者なのです
「生者と死者をつなぐ」森岡正博 春秋社

2012/7/5 「死に本いっぱい」

「死に本」に巡り合う機会がこんなにもあるのは 死に掛けの人がどれほど多くまた切羽詰まっているかと言う世情の証でもあります
これから図書館で借りた本4冊を紹介します

初めの3冊は何れも 死の準備本ですが 切実感に掛けるのはこれからの厳しい世情を理解していないか 今現在死が切羽詰まっていない著者達自身の 他人事のように思われます

最後の本は 信心深いマイクの思いを確かめるに相応しいもので 死ぬ前にはこの世での善行を尽くすべきことの勧めであるように思い シッカリ読んでみようと思います 

「おひとり死」 誰にも迷惑をかけない最期を迎えるために 松原惇子 河出書房新社
「孤独死」「無縁死」……家族がいても誰もが最期はひとりになる可能性のある現代、安心してひとりで死を迎えるための準備とは。ネットワーク作りから終の住処選びまで、具体例を交えて紹介。

「おひとりさまの終活」自分らしいろうごとさいごの準備 中沢まゆみ 三省堂
著者が提唱する「おひとりさまの見守り10か条」
@
健康は日々の備えから
A
かかりつけ医をつくる
B
介護保険制度を知っておく
C
行政と民間の見守りサービスを知って使いこなす
D
遺言やリビングウィル(事前指示)を書いておく
E
緊急医療情報を用意しておく
F
在宅医療について知っておく
G
成年後見制度を知っておく
H
無縁よりも多縁。頼れる仲間をつくる
I
健康状態に合わせた、自分仕様の見守りネットをつくる

「死にゆく者の礼儀」遥洋子 筑摩書房
第1章 老いを観察する(男女の老いはこうも違う
なぜ年寄りは騙されやすいのか ほか)
第2章 いよいよ介護の老い(その命、誰のもの
一人が寝たきりになると介護は何人必要か ほか)
第3章 死への果てしなき老い(病と闘うか、医療と闘うか
家族が決して味方ではないと知る時 ほか)
第4章 老いを先取り、今に生かす(ついうっかり歳をとらないために
老いは気づいた者勝ち ほか)

「死者たちの物語」『飢餓事経』和訳と解説 藤本晃 国書刊行会
前世で悪業をなして餓鬼界に生まれた者すなわち幽霊が、人間の前に姿を現わして悪因苦果の因果応報を自ら証明する。善事と功徳廻向の大切さを明かすインドの古語パーリ語による経典「餓鬼事経」全51話を和訳し、解説を付す。

 

2012/7/7 「老人の自死練習」

大津の中学生が 「自殺の練習」をさせれたりしたイジメで自殺したことが紙面で話題になっている
大津市教委が いじめた側にも人権はある。自殺の練習をさせてたかなんて本人に聞けない。」等 驚くような醜い事実がいっぱいあって 2チャンネルなどで騒がれています
佛大原教授が 市教委は加害者と被害者の双方を守らねばならないのとか イジリとイジメの境界がはっきりしない難しさがあるとかのコメントしている
学者は無責任にも加害者側と市教委を堂々と擁護している
その学区の知り合いから聞くと 加害者の親はPTA会長で 祖父は警察の偉いサンだったらしく お廻りも触りたくないらしい
こんなことが近場であるなんて恥ずかしいので 徹底した追及を願いたいものです

若者の死と違って 老人の死は身近なのですから老人こそ「練習をすべき」ではないかと言うのがマイクの気持ちです
突然やってくるのとは違って準備や練習の期間が十分ある筈ですから 自分で選択できる好ましい死に方を前もってシュミレーションしておきたいと思います
これまではそのようなことを話すと馬鹿にされたりしていたのですが これだけ老人の死の準備のための本が出てくると 身近なものに誰もが感じてもらえるようになるでしょう

今回の自殺練習に習って「老人の自死練習」という言葉は余りよくないが 考えるきっかけになるかもしれません

 

2012/7/10 「ラジオ深夜便で終活が話題に」

昨夜のNHKラジオ深夜便〔ないとエッセー〕で 「人生のエンディングをデザインしませんか」司法書士&作家 安田依央(イオ)が4回シリーズで始まった
NHKも流行りには敏感です
深夜便ファンのマイクは 欠かさず聴きたいと思います

相変わらず 「死に方本」が次々と現れます
「良い死」立岩真也 筑摩書房
たとえば病気のため、あるいは老衰のため、体が思うように動かせなくなり、自分を、生きる価値のない存在だと思ってしまう。そこから、尊厳死のような「自然な」死を選ぼうとする人も出てくる。しかし、「どのようであっても生きていけたらよい」と考えるなら、こうした死を法制化する遙か手前で考えるべきこと、なすべきことはたくさんある。ただ生きて存在することを妨げるこの社会を、「生きたいなら生きられる」社会へと変えていくには何が必要か、その方途を粘り強く探る。

 

2012/7/10 「死への準備教育を説く」

昨晩 ラジオ深夜便を聴きながら一気に読んだ次の本は大変しっかりした立派な本です
現場の従事者と哲学者の観点からコラボして書かれた優れた本です
「死への準備教育」の必要性を説き ユーモアの潜在能力を伸ばすべきと言う文化的側面まで 参考になることが一杯あった
死に方の意思決定の方法論などに刺激され まだまだデンケンdenken・シンクthink必要と感じ また有り難くdanken・thankを感じました
「人生の終わりをしなやかに」清水哲郎 アルフォンス・デーケン 浅見昇吾 三省堂
高齢社会化とともに「終末期医療」や「良い死の迎え方」への関心は高まっている。人生の終わりをしなやかに生きるために、在宅ケア医、死生学や哲学の研究者など7人が、具体的な心得と考察により終末を生きる意味と方法を問う。
詳細はhttp://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen4lit_etc/renzlsn_jinsendsina/を覗かれたらと思います

現場の観点から書かれた本を調べると更に一杯見つかりました
「ケア従事者のための死生学」清水哲郎 島薗進(ヌーヴェルヒロカワ)
「どう生き どう死ぬか現場から考える死生学」岡部 健
「医療現場に臨む哲学」清水 哲郎
「死ぬ瞬間死とその過程について」エリザベス キューブラー・ロス(中公文庫)
「医療現場に臨む哲学〈2〉ことばに与る私たち」清水 哲郎
「死を見つめる心」 岸本 英夫 (講談社文庫)
「死生観を問いなおす」 広井 良典 (ちくま新書)
「大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア」(信濃毎日新聞社文化部)

 

2012/7/11 「死を楽しめたら」

自殺の練習・葬式ごっこ(大津事件)の当事者の保身隠蔽体質丸出しに呆れ返っている
あれが自殺でなく他殺であることを理解できないようでは人でなしと言うしかない
殺人擁護が罷り通る世の中に 何事も自己中な我々皆がしてしまったのです
だからと言って 我々老人の自死やその準備・練習までを同じに悲観的・否定的に考えたくはないとしきりに思う

マイクのもう一つのブログ「腰痛日記」は 死にたいくらい痛かったヘルニヤに少し余裕ができると 身障者でしかない状態の今が人生で最も充実した知的生活ができていることを自覚し ヘルニヤを楽しんでいると宣言しました
本当にそうだったのですが 治った今はヘルニヤにはもうなりたくはありません

死についてのユーモアを説く昨日の本を読んで このことを思い出し 昨夜は夜な夜なラジオ深夜便を聴きながら思い至ったことは 「死を楽しめるかも」と言うことでした
老人は一度きりの最後を 楽しめたら最高ではないか
メメントモリ(死を想え)Think your death と言うよりもっと積極的に死に接するために ユーモアを持って これから死を考えてゆきたいと遅まきながら思いました
死を楽観的に受け入れられるよう もう少しの修行が要るようです

それには先ず昨日の本の作家の一人 死の準備教育とユーモアを説くデーケンについて調べてみる必要があります
1932
年ドイツ生まれ 上智大名誉教授 著作が一杯で 6枚組CD「死生学のすすめ」まであります
http://www.alpha-chiba.com/tusin/tusin18.html
 にある成田日赤記念講演が参考になります
「ユーモアは老いと死の妙薬」アルフォンス・デーケン 講談社(1995
死への思いが深まる時、表裏一体である生の尊さは重みを増し生の喜びは輝きを増すだろう。
心安らかに死を迎えるための処方箋。自らもガンと闘うデーケン先生の、ユーモア溢れる魂のプレゼント。

「よく生き よく笑い よき死と出会う」 アルフォンス・デーケン 新潮社(2003
身近で大切な人を亡くした時、自らの死に直面した時、どうすればいい?「死生学」を教えて40年のデーケン先生が、自らの体験も交えやさしく話す、「死」を乗り越えるための大切なヒント。
「生と死の教育 (シリーズ教育の挑戦) アルフォンス・デーケン 岩波書店(2001
死の意味を考えることから,生きること,他者とともにあることの意味が見えてくる.人生における「死への準備教育」の必要を永年提唱してきた哲学者が,いま教育現場への導入を緊急提案する.身近にある死をタブー化せず,「生と死」の問題を日々の教育の中で考えていくことこそが,子どもたちにとって必要ではないか.
「新版 死とどう向き合うか」アルフォンス・デーケン NHK出版(2011
身近な人の死、いつかは訪れる自分の死。この世に生を享けたすべてのものにとって、死は避けられない。だれもが直面する「死」をどう捉えて生きていくのか。「死への準備教育」の普及に努めてきた著者が、半世紀にわたり深めた「生と死の思索」を平易に語る。

 

2012/7/12 「私の自死道もユーモア」

昨日の「死を楽しめたら」がこれからのマイクのテーマとなりそうなので 早速アマゾンで「ユーモアは老いと死の妙薬」と「よく生き よく笑い よき死と出会う」の2冊を注文しました

マイクのHPの「私の自死道」をもっと発展させなければと思いながら永らく滞っています
これを機会に デーケン流のユーモアを「死の準備教育」から学ぶなら マイク流の死を発案し自らユニークに楽しめるかも知れません
早く本と巡り合いたいものです
勿論「私の自死道」もユーモアそのものですが まだまだ迫り来る最期を積極的・能動的に愉しく明るく笑って向かい合うことの出来るように もっともっと修行をマイクはしたいと思っています

多くの人がよく望んでいるポックリ死をマイクは何となく嫌っていましたが それは楽しい死に方のあることをまだ悟っていないからで 死を楽しめることを知ったら誰も絶対ポックリなんぞしたくない筈です
たった一度切りの楽しみなのですから それを知らずして死ねない筈です

「死を楽しむ」で検索すると 昨年 野の花診療所(鳥取県のホスピス・HPにコラムあり)の徳永進所長のズバリの題名の講演会がハートピア京都であった様です


大津の楽しい筈のない「死の練習事件」に腹立たしく思いますが 老人の来るべきしてきた死については別のモノとして これからのマイクの修行の中で色々考えずには居られません


2012/7/13 「老人の特権としての死」

「楽しい死」があるかもしれないと思ってはみたものの かなり限定的な条件がありそうです
「死のユーモア」とか「準備教育」何ぞも 一般的に必要なことではない筈です
最後が迫っている老人に限ったことのようです
その辺は弁えて誤解を避けなければなりません

大津皇子山中学のいじめ自殺などは自死ではなく他殺です
哲学者須原の勧める自死は如何に自らに未練がなかろうとも自己中でしかないと言うのがマイクのこのブログの主旨なのです
須原の自死は自己中な自殺だと思う
これらにはユーモアはありません

昨日は 京都文博フィルムシアターで 529100歳老衰で亡くなった新藤兼人監督の追悼映画「悲しみは女だけに」(1959大映東京 京マチ子 田中絹代)を観た
監督が劇団民芸に書き下ろした自らの実録とも言える戯曲の映画化で 戦後の尾道の貧しさと欲得の生々しさを舞台のように描いている流石の作品でした
その家族の母親が死に際に 苦労を強いた娘への罪滅ぼしに 秘かに断食をして死んだとの語りがあった
宗教ファンのマイクが 死ぬ前の罪滅ぼしの大事さをHPに説くのに似た背景と感じて観た
断食で懺悔できても 罪滅ぼしまでは元気なうちにするしかないのですがせめてものとの懺悔です
罪滅ぼしまで出来れば笑って楽しく死を迎えられるでしょう
ユーモアある死の文化には 地獄に行かないで済む確信と安堵があってのことで マイクのこれまでの考えついたマイク流の死の条件に近いのではと思いました

 

2012/7/14 「デーケンを読み解く」

待望のデーケン本の一冊が届いた
「よく生き よく笑い よき死と出会う」 アルフォンス・デーケン 新潮社(2003
著者のサイン入りです
生死学40年の退官記念講演をベースに 『「死への恐れ」を乗り越えるためのユーモア感覚の勧め』の章が 書き添えてある
御自分もがん宣告され治療した体験が 一番の勉強になったようです
ジョン・ウェインが がん宣告を受けてから寄付を集めて 死後に癌研究所を作ったように 死の準備教育の可能性は大きいと説く
デーケンは がん告知と疼痛緩和とホスピスコミュニケーションの大事さを日本に訴えてこられた学者です
キューブラー・ロスの5段階の死のプロセスに 「期待と希望」を付け加えているが そこには殆どユーモアの説明がない
見送る人達への悲嘆教育の重要性をも説き 12のプロセスを提唱する中に 「新しい希望ーユーモアと笑いの再発見」と言うのがあるが 悲しみが少なくなればユーモアの余裕が出ると言った位の事でした

つまり ユーモアや笑いについてはデーケンも紹介する次のような本にある「笑いで悲しみを吹き飛ばせる」といった内容でした
「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ(同時代ライブラリー (261))(岩波現代文庫)
不治に近い難病を「笑って」治したジャーナリストが,自らの体験を記すと共に,人間の自然治癒力の驚くべき可能性を取材する.創造力と長寿,プラシーボ効果,痛みの効用など心とからだの微妙な関係に着目し,全人医療のあり方を問う.
マイクはもっと積極的に 死自体にユーモアや楽しさがあるのではないかとの思いからこの本に期待していましたが そのような考え方は40年の死生学では生まれなかったように読み解きました
一寸寂しく今夜は寝ます

 

2012/7/16 「残念!出直しします」

2冊目のデーケン本「ユーモアは老いと死の妙薬」アルフォンス・デーケン 講談社(1995)が届いたので 今度こそは「老いと死にユーモアを」と言う彼の哲学を学べると期待して一気に読んだ
この本にも著者のサインが入っていました
第一章が「ユーモアと笑いの効用」となっていて 期待したのですが ユーモアとはと言う解説が殆どでした
ユーモアは失敗を笑って誤魔化すツールであり 愛と思いやりの表現の一つだとか 語源はラテン語のフモーレス(液体)で活力を運ぶ つまりノーマン・カズンズの自然治癒力の紹介であったり ジョークは頭 ユーモアは心で表現する自己風刺と自己発見だとか
ユーモア人は風邪をひかないと言う程度のユーモアでした
マイクは死それ自身にユーモアを見付けたいのです
如何して死生学の日本での先駆者となられたかは ルドヴィコ・茨木(長崎26聖人最年少殉教者)が聖歌を唱えて全うしたことに12歳の時に関心を持ったからだと言う

広めようとしたUSA式の死の準備教育は 1986年上智大で帰国講演した千葉敦子の教えだと言う

やっぱりマイクはこれから死自体に楽しさを見付けなければならない
それがなければ そしてそうでなければ死ねないと思っています
必ずあると信じてこれからもっと修行します
それには何より死に近付かないと出来ないかも知れませんし それは千葉やデーケンの言う準備教育と言うような他人から教えられて分かるものではなく 自分で体験して見付けるべきもののように思います
日本のこれまでは死の隠蔽の文化でしたが サムライは死を賭けて大事をなしました
それこそ隠蔽ではなく自己表現です
隠蔽や恥の為に出来なかったことを 死に逝く前にやり遂げる楽しみがある筈だと信じているマイクです

モルヒネやバイアグラだけでなく LSDや脱法ハーブぐらいは最後に楽しんでいいのではないか
終末期には許される時代が来ると信じています
これから もっと本質的な色々の楽しみがあるであろうことを信じて探し続けます
死の間際まで 少しでも多くの可能性を信じて

 

2012/7/19 「終活本紹介を纏めました」

死にユーモアをと説くデーケン本に期待しましたが 3日前に「出直しします」と宣言しました
その出直しはそう簡単ではなく 他人の本とかからではなく 自分で体験しながら見付けるべきもので そこそこの覚悟で修行等を始めないといけません

このブログの再起から「終活本」を多く紹介してきましたので ここらでそれからを振り返りやすくするために このブログの並び替えをマイクのHPに作り 上げます

その前半の須原本「自死本読後感」http://mike12.web.fc2.com/jishibrog1.htm
に続いて 今日までのマイクの「読後感ブログ」を
「終活本紹介」http://mike12.web.fc2.com/jishibrog2.htm
として マイクスタンディングのHPに時系列転載しています

これからはゆっくり ユーモアを持ち合わせ 楽しい死に方があるやもと 考え出直ししすることに
さてどうなることか
皆さんのご支援ご指導に縋ります

 

 

以上でこのHPでは終活本紹介を止めて これからは出直しとしての思考をこのページに追記するかも知れません

ブログの方は変わらず続けて 考え至らぬところを皆さんのお助けをお借りしながら修行を進めて参ります

 

 

追記2014.1.5

その後「終活本紹介」から「楽しい死とは」へ そして更に「老人の責務」を考えるようになるような変遷がありましたが その後も終活本流行が止まず 「終活本紹介」をしていますので 追記します

 

2013/7/30 「就活本いまだ盛り」

本屋の立ち読みで 相変わらず 終活本が繁盛していることを知る

あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問」 ひすいこたろう ディスカヴァー・トゥエンティワン (2013/1/11)

あなたはいま生きている。それ以上の奇跡などありません。いつか死ぬ身であることを心に深く刻めば、今日という1日が、いかに可能性にあふれ、うれしく、ありがたく、いつにもまして輝きはじめることに気づくことでしょう。

みんなの死にかた」 青木 由美子 河出書房新社 (2013/6/22)

孤独死、おだやかな死、大往生。著名人の死にかたを紹介し、いかに死を迎えるか、心の準備をするために役立つ一冊。選択肢が多い今こそ「自分らしく」死ぬことを考えるための最上の教科書!

この本には大原麗子の死に方が 割と詳しく書かれていたが 断食死を前から決め込んでいたようなことは書かれていなかった
マイクのHP「私の自死道」http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm に大原麗子の死に方を書いたし 2012/8/16のこのブログ「沢村貞子の死に方」にも書き込んだようには書かれていませんでした

ホーキングの安楽死勧告をもう少し考えなければならないのに 終活本の割り込みが入りました

 

2013/9/6 「終活本に飽きてきました」

暫くダンスの東京遠征公演の為 書き込みを留守にした

鈴木潤一撮影
おやじダンサー「ロスホコス」が先月31日 神楽坂セッションハウスで弾けました

見るからに他の仲間とは老いてみえるのが悲しい

行き帰りに 3冊の終活本を読んだ

<達者な死に方>練習帖 賢人達の養生法を学ぶ 帯津良一 文春新書

「養生」とは、文字通り「生命を正しく養うこと」。タバコや酒をやめるとか、ジョギングをするとか、玄米を食べるとかといった、いわゆる「健康法」や「長寿法」とは一線を画しています。当代きっての「養生の達人」帯津先生が、貝原益軒、白隠禅師、佐藤一斎、安藤昌益、賀茂真淵、本居宣長といった江戸の先達たちに学んだ極意をもとに「生命とは何か」「生きるとはどういうことか」「死とは何か」をわかりやすく伝えてくれます。
白隠をしっかり噛み締めて読みながら 白隠が師とし マイクが憧れる白幽のこと思いながら読んだ

思い通りの死に方」中村 仁一 久坂部 羊 幻冬舎新書

何歳まで生きたいですか?大往生は万人の願望。マスコミは90歳を超えても元気な「スーパー老人」をもてはやし、死ぬまで健康であるべきだという圧力は強まる一方だが、いま現実はどうなっているのか。現役医師2人が、誰も本当のことを言わない高齢者の生き方・老い方・逝き方を赤裸々に語り合った。アンチエイジングを謳い、高齢者を飯の種とする医療界はどこまで信用できるか?そもそも医者の多くがなぜがんになるのか?大往生は可能なのか?等々、遅かれ早かれ誰もが直面する生死の真実。

「死にざま」の医学 永田 勝太郎 NHKブックス

末期状態の患者に、医学はどのように向き合うべきか。現代医学と伝統的東洋医学を併用し、患者の心理状態をふまえ的確に励ますことで、食欲や苦痛の改善などQOL(生命の質)の飛躍的向上や、ガンの進行遅滞が見られ、たとえ末期でも、相対的な健康創りが可能だという。人間の限りない可能性への信頼に基づいた、サルトジェネシス(健康創成論)という考え方から、死を覚悟したうえでの、充実した生のあり方を示す注目作。

そして今次の本を読み終えた
認知症と長寿社会 笑顔のままで」信濃毎日新聞取材班 講談社現代新書

私たちも、この病気をどこまで理解しているのだろうか。認知症であっても、喜びも悲しみも、安心も不安も、つながりも孤独も感じているという。
直前の記憶が分からなくなっていく不安は、迷子のような心細さかもしれない。いら立ちは、不自由を強いられ、自尊心が傷つき、怒りのやり場がないためかもしれない。周囲との摩擦を避けようと、感情を心の底に沈めているのかもしれない。それなのに、私たちは冷たい視線を向けてはいないだろうか。
国の推計だと、患者数は200万人を超え、30年後には385万人に達すると予測されている。それは日本人の3人に1人が高齢者で、その9人に1人が認知症という時代だ。
患者や家族をどう支えていくか。いま真剣に考えなければ、この長寿大国で、命の尊厳を失わずに最期まで生きることはかな
わなくなる。

余りにも多い終活本に飽きてきました
社会問題となる日が迫っています
問題解決は「楽しい死」しかないように思えてなりません

フォームの始まり

フォームの終わり

 

2013/9/6 「まだまだ続く終活本ブーム」

今日の終活本紹介に続き 先ほど本屋で立ち読みしてきましたので追加します

みんなの死に方」青木由美子 河出書房新社 (2013/6/22)
孤独死、おだやかな死、大往生。著名人の死にかたを紹介し、いかに死を迎えるか、心の準備をするために役立つ一冊。選択肢が多い今こそ「自分らしく」死ぬことを考えるための最上の教科書!
帯に「あなたも死にます」とあった
色々の人の色々の死に方を 沢山まとめていて面白い
大原麗子の部分をしっかり立ち読みしました
好きな女優で マイクのHPの中の「私の自死道」にも取り上げています

生死の語り行い」〈1〉尊厳死法案・抵抗・生命倫理学 立岩真也・有馬斉 生活書院 (2012/11)
「安楽死」を認めるのではない、あくまで「尊厳死」なのだという主張の危うさとは?またも蠢きだした「尊厳死法案」。この動きの背景・歴史・生命倫理学における肯定論、そして抵抗の論理を、賛成・反対両者の法案や声明、文献の紹介などを通して明らかにする。

 

 

 

死の所有死刑・殺人・動物利用に向きあう哲学」一ノ瀬 正樹 東京大学出版会 (2011/1/25)
死刑、安楽死、脳死、殺人、戦争、動物利用さまざまな倫理的問題に潜んでいる虚構とは?「人格」「権利」といった近代的な概念をとおして「死」のありようを問い直し、法的領域と人文的領域をとらえて、死生をめぐる実践的課題を哲学する和辻哲郎文化賞・中村元賞受賞作を経て、アクチュアルな問題に挑む渾身の一作。
目次
序章 「涙の哲学」に向けて「死」の誕生
第1章 死刑不可能論死刑存廃論に潜む倒錯
第2章 「死ぬ権利」の欺瞞安楽死の陥穽
第3章 生命倫理と死ぬ主体胎児、代理母、クローン、そして死にゆく人
第4章 殺人者の人格性虚構なのか適応なのか
第5章 殺された人の非存在性「害グラデーション説」の試み
第6章 戦争という法外な殺戮戦争をめぐる事実と規範
第7章 動物たちの叫び動物実験と肉食の彼方
終章 死に基づく認識論生と死を貫く同一性


この2冊はしっかり読むべきもので 立ち読みで済ますべきものではない
しかし論ずるは軽ろし そろそろ須原本のような実践本の登場を待つ

 

2013/11/17 「時代が変わると信じて不遜を・・」

死を語り生を思う」五木寛之 角川書店(角川グループパブリッシング) (2011/8/5)

今この本を読んでいます
その著者の夫人 玲子さんは マイクの高校の6年先輩になることもあって 寛之ファンでもあります
昨日は 京都JARFOにて開催中の玲子夫人の絵画個展で 本人ではないので残念ですが 寛之氏が講演をなされ 滅多に夫人のことを語らない彼でも 作品を背にすれば何かを語るだろうと期待して聴いた
彼の一般的な鑑賞論を語っただけで 夫人のこともその作品のこともなかった
帰り際に 夫人のことや作品についてのお話をお聞きしたかったとつぶやいたら 「身内の話はできないヨ!」と言われた
そのことだけでも前々から気にしていた語りたがらない寛之像を少しは知り得たかもしれないと満足しておくことにしました

終活本は相変わらず多く 図書館から借りてこのブログに取り上げたことのある
2013/1/18
「怖いどころか楽しいのです」『「死ぬのが怖い」とはどういうことか 』前野 隆司講談社 (2013/1/9)
2013/2/9
「終活本はリビングウイルのススメまで」『平穏死10の条件 胃ろう、抗癌剤、延命治療いつやめますか』(2012/7/14) ブックマン社
を読み直すつもりでまた借りてきました

医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」近藤誠 アスコム (2012/12/13)

この本は相変わらずベストセラーです
これを批判的に論じた 新潮45 2013年11月号の 西智弘の「近藤誠はなぜ売れる」の記事を読んだ

20年前から「抗がん剤は効かない 副作用で危ない ガンと闘ってはならない」と言い続けている
しかし時代は変わっていると西は力説するばかりか 無責任さをも問うているように読んだ

マイクの「楽しい死」は 今は無責任で不遜かもしれないが 時代が変わるのを信じています

 

2013/11/26 「1%を称えることに違和感」

別れの挨拶」丸谷才一 集英社 (2013/10/4)

この本は 昨年10月13日に87歳で亡くなった作家の 1年後に出版の遺作です
吉行淳之介、谷沢永一を批評し、吉田秀和を悼む。コンラッド、ナボコフから朝吹真理子までを書評する。2010年から2012年までに書かれた、批評、エッセイ、書評、挨拶をまとめた、追悼の書。

その作家のお別れ会に 昨年11月27日帝国ホテルで300人が参列した
また この10月29日山の上ホテルに120人参列で 盛大に偲ぶ会をしたと新聞にあった
書き残したノートには 偲ぶ会の段取りと締めくくりに 中村勘三郎に自分の作品の朗読して欲しいとあったとか
その記事タイトルの「自分の死を見事に演出」に しがないマイクは違和感を感じてしまいました
このような死を迎えられる人たちは ほんの1%のエリートなのです
また自宅で死を迎えられる家庭に恵まれた人は10%しかいないのです
病院で看取られる人80%の中で 家族が本気で悲しんでくれる人はそんなに多くないのです
これからの超高齢化・限界福祉では 社会的に見捨てられる3分の1の老人は 死に場所も死に方も分からず死を迎えるのです

自分だけの死を飾ろうとするなど エリートのすることではないように思います
1%の富裕者が19%の年収を稼ぐアメリカ社会を見事な国家と憧れる 精神貧弱国に似た思いがしてならない

 

2013/11/26 「大江健三郎からの贈り物に期待」

晩年様式集 イン・レイト・スタイル」大江 健三郎 講談社 (2013/10/25)
3.11後、それまで書いていた小説の原稿をすべて破棄した大江健三郎氏。新たに緊迫した日本を小説の舞台に選んで語り始める。老境の円熟を拒否してカタストロフ(大惨事)に挑む傑作! これまでの作家としての成果すべてを注ぎ込んで、個としての作品を超えるメタ(超越的)小説。一見私小説、しかし実は・・・・・・。この作品を通して大江健三郎の全人生が見えてくる。最後に引用された恐るべき予見の詩とは?

それは「私は生き直すことはできない。しかし私らは生き直すことができる」であり 含蓄ある言葉です
「作家は死者たちの記憶を これから生まれてくる者たちへの贈り物へと転換しなければならない」とも言う
80歳を目前に控えた作家は 自らの死を語り示すだけでなく 最後には実践で エリートでない私たちにも相応しい死に方と そうするために生き直すことを教えてくれる筈です
不遜とは思いながら 丸谷才一とは違うことを期待して 大江さんの死に際の有り様を見守りたいものです

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2013/12/4 「賢人の死は羨ましく思うしか」

終活本で「達老時代へ──“老いの達人へのいざない」横山俊夫 編著 ウェッジ(2013/10)

いかに老いと向き合うか。老いを楽しむ「心がまえ」と「身やしない」精神の自由のための5つのレッスン。
目次 : 序章 老人があらたな文明をもたらす/ 第1章 老いの表象/ 第2章 老いはどのように進化してきたか少子高齢化社会の生物学的背景/ 第3章 豊かな老いを訪ねてフィールド医学の現場から/ 第4章 中国文化にみる老いの諸相/ 第5章 達老志願/ 第6章 座談会「老いを楽しむ」

これも昨日書き込んだように 老いを楽しめる賢い人間の考えたことで 何とはなしのに終末期になってどうしようもなくなる殆どの凡人のためには あまり参考にならない

 

2013/12/24 「終活本は進展しているか」

『「治る」ことをあきらめる 「死に方上手」のすすめ』中村 仁一 講談社プラスアルファ新書(2013/11/21)
20年前に書いた『老いと死から逃げない生き方』を、大幅加筆のうえ、書き下ろし。2013年のいまだからこそ、より深刻でより切実な問題となっている「老い」と「死」について、老人ホームの医師という視点から鋭く切り込みます。

同じタイトルで次のようなものがあります
「死に方上手いのちの対話」鎌田 實 嵐山 光三郎 加藤 登紀子 村上 信夫 山折 哲雄 岩波書店 (2008/7/8)
現代版『往生要集』

同じことを言っているので古ぼけています
詰まりまだまだ終活流行りなのです
しかし進展していません

これから死を迎える殆どの人は「死に方下手」のままなのです
治ることを諦めよと言うだけで済むことでしょうか
放っておいていいことなのでしょうか
殆どの下手な人の手助けに センターがいるのです

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2013/12/25 「お寺で死にたい人を・・」

京都新聞夕刊に『「終活駆け込み寺」登場』のタイトルで 墓・葬式・相続専門家を紹介すると言う真言宗の四つの寺院を紹介している
タイトルを見たマイクは 安楽死センターを開設するものと心躍らせて読んだ
何のことはない ビジネスとして紹介料をとって 金持ちの檀家を相手にするのだと読める

南区の城興寺の呼びかけで上京区の福勝寺・下京の白毫寺・山科随心院が賛同とある
税理士や弁護士より親しみがあるであろうとのことなのでしょうが 商魂丸見えのお坊さん達なのでしょう

宗教活動とすることで税金の掛からぬ終活事業を 葬儀社や弁護士より有利にやれるかも知れませんが お寺さんなら安楽死センターくらいのことを発想して欲しいものです
健康保険で運営できるようになれば 幼稚園などより確実に儲かると思います
せめて終末期ホスピス位から始められたらと思います

京都には中村仁一さんが頑張っていますことをご存知のはずですが

 

2013/12/27 「酒に浸りながら考えれば・・」

図書館で年越しと寝正月のための本を借りてきましたが 終活本には目新しいのがありません 

「おひとりさまでも最期まで在宅: 平穏に生きて死ぬための医療と在宅ケア」中澤 まゆみ 築地書館 (2013/3/12)

老いは誰にでもやってくる。そのときに必要な医療と介護。最期まで自分らしく生き、自分らしく旅立つための在宅医療と在宅ケア。その上手な利用の仕方を、徹底した取材と豊富な事例をもとに、本人と介護家族のニーズでガイド。

鳥越俊太郎のエンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく」鳥越俊太郎泰文堂 (2011/3/30)

棺は毎日新聞社の社旗で覆ってほしい。遺影はイラクの戦場で撮ったあの写真でよろしく。人生を振り返ってはじめて自分らしい死に方が見えてくる。生き様こそが私の遺言。

2013/1/18
「怖いどころか楽しいのです」に紹介した本も借りました
『「死ぬのが怖い」とはどういうことか 』前野 隆司 講談社 (2013/1/9)

「死ぬのが楽しい」などどない考えても無理なのかもしれませんが それでもこの正月には酒に浸りながら考えようと思います

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2013/12/31 「来年こそは緒(糸口)を・・・」

今年の最後に何かと考えたのですが思いつかないので 紹介していない終活本を2冊

看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために」奥野修司文藝春秋 (2013/1/23)

治らないがん患者のために在宅緩和ケアを立ち上げたが、自身もがんで昨年9月に逝去。最期まで説きつづけた「日本人の死の迎えかた」。2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」。

在宅医療を支えるのはヘルパーであり もっと活用しやすくするべきことや チャプレン(病院・ホスピスなどの聖職者)のような「臨床宗教者」の必要性を説いておられる
つまり 穏やかな死を理想としておられる
このような方には「楽しい死」は要らないでしょうか

死者のいた場所」松井計 扶桑社 (2012/12/31)

餓死寸前の経験をもつ「ホームレス作家」が、餓死、孤独死、介護の果ての死などの現場を取材する。自分の家族の死の記憶と重ね合わせて現代の社会状況を映す体験的死生論。

重い人生を送ってきた著者にとって 孤独死だから悲惨で 医師に看取られから幸せということにはならない
大変な介護が家族に張り合いをもたらすこともある
孤独で餓死しかけた時も助けを求められる社会ではなく 無縁社会は不安社会で保身社会だという
果たして貧乏人は 穏やかな死を保身できるでしょうか

穏やかな死を約束されて恵まれた方々には 「楽しい死」は要らないのかも知れません
そうではない方は多分自分で「楽しい死」など考える余裕もないと思います
マイク自身も含め そういう方がこれからどんどん増えるのですから そういう方のために少しでも早く考え出そうとの思いで あと少しで来年を迎えます

皆様には良きお年でありますように

2014/1/3 「社会は平穏死ビジネスを待つ」

終活本の話はもう要らないと思う程多いのですが 「平穏死」があちこちでまだまだ使われている

このブログ 2010/4/22「「平穏死」のすすめ」で紹介したのは 石飛幸三 講談社のものです
2013/2/9
「終活本はリビングウイルのススメまで」では 長尾和宏の『平穏死10の条件 胃ろう、抗癌剤、延命治療いつやめますか』ブックマン社(2012/7/14)を紹介しました

この二人は 平穏死を謳った本を出し続けています

長尾和宏
『平穏死10の条件 胃ろう、抗癌剤、延命治療いつやめますか』ブックマン社(2012/7/14)
『「平穏死」という親孝行』泰文堂; 四六版 (2013/2/25)
『家族が選んだ「平穏死」 看取った家族だけが知っている本当の「幸せな逝き方」』上村 悦子共著 祥伝社黄金文庫(2013/7/24)
『平穏死できる人、できない人』PHP研究所(2014/2/19予定)
『がんの花道患者の「平穏生」を支える家族の力』藤野邦夫共著 小学館(2013.7.31
他に終活本いっぱい

石飛幸三
『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』講談社文庫
『「平穏死」という選択』幻冬舎ルネッサンス新書(2012/9/11)
他にも終活本いっぱい
こうして死ねたら悔いはない』幻冬舎ルネッサンス (2013/6/28)

最先端医療を担う外科医から、老人ホームの医師へと転身した著者が出逢った数々のいのちのきらめきが、私たちに「生きる力」を与えてくれる。
「どう死ぬか」は「どう生きるか」と同じこと。「そのとき」のことを真剣に考え、さまざまな心の準備を整えておくことは、死への恐れを和らげ、自分のいのち、人生に対する覚悟を定める。
老衰末期における苦しまない自然な最期として「平穏死」を提唱した医師が、人生と医療のかかわり方、そして満足して生を締めくくるための生き方を提案する。


二人の医師にこんなに著作活動をさせるところに 緊急性とビジネスが見えるのです
終活本で終わらず 至急・必置の社会事業に発展すべきだと益々感じます

 

2014/1/11「老人階級の自立と独立?」

「下山の思想」五木寛之 幻冬舎新書(2011/12/9)
今朝から五木ファンのマイクは読んでみましたが今ひとつでがっかりしました
「いま死と病を考える」の章もありましたが 五木らしくもなく軽いので内容紹介もいらないと思います

代わりに最近のモノを紹介します

「新老人の思想」幻冬舎新書(2013/12/12)
日本は今、とんでもない超・老人大国に突入しようとしている。長寿がお荷物にすらなるこの世の中で、かつての老人像とまったく違う新老人の思想が必要なのだ。それは未来に不安と絶望を抱きながらも、体力、気力、能力は衰えず、アナーキーな思想を持った新しいタイプの老人たちである。彼らに牽引され、日本人は老後の生き方の大転換を迫られている。「若年層に頼らない」「相互扶助は同世代で」「単独死を悲劇としない」等、老人階級の自立と独立を説いた衝撃の思想。
老人階級の自立と独立などと 生きることばかりに固執しているようです
階級意識にも引っかかるものがあります
まだ読んでいないのですが 五木ファンのマイクにも読むべきモノとは思えません

それにしても先に読んだ大熊一夫の本が頭に残る
残るどころか マイクの安易な思いに衝撃をいただきました
終末期であろうと 生きるに値しないと自己判断した老人が選んだ死を 安易に考えるマイクの思いが浅はかなのではないかと考え出すと昨晩はよく眠れなかった

この問題をこれから夜な夜な考えるようになると思います

フォームの始まり

フォームの終わり

 

2014/1/20「笑って脱力して死ぬのがバカらしく」

昨夜のNHKラジオ深夜便〔ないとガイド〕「私のおすすめブックス」で 編集者松田哲夫は 雑誌編集者末井昭の次の本を紹介していた

「自殺」末井昭 朝日出版社 (2013/11/1)


母親のダイナマイト心中から約60――衝撃の半生と自殺者への想い、「悼む」ということ。伝説の編集者がひょうひょうと丸裸で綴る。笑って脱力して、きっと死ぬのがバカらしくなります。

「キレイゴトじゃない言葉が足元から響いて、おなかを下から支えてくれる。また明日もうちょっと先まで読もうときっと思う」――いとうせいこうさん
「優しい末井さんが優しく語る自殺の本」――西原理恵子さん
大人気連載、ついに書籍化!

世の中、自殺について醒めているような気がします。
おおかたの人は自分とは関係ない話だと思ってるんでしょう。もしくは自殺の話題なんか、縁起悪いし、嫌だと目を背けてる。
結局ね、自殺する人のこと、競争社会の「負け組」として片づけてるんですよ。
死者を心から悼んで、見て見ぬふりをしないで欲しいと思います。
どうしても死にたいと思う人は、まじめで優しい人たちなんです。(「まえがき」より)


末井さんというとハチャメチャな雑誌編集長
自殺することを否定も肯定もしません
その人それぞれに事情があるのだろうと そう語る文章から末井さんのお人柄というかひとに対する優しさがにじみ出ています


ムンクの絵は 叫んでいるのではなく叫びを聞きたくないので耳を押さえています
末井は耳を傾けてあげて 優しく聴いてあげて欲しいと語る

 

2010.4.10 からの「終活本紹介」カテゴリーは一先ず・・・  2014.1.20 で終わりに

 

2012.7.19 から始まっている 「楽しい死とは」カテゴリーにて 考えを発展させたいと思っています

 

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