『楽しい死とは』楽しい死を求めて

「最後だからの 楽しい死に方」を求めて 2012.7.19スタート 古人のパワーのページに戻る トップページに戻る 2014.2.6登録

 

私マイクは夜な夜な「終末期の老人に 楽しい死を」と探求することになりました

このことは そう遠くはないと自覚するマイク自身に必ず訪れるその時の為の 大事な人生のテーマなのです

こんな話を誰かにすると 誰もが白々しい顔で 余計で危険なロウトルの無責任な戯れだと馬鹿にします

それでもマイクが真剣に考えるのは マイク自身が死を恐れたくないからではなく 今の社会に必要かつ急がれる「世直しの走り」となるかもしれない とても大事なことだと信じているからです

 

 

誰もが恐れながらの死を迎えたくありませんし それは当たり前です

今流行りの「終活本」は それを避けられるのではないかを指南するマニュアル本が殆どです

美しくとか 笑ってとか 迷惑を掛けずに死ぬには如何すればとかの 生前の心掛けが書かれています

そしてその死は自然死が当然とされています

しかしそのような自然死を待っているだけで 本当に怖がらずに自然死で笑って死ねる人がいるでしょうか

 

加えて尊厳死とか安楽死を 自らの意思で考えておくべきだと言われています

確かに成り行きで死ぬべきではありません

しかしそれは積極的な死を勧めるものではありません

喩えマニュアル本通りに ハッピーな人生をハッピーに終わる人であっても 自らの考えや思いで死ねる人は稀でしょう

喩えそういう方が笑って死んだとしても 自ら死を選ばなかったのではないでしょうか

自死・自決できる人は聖人君主や哲学者・宗教人のほんの一部でしょう

 

 

死を恐れたくないだけではなく ただ何となく長生きすることの意義についても日頃考えさせられることが多くなりました

老人医療や福祉施設で 痴呆や胃瘘の状態で命永らえる人たちに接することがあります

痴呆の親の介護に苦しむ友人もいますし 新聞では老老介護での残酷な事件を度々見ます

個々の老人の生きる意義・価値について 誰がどのように判断するべきでしょうか

そのようなことを考えること自体タブーなのか 或いは生きるべしとしか答えはないのでしょう

 

死を迎える個人の死の怖さから逃れることと いつまでも生き続ける価値・意義について考えることとも難問ですが マイクにはもっと別な心配があります

これからどんどん残酷な死が蔓延するのではないかとの社会的な心配をしています

少子高齢化の時代の行きつく社会では 政治・経済的に成り立たなくなることが目に見えています

そうなれば社会体制や社会倫理も確実に崩れかけるでしょう

そうなる前に 新しい社会思想を作り育て 社会の更なる高齢化を抑えなければなりません

(65歳以上の老人が占める比率を高齢化率と言い 7%から高齢化社会 14%から高齢社会 21%以上を超高齢社会と言う)

 

 

次の厚労省のグラフを見ると怖くなります

財政難による医療機関抑制政策で 医療ベッドを増やさずに自宅での最後を増やそうとしていますが 現実の対応は無理なのです

厚労省の看取り場所2005年予測 その他の47万人は何処で・・・

結局 高齢化が進んで死亡者が増えた分 「その他」の人がどんどん増えて 老人の3分の1はその他として自ら 死に場所死に方を決めなくてはならない社会になるのです

既に老老介護が半数を越え 面倒見られないための放棄や尊属殺人が当たり前になる残酷な社会到来が見えているのです

しかし死をタブー視する社会的習慣から 時々ニュースになっても他人事として認識されている程度なのです

 

少子化を抑える政策等は語られ実践されることがあっても 高齢化を抑える政策はタブーなのです

しかし現実この先はそんなことを言ってはおられない社会に既になってしまっているのです

これを打破するには日頃より身の周りにある死にもっと接し 現実の残酷さを自分のことだけでない社会のことと知る必要があります

その上でもっと積極的に死を受容すると云うより 能動的に死を実践することが当たり前であると目覚めなければなりません

少子高齢化社会では 高齢化をも抑えるべく つまりそうしなければ社会に持続性がなくなるような気がします

 

              麻生副総理「さっさと死ねるように」と 高齢者高額医療を問題にして発言した2013/1/22

麻生副総理が願っている「さっさと死ねる社会」のためには マイクがこれから考える「楽しい死」がどうしても必要なのです

そのような楽しい死に方があるかどうかはまだ分かりませんが なければならないとの思いと ある筈との直感からマイクは考え続けています

老人の死について考えるようになったのは マイク自身が老人であり やがて確実にという実感が日増しに強くなっています

それでもこんなことを考えるような切迫感はありませんでしたが 2008年に知った哲学者の「自死と言う生き方」を読んだことが切っ掛けです

そしてそれを「自死という生き方」須原本の読後感ブログとし またマイクのHPの中の「私の自死道」の中にも マイクが死ぬ前や死に際に遣りたいことを考え綴るようになりました

 

それらはマイクの生き方としての長年の夢や思いででもあり 叶いそうな楽しくユーモアある夢なのです

そうするのは 単に死の恐れから逃れようとするものではなく 積極的に死に向かうべき時が来ることを覚悟しておきたいからです

しかしこれまでは 自分の死を実感できるような差し迫った状態ではないので 余裕あるユーモアの積りで死を考えることは出来ましたが その程度だったので 死ぬことに楽しみがあるかも知れないなどとは思いもよらなかったのです

 

須原本の読後感ブログをHP纏めてから暫く休止後 世間には「終活本」が流行り出したので 改めてそのブログを再開・継続し 紹介してきました

それを『「終活本」紹介』としてこのHPに纏めてもあります

沢山ある終活本は 充実した人生と美しい最期を迎えるための生き方読本が殆どでした

ところが死に対しては自然死を大事にし 積極的な方法は全くないのです

しかし本や新聞から老齢福祉の社会的現実を知るようになると もっと積極的死に方が必要になるに違いなく それには死に楽しさがなければならないのではないか それが無いと社会の持続性が難しくなるのではないかと考えるようになりました

そこでブログで『楽しい死とは』を考えるようになりました

 

マイクが既に死に方・死に場所を決めたと書いたマイクのブログやHP夫々を読み返して 如何いう積極的な死があったのかを思い出して見ることにします

確かにその時点では それが楽しいと言えるものではなかったと思いますが マイクの求める二つの死に方に思い至りました

 

例えばその一つ 正義ものの時代劇ファンのマイクは 必殺老人仕掛け人になって死にたい(須原本ブログ)

今の世の中の矛盾を一杯感ずるマイクは 世直しに憧れます

世間体があり 現役の頃には簡単ではないのが現実ですが 世直しはマイクの余生のミッションですので 夢として大事にしようと思っています

恥や見栄を捨てて老人だから出来る 最後にやり逃げできる 良いことや悪いことも

つまりこれは積極的な死と言うより 命を賭けてでもやれるようになる喜びと言うか 老人だからの 最後だからのメリットを生かせれば満足な死となるであろうと考えています

 

次に例えば二つ目は 仙人に憧れているマイクは 仙人紛いの死に方をしたい(私の自死道)

アルコール依存で また役行者や白幽に憧れるマイクは 白幽の巌居跡で 酒だけの断食で最後を楽しみたい

これとてそう簡単ではないが 少しでも早く元気なうちに色々考えておくべきと悟ったのです

 

今のところこれくらいしか思いつきませんが どちらも色々の人に話すと馬鹿にされていますし 実現はそう簡単ではありません

生きることに諦めが付くのは何時頃どのような状態になった時で 誰に助けられて等 まだまだ推敲を重ねなければなりません

 

こういうことが 自分だけの満足ではなく 社会的に容認され 社会に前例となって広がらなければならないと思います

老人に命を賭けて世直しを!と言いたいのが必殺老人仕掛け人プロジェクトなのですが 秋葉原事件の様な事を老人に期待している訳ではないのです

勿論若者にそのようなことを期待するものではないので 若者の場合の考え方と老人との区別をハッキリしないといけないのです

実は 囚人にも罪滅ぼしのチャンスとして仕掛け人となるようにと言うマイクの思いは間違っているようですが マイクには何故駄目なのか今まだ分からないのです

 

これらのことは 「須原本」を批評する中で色々考え至りました

自爆テロや特攻隊の人たちとの違いや 武士道と同じなのかもとか 死を美化することも 老人の死にとって参考になりそうだとも考えています

若い人の美化は勧められませんし 持続的社会としては受け入れられませんが 老人には美化することも楽しい死の一つになるかも知れませんし 社会的には何時か容認されるのではないでしょうか

 

障害者・弱者の生・死についても 誤解され易いことに注意しなければならない

健全で若いものだけが優性ではなく 弱者の権限などの人権についても「須原本」ブログの中でマイクは考え悩み 差別を否定しています

老人の中でも痴呆老人の問題はややこしいと思います

痴呆や精神障害者の人権については マイクの思考を越えると思いますが 避けて通れるものではありません

だらだらと生き永らえる老人について 生きる意味や価値をついつい残酷に考えてしまうマイクです

 

このようなケースはさて置いて 後期高齢者 末期的老人に限って 自分の人権を自己判断できるならば 死の選択は自由にすべきかもしれません

死は全てを失うのですから その代わり最後に最後らしい死を迎えて 失う以上のものが得られるかもしれませんし そうでなければならないし それに値する死に方がある筈です

どんな死に方か? それは楽しい死に方! 死をエンターティメントとして!

生前には出来なかったが やっておきたかったこと それも最後の最後だから出来ることがあるかも知れません

 

マイクが「楽しい死に方」があるかも知れないと考えるようになったのは 『「終活本」紹介』の最後 2012/7/11「死を楽しめたら」にある

ユーモアは老いと死の妙薬」アルフォンス・デーケン 講談社(1995

よく生き よく笑い よき死と出会う」 アルフォンス・デーケン 新潮社(2003

に巡り合った時です

しかし 本の内容には 死を楽しむという不届きなことは全く書かれていませんでした

デーケンが紹介する「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ(同時代ライブラリー (261))(岩波現代文庫)にあるような「笑いで悲しみを吹き飛ばせる」といった常識的な内容で がっかりしました

それで 2012/7/19「命を賭けた死を!」からは マイクが自分で考え探さなければならないと思い知り 「楽しい死とは」を考え続けました

 

 

その考えの転変を 2012/7/19からのブログを見ていただけたら嬉しいのですが 170日を超えて冗長になりますので マイクの思いを少し述べてみます

 

末期高齢者になれば 元気の限りやりたいことをやり尽くして見ようと云う欲が出るかもしれません

それを未練として感じているうちは 死をそう簡単に実行できないのだと マイクのHPの『私の未練道』に載せました

生前にしたいことは生前に済ませておいた方がいいと誰もが思うでしょう

しかし特に現役で 社会的な生活をしているうちはモラルに則った節度ある生活しか出来ません

何でもかんでも簡単には望みが叶いません だからついつい長生きしてしまうのです

 

終末期老人なら モラルを無視してやりたいことをやれるかもしれません

恥の掻き捨て! そんな事が出来たら死んでもいいと言えるでしょうか

確かにそんなことはないことはないとマイクも思います

片想いの人と無理心中してでも思いを遂げたい! そんなことが・・・あるかも知れないように

 

思いを遂げて死にたい

そんなことを今の人は忘れてしまっているのではないでしょうか

どうしてこんなになってしまったのか これでいいのか

こんなことを考えることにも何かヒントがあるかも知れません

 

 

読後感ブログ2012.4.4「楽しい死を想え」に こんな小説を紹介した

『死支度』勝目梓 講談社

同人誌巨匠の書く 美的に死のうとするエロ老人の粋でニヒルな小説です
http://pinvill.cocolog-nifty.com/daybooks/2011/01/post-6cbf.html参考書評

こんなことが一般的になれば困ったことになるでしょう

老人の無責任を非難されるに決まっています

でもやった者勝ちで 羨ましい限りではないでしょうか

程度の問題で 社会的に容認されるレベルのことであれば それを味わえるなら死んでもいいと云う老人が現れても仕方がないし 責められません

 

歌詞をよく聞き取っていませんが バンド「雨先案内人」の『楽しく死のう』なる歌をYoutubeで聴けます
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ah0NVWhri_4

死を想え「メメント・モリ」は 死を意識し「生を楽しむべし」であった筈だが 時代は「死を楽しむべし」との発想に変わって行くのでしょう

段々怖い時代が近づいています

 

ブログには終活本として紹介していませんが その外一寸だけ楽しい死とは何かを考えさせてくれる本等があります

愛と死との戯れ」 ロマン・ロラン(岩波文庫)

愛と死のエンターティメント。人命の犠牲のもとに正義や幸福は無いというジェロームの言葉は、ともすれば少数の犠牲・多数の幸福を正当化してしまいがちな現代社会への批判ともとれます。
短い戯曲ですが非常に完成度が高く、メッセージ性の強い傑作。

 

 

さて 話を戻します

一般の終活流儀は 楽に死にたいとか 美しく死にたいと云う思いが殆どですが マイク流は 楽しめるものなら楽しみながら死んでみるのです

人は 宗教にそれを求めて来たのでしょうが そこには楽しんで死ねるとの教義はないように思います

また終活本にはまだ見られていないし 宗教的には死後の極楽を楽しみにせよとの教えのレベルでしかないと思います

 

終活本にある内容を分類してみますと

終活本分類

苦しまない死(安楽死・尊厳死の勧め)

生きているうちに満足しておく(生を充実すれば死を受け入れられる)

未練がなければ死を受け入れられる(断捨離や やりたかったことを済ます)

健康・安全な長生き方法(老衰の美化・ポックリ死の勧め)

終末期宣言の勧め(葬式・墓・遺産等の死後処理後の始末を生前に済ますべし)

自他・遺族への心の準備(セラピー ホスピス ユーモア 笑い 安心)

医療・福祉などの社会問題(安楽死・尊厳死・医療・福祉・老人施設などの実態)

認知症対策と実際(死について語っていないのでは)

断食死の勧め(消極死・積極死)

在宅死の勧め(美しく安らかに家で)

 

積極的な死の勧めに関するものはないようです

 

 

またサイトで「楽しい死」を検索すると

死ぬ前にしたいこと26枚の写真とコメント

死ぬまでにしたい10のこと

人生でしたいこと 仕合せ日記

等が出てくるが 「楽しい死」とは言えないものしかありません

積極的な楽しい死についてではなく 自殺願望に関するものがあるが これは「マイク流」としては当面語らない

マイクがオリジナルな「マイク流」を考えるしかないのです

 

 

今のところ マイクがこれまでに思いついたところは 次の二つ

 

老人はどうせ人生の最後だから 恥の掻き捨てが許される 否許されなくとも・・・(「死支度」にあるエロ事を美しくなど・・)

最後だからと これまで許されていないことも 年寄りに限定して許されることがあるのでは・・・(モルヒネ・LSDの体験)

 

別の言い方をするなら

迷惑を最小限に出来るなら 一度きりのエンジョイなのだから 他人を気にすることなく思いを叶えるのも老人だからいいかも

遣りたいことでも 命を懸けないと出来ないくらいのことは この際やらないと死ねない筈ですし どうせ死ぬのですから

 

少し昔の話ですが 『私のエロ道』に 次のように載せた

「写真家 都築響一が基調講演する『老人よ 大志を抱け』なるシンポジュームを聴いて 感激のあまり著書「巡礼」を買った

彼は 93年に東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』を刊行したことで知っていたが 本人はその通り面白い男だった

珍日本超老人伝「巡礼」双葉社 には パワーある男の老人は エロ事変人ばかりとか 女の変人は少なく いてもゴミ屋敷ばかりだと

老人力はエロ事抜きには考えられない 私も肖(あやか)りたい」

エロジジー一杯

このようなエロ事にしても 現役のころは社会的基盤を脅かすことになるので 一般人には表立った実践は無理です

だから老後のしかもせめて終末期には一回かぎりでいいから 何かやってみて満足しておきたいのではないでしょうか

それがマイクの探している楽しい死に方の一つではないでしょうか

しかし最後だから恥知らずにやれる人もいるでしょうが 誰でもがそうだとは言えません

社会的に容認され それを公的にサポートするまでにならなければ 一般人が積極的にそのような恥ずかしい死を迎えようとは思わないでしょう

つまり 私設であれ公設であれ 公知のサポート施設などが世の中に現れてからのことなのです

 

そのような施設には エロスセンターや コスプレセンターがそうかも知れません

或いはLSDなど ドラッグが用意されている様な 依存症ケアハウスかも知れませんし 何れ老人センターがそのような機能を持つのではないでしょうか

 

老人福祉施設で 最後の選択を思う存分色々な楽しい死に方を考えて選ぶことが出来る

今の老人センターの延長として考えることが出来る

お迎えに対する積極的受け入れ体制を用意することで 楽しい早死にコースを選択する入居者が増えるでしょう

つまり老人ホームでは細々と医療の世話になって長生きしたい人と 短期間に最後を断食しながらも高度にエンジョイするコースを選択するか コストと所持金を意識して 好きな死に方の選択権がある

最近ピースボートで地球一周した方の話を聞きました

80過ぎで 3か月100万円の短期老人ホームの積りで 家族から乗せられた方も多いと云う

年寄りでも男は女を求めている様子がありありだとも言っています

1000人の乗船者のうち3ヶ月で3人は亡くなるのは妥当な話です

実際はもっと多くなるような老人向けの仕掛けは出来そうです

まるで集団補陀落渡海船の様ですが ビジネス的にも可能性があります

 

最近 「小さな死 petite mort」と言う言葉を知った

情事の直後の 短くて深くて完璧なとろとろの昏睡を フランス人は " 小さな死 "と呼ぶ

集団で 死を満喫するようなそんなことを何で行うか

エロスだけではないので まだまだいろいろな人の意見を知りたく思います

 

 

もう一つの 命を賭けてでもという使命感のある老人には それをサポートするようなセンターが必要です

現役の若さでも自分だけでやるには大変難しいくらいだから 老人では尚更です

社会的に容認され これをサポートするセンターが必要だと思います

 

一つ目の恥のかき捨てのための施設は

安楽死(推進)センター(LSD等を合法的にやれる特区)

老人サポート・エロスセンター

ハロー・モリ(死ぬ前にやりたいことの支援センター)

 

などですが 使命感ある老人をサポートするには

「必殺仕掛人請負センター」などをマイクは考えています

老人が罪滅ぼしとして あるいは社会の世直しのためにテロ紛いをすることです

これは難しい問題がありますが 考えるに値すると昔からのマイクの思いです

 

読後感ブログには 必殺老人道として思いを語っています

2008/4/16 「マイクの必殺老人道」 @読後感ブログ

とうとうここまで来ると マイクの老人道 つまり必殺老人道をマイクの理想としてもっと考えなければなりません

しかしそう簡単ではありません

2008/4/16 「危険な思いに未練を残すマイクです」@読後感ブログ

何度も書きました懺悔をどれだけしたか どんな罪滅ぼしが出来るか それで世直しが出来るのか
必殺など無責任なことを口にしていいことなのか
家族的社会的生活をしている者の言う言葉かどうか・・・・

 

マイクは悩みながらもこんなことを無責任に書くしかないのです

 

HPの古人のパワーには 世直しのことを書いています
今 年寄りのすべき事 それをしなかったら 閻魔さんはどんな罰を・・
よく考えてから年寄りは死んだ方がいい・・・死ぬ前にすべき事がと
考えただけでは閻魔さんに許してもらえない・・・まだそこまでなら 勿論死なない方がいい

既に世の中には罪滅ぼしをしている立派な人が一杯いる
退役軍人がベトナムで 残留不発爆弾処理で償いを
見張り番 大阪ヤミ専従等暴く オンブスマン弁護士など必殺を職業として
実に頭の下がる方々が大勢いる


先ずはやれる事を少しでも多く その数で閻魔さんに許して頂く
出来ればそのうち仲間を募って 年寄りの世直し軍団を作りたい
年寄りは死ぬ前なら何でも出来るはずだ

福島原発の放射能処理をかってでる老人たちに頭が下がる

マイクも近ければやってみたいと思っています


それをしなければ地獄にと分かっている者も多い筈だから
具体的に何をするか それは十分考えなければならない
もっと罪を重ねる事の無いよう 閻魔さんと相談してからでないと・・・
決闘は法律で禁じられているが 仇討ちはどうなのか
コンプライアンスや告発が仇討ちに発展して行かなければ世界は救われないのではないか
コンプライアンス会社が出来ているように これからは仇討ちや世直し請負会社やNPOの時代に
色々危険な思いを致すマイクです

 

 

 

話を少し変えます

沢村貞子の死を語る本を読んだ

「沢村貞子という人」 山崎洋子 新潮社
美しく老いるってあり得ない、と言っていたけれど、あなたは死ぬまで美しかった。脇役に徹し、手を抜くことのなかった仕事ぶり、引退する時の引き際など、女優・沢村貞子の魅力的な、いさぎよい老後をつぶさに伝える。

 

大原麗子もそう決めていたように 沢村も「突発性血小板減少性紫斑病」で入院したが在宅治療の一年半過ぎ 87歳の最後を 医療を嫌い断食で亡くなった
潔さは 美しく立派で 信頼される人たちに見守られて満足して亡くなられたと思います
信頼され見守られることの少ない者にとっては 潔いだけの死では 寂しい死になり 死に満足できないでしょう
やっぱり人生論としては 惜しまれて死ぬような生き方をせよと言うことになります
しかし 誰でもそうできる訳ではありません
だからそうでない人にはやっぱり満足して死を迎えるには 楽しい死の体験・実践がいるのです
そして言えることは 楽しい死は誰にでも必要ということではないのです

 

つまりこれまで考えて来た老人の為の 終いの住処とは 衆愚大衆のためであって 自尊心ある賢人いとっては無用なのです

自分で自分を御することが出来る精神性と経済力を備えている様な方には不要なのです

老人福祉としてサポートセンターがいるのは 自分の死について考え至らず だらだらと長生きして自己判断能力を失ってしまうようなヒトにとって 早く死んでもらうよう支援サポートするような施設がなければと言うことになります

 

 

ここで このようなことを実行に至る前に考えておくべきことを・・・

 

普通の(若者の・老人前の)自死との違い

不幸な老人が死にたくなるのは 若者自死と同じ状況と言える

些細でも簡単な死に方と そこに喜びも見つけられたら 自死を選び易くなるかもしれません

若者でも 元気な老人でも 此の儘生きているより価値があるような楽しい価値ある死を知ったなら選んでしまうかもしれない

 

そのような判断基準を果たしてはっきりさせられるでしょうか

楽しくなくても喜んで 進んで死ねる死とは

恨みを晴らそうとしての死(いじめの遺書や 覚悟の仇討死 特攻隊や自爆テロ)などは

 

独りで死を楽しむか 集団で死を楽しむか

 

マイクは老人ホームをウクレレ仲間と訪問し 彼らの生きる意義について考えようとしてきました

マイクがこんなになったら死んだほうがいいと思っても 他人にはそう言えない

 

難しい問題はまだまだある

何時それをするか

生きているより死んだ方がましかどうかの判断基準を自覚できるか

価値判断は未来予測が絡む

先も知れないようでは判断が出来ない

それを数値化したブータンの様な幸福度基準がいる

 

死に方に理想がある人達も確かにいる

「山男たちの死に方」 山際淳司 ベストセラーズ

世の中には色々と理想的な死に方があるのは確かです

山男であったマイクすらそれはそう簡単にできるものではない

それだから尚そうできる人を羨ましく思う

せめて最後には真似事でも

 

「楽しい死」を考え出して2014年1月で1年半になり 165回書き込んでいる

「老人の責務」も55回になる

何れも纏めるには多すぎるので マイクが悩んでいる様子だけを分かってもらうことにします

 

先ず本当に「楽しい死」があるか

それは誰の為に許されるのか

問題波及は

実現のステップとして誰が

センター化・ビジネス化は

障害者セックス支援ボランティアがあるように 老人版 終末期老人専用の支援センターもあっていいのでは

 

ワタミの新事業に 老人ターミナルセンター(終着駅)を実現できるか

高額保険料納付者には高度悦楽コース選択権を

低額納付者には限定即時コースの勧め

費用対効果 延命治療費VS悦楽支援費など考えてみたい

 

余生のコスト

生きる価値

不治の末期老人に限る

延命治療費試算費用以下での 安楽死推奨支援費用を健保で可能に

生命保険額とは違うと言いながら略これに等しい

「命の値段」で検索すると 年収と年齢と遺族人数等を入れると計算してくれるサイトが幾つもあります

「介護の値段」で検索すると 240万から1000万と出る

複雑な要介護度による給付基準によって 様々なレベルになることを理解できる

 

弱者と末期者の違いを明確にしなければ不可

 

などと悩んでいるが 考えは散漫になるばかりのようです

 

 

そんなマイクの悩みを知って頂くには ブログを読み返して頂きたいのですが 余りにも長いので タイトルだけでも眺めて頂けるようにしたいと思います

2015年6月で170件になるカテゴリー「楽しい死とは」のブログを読み返して要点をメモりますが 悩みながら少しずつ進展する様子を見て取ってください

 

2012/7/19「命を賭けた死を!」ボーッとしたまま死にたくない

2012/7/21「笑うだけでなく」ケアリングよりももっとエンジョイできるような死を

2012/7/23「 楽しいばかりではない命」楽しいばかりではないだけに 最後だけは楽しく看取り看取られたいものです

2012/7/24「死は楽しくなくてもよかった昔は」武士道には美しい死とか道義を通す喜びで死ねるのだと

2012/7/26「妙好人は死を味わう」味わうと言う余裕が信心や念仏で麻酔剤や麻薬のように

2012/7/27「キリストが死を味わわれたのは」神の恵みによって すべての人のために死を味わわれるためであった

2012/7/28「老人ホームにあるだろうか」老人大勢の前で老人仲間が演奏し 老人マイクは考え焦ります

2012/7/31「老老介護の現実」老人施設も レフュージなのですが マイクには楽しくは思えません

2012/8/1「思いのほか早く到来しました」肺がんの再検査指示がありました 死の楽しみを急ぎ考えなければなりません

2012/8/2「人騒がせでしたが」再検査でひとまず安心でしたが 探し続けます 見つかれば見つかったでひと騒ぎかも

2012/8/15「次第に難問たることを実感します」思いついたのは「老人は最後までエロごとに未練があること」「どうせなら最後に命懸けで何かすることがないか」

2012/8/15「小さな死で最期をどうぞ」エロ老人に味わってもらいたい素敵な言葉『小さな死 petite mortsexの後の気を失ったような状態

2012/8/16「沢村貞子の死に方」87歳の最後を 医療を嫌い断食で亡くなった 楽しい死は誰にでも必要ということではない

2012/8/25「痴呆が溢れる」11年度医療費が38兆円で 70歳未満は一人18万なのに 70以上は81万も使っている
       
老人があと10年生きると 800万以上の医療を受けることになる
       
それなら早期退職と同じように 早期終末を半額の400万で出来る「こんな楽しい死に方」で受けられたらとお勧めしてみたら如何でしょうか
       
リストラ効果で医療や福祉の合理化が進みます

        12年度は65歳以上の人の10%が認知症で 300万人を超えると言う

        介護は自己負担400万 保険扱い400万も掛かると言う
       
親族や国費でこれだけの世話になる価値がある命なのか

2012/8/27「ターミナル船の賛同者がいた」年間1千万円も使う終末期医療を選ぶより 介護保険でクルーズ船を用意し 思いっきり楽しんでそのまま下船することなく逝ってもらうなどのマイクのアイデア

2012/8/28「エロチックにハラールしてあげる」屠殺される牛にとっても楽しい死に方を考えてあげたいものです

2012/8/28「生きることの対価」障害者の生きる価値を問うこの本はマイクの老人終末論を後押ししてくれているように思えます

フォームの始まり

フォームの終わり

2012/8/29「面白かったと言えない人に」辛くて死にきれない人が殆どだから 皆ついつい長生きしてしまうのです 死にきれない人の為のことを考えるマイク

2012/8/30「楽しく死ぬには頑張りが」生き方には 頑張りと頑張らない生き方の両方があるようですが 死に方は絶対頑張って考えておいた方がよい

2012/9/1「セックス抜きで死ねるか」戦後延びた人生のプラス30年は 性の問題を抜きに語れない男女関係を生活の軸にすべきとある

2012/9/2「誰もがしたがるお勧めの早死にとは」スイスでは1941年から自殺幇助を認めており 末期患者などがスイスを訪れる「自殺ツアー」が

2012/9/2「エロスは魅力的ですが」竹島を日韓ともに利用できるターミナルエロスセンターに

2012/9/3「宇宙への安楽死ツアー」スイスの「自殺ツアー」の費用は6万位で 自分で服用できる人に限ると言う条件

2012/9/3「女もエロスに執着」女専用のセンターとすべきか 男女混合センターでは火宅の人ばかりとなっては何だかみっともないと思う

2012/9/4「命のコスト意識」医療倫理京都大学こころの未来研究センター教授カール・ベッカーは「命にもコスト意識が求められる時代になると

2012/9/10「百年後には確実に生も死も」マイクの考える楽しい死に方もこのように一般的になるのはもう直ぐのように

2012/9/10「ペットのことをも考えよう」倫理とは誰もが納得できる基準が前提であるとベッカーが言うように 100年かかるかも

2012/9/12「猫にマタタビ老人にLSDLSDとバイアグラがあればいいのかもしれませんが ターミナルエロスセンターやボランティアと言った受け入れ体制も

2012/9/12「猫にマタタビ人に?」一度最後にやっぱり確かめたいことの一つです 文化人としては・・・尚更です

2012/9/13「どんな死に方?地球最後と分かった時にと言うケースと 老人終末期を重ねてみることを思いつきました

2012/9/13「未練を捨てられるか」未練も少なくなった老人には未練を捨てられる程良い方法ぐらいはありそうですが・・・

2012/9/17「「いつ死んでもいい」は生き方でしか」人生は実に中途半端な道端のドブのような所で突然終わるもんだよ『マルタイの女』

2012/9/17「「死んでもいいは」感嘆詞」僕は僕は旅の果て これより先はないから 愛の愛の愛のため 死んでもいい僕は今 終末エロスセンターの歌そのものです

2012/9/17「「もう死んでもいい」は怖い」36歳で 今年の3月14日に 10月29日に死ぬと決めたブログのようです

2012/9/19「命のコストを考えなければ」命の負荷コストと楽しい死に方が見つかったとしてそれにかかる費用を見積もってどちらが経済的に有利かを考えてみます

2012/9/21「やっぱり命はコスト」超党派の国会議員連盟が尊厳死を法制化する準備を進める中 「尊厳死の法制化を認めない市民の会」がこのほど発足したとの新聞記事

2012/9/21「先ず簡単にコストを把握しておく」介護750万と医療2000万の2750万が終末期老人のコストなのです 28兆円にもなり医療費全体の半分

2012/9/22「生きる価値という見方もある」生きている命の値段とは生命保険と同じ程度のものではないでしょうか

2012/9/25「悪知恵で生きても死は格好よく」生きるには見っとも無いことも・・死ぬ時は家族知人に嫌な 思いをさせない気配りをして 恰好よく死にたいものです

2012/9/30「生きる価値と死ぬ価値」もし生きている価値や負荷コストより 死んで得られる価値が大きければ 死んだらいいことになります

2012/10/2「呑気にはなれない」2050年は韓国の半分の稼ぎ 日本の平均年齢は52.7歳 アメリカ40歳と言う

2012/10/3「金もない惨めな死を見たくはない」幼児虐待や障害者虐待防止法案は機能しても 高齢者虐待法案は機能させる余裕がないかもかも

2012/10/5「社会不安の中で癒されての死」やがて在宅死や死にゆく病院と同じようにエロスセンターも健康保険や介護保険で支援されるように

2012/10/10「やがて高齢者排除が」終末期安楽死が容認されると言うことは 終末期老人だけでなく社会的弱者が排除されてゆく危険性を孕む

2012/10/14「死にたくなるには・・するには・・」終活本には答えがない

2012/10/15「貧乏老人には楽しい死は必須」1000万人の貧乏老人の大国となるとある 予測本3冊を是非見て欲しい

2012/10/16「唯の生を良い死に」ただ生きて存在することを妨げるこの社会を 「生きたいなら生きられる」社会へと変えていくには何が必要か 立石真也は真剣に

2012/10/18「老人が経済システムを活性化」痴呆でなくとも 末期老人も精神病棟と変わらないお客として大事にされている

2012/10/18「自分を看取るべし」納得できる死に方はと問う 延命主義からQOL重視へ

2012/10/20「罪深き老人は共に贖罪すべし」貧困社会と暴力老人で やがて収容所建設ラッシュになるであろう ライファーズとは・・

2012/10/21「貧困と格差の老人に危機迫る」高齢者犯罪の怖い話が・・次々と

2012/10/21「楽しい死など考えていいものでしょうか」痴呆福祉に接して考え込むマイク

2012/10/21「益々確かに訪れる暗雲」安楽死の本の紹介

2012/10/25「エロスセンターとLSDも満更ではない」大麻について勉強

2012/10/29「「無への道程」にマイクは悩む」「無への道程」なるブログの36歳の若者が 今日に死ぬと決めたその日にとうとうなった

2012/10/30「「無への道程」は何か可笑しい」やっぱりおかしい

2012/11/1「楽しい死など要らない日本人」異常に苦痛を好む民族だと言う こんな国民に「楽しい死」など不要なのではないかと  英国にはナチュラルデスまである

2012/11/5「無への道程の前に修行を」死への道程を白幽に学ぶべし

2012/11/8「子供の死と大人の死」生き方も自己責任であると思えば 死も諦められるのではないでしょうか

2012/11/12「現実は難問のまま」命の倫理と現実の乖離があるようで 簡単ではないがまた何とでも言える難問で終わってしまうようで

2012/11/14「認認介護という現実」認知症の方々に対する人権のあり方についてはまだまだタブーなのかもしれません

2012/11/16「犯罪老人確実に増える」楽しい死に場所として 安定して刑務所暮らしするのが繁盛する

2012/11/19楽しい死が いつか新しい死になる」脳死が「新しい死」として既に浸透していると言う 楽しい死も・・

2012/11/19「シニアしっかりせよ!は尤もだ」今時の老人は確かに早くから遊びすぎで これでは楽しい死など

2012/11/19「死にたくなるほどのことがあれば」未練のことや生き続けることの価値を問題にするようになれば どうしても積極的な楽しい死が必要

2012/11/20「認知症は手に負えない」認知症にも楽しい死が適応されるとは考えられません

2012/11/22「終活本花盛り」本当の最後の本人と これからの日本の悲惨さを見つめようとしていないのではないでしょうか

2012/11/23「積極死(楽しい死)のすすめ」太田典礼が先駆的反骨活動をしていたことに頭が下がるフォームの始まり

フォームの終わり

 

2012/11/24「カール・ベッカー講演を聴く」命のコストをどう考えたらいいかの質問ができなかったのは マイクの失敗

2012/11/25「太田典礼の後継はベッカーかマイクか」戦後は死を見詰める事を避ける国民となり 性は解放されたが 死は逆に封印された

2012/11/26「老人島は富者のユートピア」弱者は弱者として 富者は冨者としての失踪を 神の定めとしているようです

2012/11/26「トインビーと典礼とマイク」トインビー福祉の根本理念を典礼が信心したように マイクも 信心すべきではないでしょうか

2012/11/28全自動自殺機械こんな機械があると 物騒などころか 何時でも死ねるので自殺が減るかもしれません

2012/11/29「いつでも死ねるが 今日は嫌」パソコンやネットの基礎を築いた一人であるクロード・シャノンによって考案されたマシンが 最高に面白いフォームの始まり

フォームの終わり

 

2012/11/29「自殺機械の話がどんどん弾む」自分でスイッチを押せるマシンのある部屋から逃げ出せないようになっていることも必須です

2012/11/29「エンドジョイ(楽しい死)を求めて」こんなことがマンガ雑誌に書かれていること自体に仰天のマイクです アートが未来予言

2012/11/30「密かなケアで 楽しい死を」生き残ることの負荷コストは 全てと言っていい程税金なのだと ベッカーさんは強調されていました

2012/12/1「誰でもを惹きつける楽しいこと」これをやれれば人生の最後にしてもいいと言えるものは簡単にはない様です

2012/12/2「老人とは言え 跡を濁してはいけない」仇を打てたら死んでもいいと言う願い事があるかも

2012/12/20「難しいミッションだからこそ」思考があまり発展していません ご支援お願いします

2012/12/21「地球滅亡の日にしたいこと」今日20121221日は 5000年のマヤ文明が作った暦の最後の日

2012/12/27「もっと頑張らなくちゃ」マイクの日頃のこんな思いを理解してくれる人は 多分無いでしょう

2012/12/27「安楽死支援保険を」終末期にそれを支援する保険のニーズは 直ぐにでも高まるのではないでしょうか

2013/1/6「死に自己決定権は成り立たない」一人で生きるにあらず 死も一人のものではない 社会と共鳴することを忘れてはいけない

2013/1/7「早死にの勧めは罪か」生きているだけで価値があるとする「死の共鳴」思想は 単なる理想か

2013/1/18「怖いどころか楽しいのです」怖くないどころか 楽しいと思えるようにならなくては 例え終末期といえども誰も死にたいとは思う筈がありません

2013/1/21「漂流する前に自己決定を」国や他人に頼らず 自己決定権としての死を自ら実行するしか解決 策はないのです

2013/1/22「社会が容認するには」麻生副総理「さっさと死ねるように」 高齢者高額医療で発言

2013/1/24「自死の勧めは罪か」現実の事例なくして世の中が変わっていかないのです

2013/1/24「依頼されても人を殺す薬を与えない」マイクはマイクだけでも 楽しく 健保ではなくとも自費で逝けるよう 相当の覚悟で準備しようと思っています

2013/1/24「終末期を定義しなければ」ガンの安楽死や臓器移植の脳死場面を前提とした死の判断基準を問うているのですが 老人の終末期と判断する基準などについては

2013/1/30「老人に駆け込み寺創設を」「さっさと死んでもらいたい」と発言した麻生副総理には 恨み辛み自暴自棄老人駆け込み寺創設プロジェクトを

2013/1/30「クライマックスで楽しめる?」身体を労わり天寿を全うするだけではなく 死ぬ日に最高のエネルギーになるようにし その勢いで死後の世界に突入 それをサポート

2013/2/7「木谷本を熟読する」山折や梅原ではなく 木谷老人に先駆けて彼らが自ら実践して見せて欲しいと

2013/2/7「エロスセンターは有用か」エロスセンターが終末期にはもう機能しないかもしれないと知らされたようで   

2013/2/7「終末期老人にもホスピスを」これくらいが叶えば死に切れますという程のものは果してあるでしょうか

2013/2/9「終活本はリビングウイルのススメまで」平穏死・自然死を勧める終活本が一杯溢れていますが リビングウイルのススメまでなのです
2013/2/9
「終末期老人に規制緩和を」大日本製薬ヒロポン 武田製薬ゼドリン 参天製薬ホスピタン 富山化学ネオアゴチン と覚せい剤を競っていたと言う

2013/2/15「楽しい死は社会的なニーズ」終活は 生き方指南として大事ですが 苦しい死を救ってくれません

2013/3/6「容易ならざることを誰かがやらねば」欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか

2013/3/7「自分の死は自分でではなく・・」世の中には行動をされている方々がいることを知って大いに興奮

2013/3/8「チャベスも並の人」チャベス大統領が 死去を前にして「死にたくない お願いだ 死なせないでくれ」と懇願したという

2013/3/22「嬉しい死もある」負債過多国日本を救えるのは 少しでも多くの老人が早死して資産放出

2013/3/26「安楽死施設に必然性はある」安楽死施設は 老人だけのものであるべきはずのものではありません

2013/3/28「快楽なくして何が人生」団鬼六の放蕩人生から見える エロスの永遠絶対性を知ることができる

2013/3/29「快楽教老人ホーム」80歳の岸恵子が 助平なら後期高齢者でも老いを知らないことを証明

2013/3/30「最悪でしかないのですが現実になる」末期患者や終末期老人や障害者が社会的に経済的に迷惑だとするような社会風潮

2013/4/6「そろそろ具体案を考察」禁煙・禁酒など以ての外です

2013/4/7「老人世直し支援センター」コマネチは死を賭けることの方が幸せだと選んで多難な亡命

2013/4/10「さっさと死ぬ前に現実の厳しさを」超高齢者医療の現場から - 「終の住処」診療 を熟読

2013/4/25「直ぐに麻生の思いが実現する」健保からの10万円程度ではなく 終末期センターで数百万円を

2013/5/3「廃品でも最後を豊かに」豊かな生き方ができなかった老人でも 最後の最後くらいは「楽しく豊かな死」を

2013/5/4「終末の貧乏は豊かさかも」終末期には貧乏で終わるような人生設計を生前にした人間が豊かな生き方

2013/5/6「人生ゲームを最後に如何?」その保険機構は人生最後のギャンブル遊びを手伝ってくれて これでスリルを味わって 

2013/5/15「命の切除でリスク解放」楽しい体験の後なら 色々沢山の簡単な命の捨て方がある

2013/5/17「橋下とマイクの間違い」終末期エロスセンターで 老婆がエロスを語り求めるところをあまり想像したくありません

2013/5/20「補陀洛豪華船にエロスとカジノ」豪華客船を健保の終末期センター貸切とすると 多分殆どが女性ばかりでしょう

2013/5/21「自己尊厳的で明るい死」西欧は 死を自主的自立的で自己尊厳的に捉えるのでしょう

2013/5/22「桃源郷へのご招待」終末期だから有効で許される最後の楽しみなのです

2013/5/23「楽しい死にご批判を」自死サポートについても同じように社会的批判を受けながらの

2013/5/24姥捨てポストかもしれませんが」他人が強要するのであれば非人道的かもしれませんが 自主的な選択であれば尊厳的なのです

2013/5/28「老人用の清い風俗を」そんな老人には命を捨てるお手伝いとか エロスや覚醒剤などで満足してもらうなどをしないと

2013/5/30「清く楽しく そしてクールな」醜いとまで言われそうな死に方かもしれません

2013/5/31「介護はダメでも 死くらいは質良く」終末期・看取り期になったなら それ以上の長生きはめでたくもなく

2013/6/2「痴呆が4人にひとりの今」人権に絡んで痴呆は大変難しい問題です

2013/6/7「カルペ・モリ死を楽しめ」数多ある快楽の種類を知っておくことは 「楽しい死」の確実な願望に繋がるように思います

2013/6/11「楽しく死ぬのは犯罪か」老人にも犯罪者の精神病理学的な人間理解と同じように 精神鑑定や責任能力判定などの人文科学が必要に思います

2013/6/12「必殺老人道は男の死出の花道か」世直し老人必殺仕掛け人などは テロと同じく危険な犯罪でもあることを自覚せねばなりません

2013/6/15健保解約の還付金で最後は楽しく」安楽死の権利を健保・介保解約で主張することなら市民運動次第で実現出来そう

2013/6/23「助平なうちは死なない」橋下発言に絡んで風俗がいるかどうかでは 勿論津川は要ると粋がるが 田嶋は反論する

2013/6/25「心で楽しくバーチャルに生きる」心で生きる力(性力)(精力ではなく)が残っていれば バーチャルな欲望とその錯覚

2013/6/26「人間の本性とはエロス」心で生きることで楽しい思いができるような欲望を大事にしたいとの思いからくるものです

2013/6/27「安上がりな断食センターで快楽を」病院死ではなく 自然死支援老人ホームや もっと積極的に絶食死支援センター

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2013/6/29「人生の最後にすべき大事な儀式」他殺ではなく自死なら 性が匂うのは誰にも美しく思われて微笑ましい

2013/7/5「自暴自棄でなくカルペ・モリを」生へのチャージとは 死を前にして 人間としての価値が本当に現れるので 最後にそれを凝縮しようとしている

2013/7/10「安楽死は何時に」先ずは裏企業の勇気ある先行がなければ 法律やモラルも表に出ないのです

2013/7/19「幸福な死は誰のためのどんな死?」幸福に生きれば幸福に死ねるとは マイクには考えられません

2013/7/31「2800万あれば充分楽しく」終末期の健保解約返戻金で充分満足な最後を楽しめるかもしれません

2013/8/19「先ず楽しい死を寛容に」最後の在るべき姿を 人間として生前に  事故をしてからでは遅いのです

2013/8/22「安楽死センターに相談あれば」夕刊には 藤圭子の自殺が大きく載っている

2013/8/23「楽しくない満足死」満足死の方が実は個人的な思いで済ませられるから簡単で 楽しく死ぬことの方が色々と誰彼から言われて難しい

2013/8/28「火葬場に安楽死センターを」公営の火葬場が 健保施設として自死カウンセリングと 時には安楽死幇助をミッションとする総合安楽死センター

2013/8/29「ペインクリニックで安楽死」安楽死センターとしてペインクリニックに入院したほうが良いのでは

2013/9/9「これを最後に 未練を叶えましょう」それを叶えられれば「楽しい死」になるのです

2013/9/13「女の死に方はクール?」女はもとより現実的でクール  未練なく簡単に死ねるのでは

2013/9/18「既に多様な死と多様な介護に満ちている」答えが分かっているのに 誰も疑問や心配を持ちたがらない 

2013/9/19「ホーキング 安楽死を語る」最後はどうされるのか 論議巻き起こる死に方を期待したいものです

2013/9/19「息子への美しい責務かも」自らの生き死にを自らの意思で決める男や直葬が益々増えると

2013/10/4「マイクの思いをカタチに」金持ち孤独な老人を餌に群がる金貸したちが 醜い詐欺行為に麻痺している

2013/10/9「豪華補陀落渡海専用船」ほとんどの皆さんは やり残したことなどなく 何もせずに満足していつでも死ねるのではないかと

2013/10/19「悔いや未練を捨てられるか」悔いや未練を捨てられるのは心理学者とてそう簡単ではないと思いますが

2013/10/21「パコという薬物が 悔いを捨てさせる」安楽死がこんなに簡単で安上がりだとは知りませんでした

2013/10/24「豪華船に荘厳さを」厚労省健保が運営する補陀落渡海豪華船の実現を夢見るマイク

2013/10/31「センターの具体的構築を」少しでも具体的なデータを積み上げることでしか実現しないでしょうし 具体的思考がそれを

2013/11/14「不遜なマイクの死のメニュー」かといって生きている意味がないとは誰も言えません

2013/11/14「マイクは不遜?」終末期なら恥も晒してやりたいことをしたくなるのではと思う不遜なマイク

2013/11/25「ソイレント・グリーンの予言」優れた預言者が 40年前に映像にして見せている

2013/11/25「社会がくたびれてゆく前に」社会がくたびれるのを避けるには 人類として生を抑制するしかないのです

2013/12/15ウルグアイの大麻合法化大麻やヒロポンが日本を癒していた時代もあったのですが 

2013/12/16「元気なうちに 元気がなくとも」元気がなくなってもそうしたい人を支援するシステムを社会的にできる時代を

2013/12/16「俗悪な死を許したまえと・・」恥ずかしくなるくらい低俗なことばかりかも知れません

2013/12/18「ドラマ劇場としてのセンター」最後には人間ドラマがいっぱいあるセンター

2013/12/18貧乏人の最後は舞台でドラマを演じたこともない極普通の老人に最後の演技を

2013/12/19「アートにヒントを求めて」自動自死マシン等 アーティストが沢山考えてくれています

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2013/12/21「終末期は言葉で飾られる?」社会福祉を申告主義で済まそうとする行政

2014/1/3「大麻やLSDやパコの洞窟」弱者に対する強者の視点が自らの内にもあることを直視し 人は立場に責任を負わねばならない

2014/1/24「大阪に老人エロスセンター」信念あればやれると言うことを教えてくれているようです

2014/2/2「典礼会館が安楽死センターに?」テレビで葬儀場「典礼会館」のCMをよく見て 太田典礼に関係あるのではと気が付いた

2014/2/3「助平のまま死にたいなら」終末期エロスセンターは寂聴のような元気な老人の為でないが 死にかけでも本当にエロスを味わいたいと思うだろうか

2015/6/19「交合即身仏は今も?」立川流を知り わくわくして調べるうちに中沢新一の「ブッダの方舟」に石田梅岩のことが(追加)

 

 

出来ればブログを遡って読んで頂きたいのですが 1年半169もの書き込みがありますので この「カテゴリーのタイトルテーマ」『楽しい死』からフォームの始まり

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 マイクの思いの変遷を読み取って頂けたらと切に願います

 

こんなことを考えてばかりいても中々進展しないことに焦りを感じ 2014.2.7から『楽しい死とは』『老人の責務』を一先ず終わりにして 『心満たされて死にましょう』のカテゴリーで より実践的で具体的な計画を立てることにしました

こちらの方に専念し 一早い安楽死センターの実現に寄与したいので 是非ブログでコメントいただきご指導ご意見を伺いたいものです

 

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 「自死という生き方」須原本の読後感ブログ 『「須原本の読後感ブログ」をHP 『「終活本」紹介』 『老人の責務』 

        『心満たされて死にましょう その1    『心満たされて死にましょう その2 

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