最後くらいは心満たされて死にましょう その1

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自死本 読後感ブログ」のカテゴリー「心満たされて死にましょう」だけを 時系列に並び替えたページです

(但し 2014.2.7〜3.18 までを その1として転記しました その後はその2 とする積りです)

 

 他のカテゴリーも同じく 「自死本 読後感」 「終活本紹介」 楽しい死 「老人の責務」のページに纏めています

 

 またマイクの死生観を 別途 オリジナルな 『私の自死道』 として語るページがあります

 是非お目通しを

 

 

バブル崩壊後の疲弊した日本は 更に少子高齢社会に陥り 未来に希望を見いだせない

そんな格差社会の中の弱者でも 最後くらいは心満たされて死にたいものです

マイクのような歳になると 切実にメメント・モリするようになります

終末期が近付くことを恐れ不安がる私マイクのためだけではなく 社会までもが終末期を迎えていることをも感じてしまうマイクは 萬人のための死に方を社会のために考えざるを得ません

 

その切掛けは 須原秀一の「自死という生き方」を読んだことにあります(元気なうちに死ぬことを勧め実践した哲学者の本)

著者の脳天気な考え方を マイクはブログ『「自死という生き方」読後感』で批判してきたのが2008年3月でした(HP自死本「読後感」』に纏めています)

 

その後 哲学者須原さんの死に方を批判しながらも 自分の死を考えなければならないことを強く思い知り 考えたあげくマイクの理想の死に方を 別途HPで「私の自死道」として纏めました

 

その後は もっと現実的な死に方を急ぎ考えなければ理想の死に方などは実現できないと思い知り その頃から流行りになってきた終活本を読みあさり 同じブログのカテゴリー「就活本紹介」に取り上げてきました(HP「就活本紹介」に纏めています)

 

ところが個々人の死に方任せるだけでは済ませられないほどに社会は疲弊してしまっていることを強く感ずるようになってきました

このブログ2014/3/3「最後は満たされて」に紹介した本の「家族難民」にあるように 25年後に年20万人が孤立死するとある

それどころか 2012/4/14「自死先進国日本が見えませんか」他何度も紹介した

厚労省のこの資料では 2030年には 毎年47万人には医療も介護も支援できないので 自分で死に方と場所を探せと言っている

社会的弱者が増え続け 疲弊する高齢社会先進日本国は到底面倒見きれなくなると国が言い切っています

 

それを救うのは個人任せでいいとは思えません

マイクは自分の死に時を考えるうちに 社会的に「死の制度」が必要と感じるようになりましたが オランダのように安楽死などが日本社会に受け入れられる法律を待ってはいられません

その内マイクは「楽しい死に方」の必要性を強く感じて 「楽しい死とは」のカテゴリーで マイク自身の死に方だけではなく 社会的弱者への提案を考え探し求めてきました

終末期には 無駄な医療を拒否し 福祉財源の節約に寄与すべく早死にを 消極的ではなく 積極的に受け入れられるように自己決定できる「楽しい死に方」を支援する制度や施設の必要を感じてきました(マイクのHPトップのしいに纏めています)

 

考えれば考えるほど「楽しい死」が無責任な老人の戯言ではないかとも思うようになりました

決してそうではなく 責任と義務ある老人としてか考えていることを弁護しようと カテゴリー「老人の責務」としての考えも進めました(HP老人責務として纏めています)

 

その具体的探究をある程度してきたのですが 実現の難しさも感じて来た今は より早く確実に社会に認められるようにするための具体的計画に重点を置こうと カテゴリー「心満たされて死にましょう」として2014.2.7からブログで考え進めてきました

このページは それを纏めてみようとするものです

 

 

先ずそのカテゴリーのブログを以下に時系列に転記し並べてみます

 

2014/2/7「心満たされて死にましょう」

「楽しい死とは」1年半 「老人の責務」1年と このカテゴリーを設けてから 随分時間が掛かっているのに 将来に向けて何をすべきかが分からないままであることに焦りを感じています
そろそろここら辺で 行動として何をすべきかを考えるカテゴリーを無理やり立ち上げるべきかとも思う

このブログを進めながら 老人は「死ぬことを責務」とすることに殆ど異論がないように 思いました
それを分からない人はないのに そうすべき時が来ても誰にでも簡単に実行できないのは 殆どの老人が心貧しく生きてきたから まだまだ人生の未練を捨てきれないのです
哲学者心理学者の須原さんのようには未練を捨てられないので 安楽死センターなどの施設で 未練がましく生き永らえるより 最後の最後として「楽しい死」を用意して頂ければ 皆と渡れば怖くない三途の河原を満足して渡れるでしょう
そう思い信じてブログを進めてきました

そのような思いとアイデアをブログで考え続けてきましたが 少々マンネリ化してきました
イメージとしての安楽死センターや設立の難関はどんなものかはこのブログの展開で大体掴むことが出来ました
後は思い切って実践の道を走らなければ マイク自身の死に時に間に合わないのではないかと焦りの気持ちで一杯です

そこでここらで 新しいカテゴリーのタイトルを考え 今までの思いを確認しながら 今何をすべきかを考えてみたく思いました
そのカテゴリーは その時が来れば「心満たされて死にましょう」皆さん いらっしゃいませ!
自分の生き様を反省し 懺悔し 罪滅ぼしをして それから未練を叶える支援を受けてから 心豊かに「楽しい死」を味わいながらなら 皆誰でもが天国に行きたいと思うように マイクはそんなことが誰にでも出来るように支援する運動を起こしたい

それが終末期老人センターなのか 安楽死支援センターなのか どのようなステップで成し遂げるべきか 出来るだけ具体的に考えることで 実現を早めたいと言う思いです
?? !!

フォームの始まり

フォームの終わり

 

 

2014/2/8「老人のエロス支援からスタート」

ホラー小説と呼ばれるジャンルの作品も多いが 「死」と「性」を主題とした作品が特徴である坂東真砂子が亡くなった(12755歳舌癌が肺に転移)
怪異と性愛が絡む愛(エロス)と死(タナス)の破局(カタストロフィ)へ暴走

寂聴にも似た助平女のこの作家のフィクションとしてのタナスより 最後に彼女等がノンフィクションとしてどんなエロスな死に方を望んだか 知りたく思う
意外と平凡に清く美しく 苦しんで逝ったのではないでしょうか

それにしても人気作家のような助平女が世の中に一杯いると言うことなら エロスセンターは繁盛する筈ですが マイクにはそう確信する自信がありません
地味なセンターでいいのかもしれませんが そのような色々の要求に応える機能は備えておかなければなりません
それらがなにかは今までの考察を纏めれば結論が出るのではないか と言うことにしておきましょう

何よりも大事なのはまずスタートすることです
民間事業の地域センターとして 勇気ある人たちが 仮の館を作って 赤ちゃんポストを参考に 終末期老人受け入れセンターを 癌ホスピスに習って立ち上げることではないでしょうか
先ずはエロキチガイの老人の最後を支援する様な例に考えてみることにしましょうか
それが法律的にどれくらい制約されているのかを考えてみることから このカテゴリーをスタートさせてみようと思います

 

 

2014/2/9「養護施設から学ぶ」

終末期安楽死センターを合法的に立ち上げることに どのような障害があるかを考えるのをこれからの思考として絞り込もうと思っています
法律にも社会的にも疎いマイクが感傷的な気持ちだけでは何も考えが進まないでしょう
先ずは 最近TVで話題になっている「明日、ママがいない」日テレ水曜番組を見て 養護施設の実態を少しは考える気持ちになって読んだ本があります
「子どもの養子縁組ガイドブック――特別養子縁組・普通養子縁組の法律と手続き」岩崎美枝子 明石書店 (2013/12/18)

養子縁組にも特別(6歳まで)と普通があるとか また実際の難しさなど勉強になった
何よりも法律を作ること自体が 色々のケースや相互の調整しがたい絡み合いがあることで難しいのです
実際の手続き段取りの複雑さを 法律の課題や問題点と共に簡単でないことを知った

安楽死センターについては尊厳死以上になる煩雑でしょう
だからと言って今から怯(ひる)む様ではいけません
法律の前に 実践すべき何かがあるのです
養子縁組促進センターなどを立ち上げた方々の努力の積み重ねで法制化や制度の実践が進んだのです

 

 

2014/2/10「心満たされずストレスで」

マイクのもうひとつのブログ「腰痛日記」に次の終活本を紹介した

「生きる。死ぬ。」玄侑宗久 土橋 重隆 ディスカヴァー・トゥエンティワン (2013/12/13)

「現代人は死を恐れすぎている」と語る、禅僧にして芥川賞作家・玄侑宗久と
「ガンは闘おうとすると治らない」と語る、先端医療の第一人者である外科医・土橋重隆による、生と死をめぐる異色の対談が実現!
長年ガン患者の治療に携わってきた土橋氏の「患者さんの生き方・考え方が変わると末期ガンでも治ることがある」という言葉に、多くの檀家の死と向き合ってきた玄侑氏も大いに共感する。医と禅の第一人者が、常識のもろさ・危うさ、もっと自分らしく自由に生きる術について語り合う。


ガンは心の病気 心身症の一つ
心と身体 生と死 を対立概念と捉えるのは誤り
現代人は 何でもかんでも概念化しすぎ
考えすぎ 頭でっかちになり過ぎが ガンを生む最大の要因

等と 腰痛の半分が心身症と言うのに同じ論調です
2013/1/3
のブログで紹介した日本整形外科学会と日本腰痛学会が 「腰痛の発症や慢性化には心理的なストレスが関与しており 画像検査で特定できない腰痛が大半であるとの診療ガイドラインをまとめた」にある腰痛心身症因に同じです
ガンも医学会のエビデンスある報告がなされているのかは知りませんが ストレスある世の中は心身症でウジャウジャで 色々何でもの原因になるのです

終活本カテゴリーはそろそろ不要で 『死にましょう』の具体化実践を急がなければなりません
その為に「子どもの養子縁組ガイドブック――特別養子縁組・普通養子縁組の法律と手続き」をしっかり熟読しています
痴呆症の支援団体や アルコール依存症の断酒会などの講演会や集いにもこれまで参加してきて教えられ刺激されてまいりました
これからはそちらに重点を置いて考えようと思います
ストレスで既にいっぱい満たされてしまっている社会を見つめるばかりでなく なせることをなす そのなせることとは何か

 

 

2014/2/10「宇宙船地球号の生と死のバランス」

「滅亡へのカウントダウン()(下): 人口大爆発とわれわれの未来」アラン ワイズマン 早川書房 (2013/12/19)

加速する温暖化、続発する異常気象、生物多様性の喪失こうした環境問題の根本に過剰な人口があるのだとしたら、すべての文化圏に属する人が納得できる人口抑制の方法はあるのだろうか?さらに、絶え間ない人口拡大と成長に依存しない新しい経済システムを設計することは可能なのか?果たしてわれわれは、今後も存続していくことができるのだろうか?世界的な環境ジャーナリストが中国、ニジェール、インド、ヴァチカン、日本など20余カ国を旅しながら考える。人口学者、生態学者、経済学者、宗教指導者ら、あらゆる人々の肉声から見えてくる未来とは?人類が直面する今世紀最大の問題に迫る必読のノンフィクション。

強制的な断種手術を強行したインデラ・ガンジー政権は瓦解したが 避妊の意思があればブレーキになる
途上国にはその為の教育と安価な避妊具の提供が必須と言う

人口の抑制が性の抑制によってなるばかりではなく 生の抑制によってもなされる筈です
詰まり延命の抑制です
出産と死亡のバランスが取れないことによる地球・世界の歪が危機をもたらすことを迫力をもって警告する
だから生を抑制するためには死を推奨しなければなりませんとはこの本にはありませんが 是非考えて欲しかった
断種や避妊どころでない倫理的な壁があります

それでもどのような状態なら 勧めるべきか 如何支援すればいいのか 実現の課題や問題を 社会問題研究家が考え纏めて欲しいものです
それを期待できなければ そうあるべきと信ずる人は多い筈だから その人たちによって走りとなる実践行動を期待するしかありません
そのような試行から 地味に少しずつ実施体制を整えるしかないのです

赤ちゃんポストのような事業から発展させるしかないのですが 終末期センターは法制度に引っ掛からないどんな形が考えられるでしょうか

 

 

2014/2/10「保育所・特養から学ぶ」

東京都知事選で舛添元厚労相が 8千人いる保育所待機児童対策を公約し当選に繋がる
保育サービス利用児童数は22万人で 舛添得票は210万人 有権者数1千万人

65
歳以上の有権者数は300万人を超えると思う
特養待機老人数43000人(どんどん増える)特養利用者数はほぼ待機者同数?(増やせない)を考えるとこちらの方が選挙公約として効果的だと思う
宇都宮健児共産党の得票98万人の善戦は特養を強調したことかとも思う

保育所にも国からの認可のものと 承認しただけの民間のものがあるとか
その為補助のあるなしで月に費用が2万と6万の違いになるらしいことを知った

安楽死センターを民間で進めると 特養の3倍の経費がかかりそうで 終末期老人には相当の負担になるかもしれません
そう考えるとワタミがセンター運営するより 特養が安楽死処方を実践するのが安上がりなのです

特養でも死ねることを啓蒙する中村仁一さんは 既に簡易な安楽死センターを実践されているのです
安楽死センターなどよりそちらの方がより現実的なのかもしれません
頭を冷やして考え直す必要があります

 

 

2014/2/11「実践知の時至る」


「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の中村仁一は 京都で19964月から「自分の死を考える集い」を始めている
最近は特養関係者が類似の終活本を一杯出して自然死を勧めるようになった
宗教学者山折哲雄まで相乗りですが 消極的自然死としての自死を勧める

マイクは社会的経済逼迫の危機感から 積極的自死の勧めも将来必要になるであろうと予感して メメント・モリしてきました

確かに特養での看取りが支援されるようになり 2012.6.12のブログで紹介したように 重い障害や病気・高齢で 痰の吸引や胃ろうからの栄養注入などが必要な人が増えたため 医師・看護師だけの医療行為の一部が 介護福祉士や研修を受けた介護職員にも認められるように124月 医療的ケアとして法制化された
特養や在宅での看取り死が3万件?ほどに増えてきている

しかしこれからはその需要は能力以上に加速的に増えるのです
待機老人が看取られることなく苦しんで 心満たされることなく逝ってしまうのです
特養の拡大に待つだけでいいのか 特養より簡易化専門化した安楽死センターは必要ないのか
まだまだ学び考えなければならないが  そろそろ実践知(理論の前に実践あり)

 

 

2014/2/13「法的制約を潜り抜けた慈善事業」


中村仁一さんの本を読み直してみると 特養などで自然死が簡単に出来るどころか既にやっているので 安楽死センターなど不要だと言っているように思えます
社会的にも反発もなく 只これから世に広まればいいと先駆的事業実践と長年の啓蒙活動をされていることには頭が下がります

厚労省も老人福祉増大による財政窮迫を 在宅支援で逃れようとしているのですが 果たして現実的かどうかは疑問です
批判を受けながら 望まれない赤ちゃんを殺害と中絶から守ることに「赤ちゃんポスト」は法的裏付けもなく実践されている
「いのちの電話」だけで自殺者は救えるか
特養や在宅介護・医療だけで 財政逼迫と看取りの場所がない老人を救えるのか そして安楽死センターの役割を果たせるのか いのちの電話と同じように それで十分かを考える必要があります

赤ちやんポストは 法的裏付けが十分でないにも拘らず ベルリンの壁崩壊後のドイツ国内にて旧東ドイツ地域を中心にNPO・キリスト教団体・病院などにより次々に設置され 2005年時点で80ヵ所を超えている
特養での自然死は確実にこれから増えてゆきます
特養が本当に増えれば 貧乏な終末期老人の数に合わせて増えることでしょう
富豪は自分で好きなようにすればいいでしょうし その為のビジネスとして「ワタミ」などがサポートするでしょう
しかし大半のこれから増える年40万人の自分の看取りを考えなかった団塊世代以降は 行政は申告がないとして費用や手間のかかるこれらを無視して済ますのです

安楽死センターは 地域のコミュニティーとして 民間・NPOなどの 法的制約を潜り抜けた慈善事業として実績を積むしかないのでしょう
特養での自然死を待つだけではなく 安楽死センターで積極的自死支援をしなければ追いつかなくなることを予感するのです
尊厳死法の次に 安楽死法が出来上がるのを待ってからではなく

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2014/2/14「やっぱりヤクザに期待?

「ベルギー、安楽死の年齢制限を撤廃へ」今日のニュースに ベルギー議会が 上院は既に昨年12月に可決している安楽死に関する法改正案を下院が13日賛成多数で可決した とある
オランダでは12歳以上の安楽死が認められている
ベルギーでは2002年に特定の条件下での安楽死が合法化され、現地報道によると12年には年間1432件の安楽死が報告された
従来の条件と親の承諾や本人の判断能力(医師に加え精神科医または心理学者とのカウンセリング)を確認することが求められる

フランスは結婚の寛容さばかり哲学しているようですが 庶民と謂えども哲学する西洋人は斯くも多方面に色々と先行しています(イタリアは2014/1/10に紹介したように 精神病院を閉じて 全土に公的地域精神保健サービス網を敷いた)

西欧には 日頃哲学する文化があるからですが 理だけでは斯くもならない
実践知(理論の前に実践あり)の実践道と言うチャレンジ精神も旺盛なのです


そのような素地のない日本で 文化を育つのを待つだけでは安楽死は不可能でしょう
イタリアのような公的サービスを期待できる筈もなく 特養かもっと目立たないNPOか ひっそりヤクザ的に請け負う事業家が現れることを期待するしかありません
Hashigozakura
 201312.1から

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2014/2/17「心配性のマイクは」

オランダやベルギーでも安楽死が社会的に容認されたと言っても 自己責任・自己決定の文化によるもので 他者や社会は消極的に支援する制度です
マイクがそのうち必要悪となると考える積極的支援の合法化は 高齢社会先進国日本に必然的に潜行的に先行発生するものだと考えます

それが公的な特養などの施設で先行してやれるのか 或いはヤクザ的に潜行するビジネスに待つのか
これまでマイクが考えて来た終末期安楽死センターでなくとも 特養や(2014/1/10「医療介護はビジネスでいいのか」に書き込んだ)神経・精神科や(2013/8/29「ペインクリニックで安楽死」に書き込んだ)ペインクリニックで 赤ちゃんポストが鹿児島で生まれたように 先行的に受け付けて欲しいと思っています

既に中村仁一さんは 特養での自然死を数多く導かれている
自死支援・黙認が法的に容認されているとは思えませんのに自殺幇助・黙認の罪とはならない実績を重ねられている

であれば マイクの様なセンター構想など考えなくとも 時代の要請と共に中村式特養がこれをカバーしてくれる様に普及するでしょう
中村式はこれを見通しされているのかもしれませんが しかし時代の加速は凄い
もっと積極的な制度が必要になるかもしれないことを考えて 心配性のマイクは考え続けます

 

 

2014/2/19「ゴリラよりも人らしく味わって」

昨日 KUNST ARZT で 笠原美希〜麗しき私の庭〜の個展を見た(223日まで)
壁面に芥子の花園を投影した明るいギャラリーは そのまま最近流行りの家族葬儀会社に採用されたらいいのでは思いました
臨死体験をイメージしたようようなので 次の本を紹介した
「プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界」エベン・アレグザンダー 早川書房 (2013/10/10)

名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたエベン・アレグザンダー医師。ある朝、彼は突然の奇病に襲われ、またたく間に昏睡時代におちいった。脳が病原菌に侵され、意識や感情をつかさどる領域が働かないなかで、彼が見た驚くべき世界とは?死後の世界を否定してきた著者は、昏睡のなかで何に目覚めたのか?

お返しに「ゴリラの死生観」について教えて頂いた
竹内久美子著『パラサイト日本人論-ウイルスがつくった日本のこころ』第三章 日本人の死生観-p111: 私は象ゴリラ-類人猿の死生観 にある話で ゴリラのココと研究者ルーリンの手話にこうある
ムー:ゴリラは死ぬと、どこにいくの?
ココ:苦労のない 穴に さようなら。“Comfortable hole bye.”
ムー:いつゴリラは死ぬの?
ココ:年とり 病気で。

紹介した本も凄いのですが ココも凄い
ゴリラは病を覚悟しながら心地よい自然死を信じていきる
マイクも病を受け入れたうえで 心満たされて死にたいと願う
それには中村仁一さんの自然死支援の特養もいいのですが マイクはもっと積極的に死を楽しみ味わって見たいと思っています
マイクの思いをマイクだけではなく 社会の為にもと思い その実現を考え探しています

 

 

2014/2/19「アングラの特養のルポを見た」

つい今ほど ABCテレビのキャストで 家族が選んだ「最後のかたち」として「終末期の家」なる看取り事業を始めた元看護士の佐久間さんの初めてをルポしていた
東さんの家族に代わって世話をされて 在宅訪問医には最後まで治療を受けない自然死ですが 7ケ月もかかっている
経済的にも家族愛にも余裕のある家庭だったことと 老人本人に生死観や自己決定能力に欠けていたことによるものなのではないかと思います

子供の将来に向けた教育が必要なように 老人は死を前にしてメメント・モリを責務とする筈です
しかし殆どそれを望むことはできません
終末期の家のような アンダーグランドの先行者が実績を積んで欲しいと願いますが 出来ればもっと積極的に時期を早める工夫が必要で それを社会や家族が理解するようになるには 老人自らがメメント・モリで教養を高めるしかないのです
心豊かになれば 積極的に死に向かえる筈です
老人の誇りとして
他人の家で他人に看取られる
終末期の家は余裕のある人だけのもので 老人医療や特養よりマシかも知れませんが 自分で考えればもっと豊かに楽しく・・・迷惑もお金もかけずに・・・家族にも社会にも優しく

 

 

2014/2/25「お寺さんもビジネスとして推進を」

「ドキュメント死刑囚」 篠田 博之 ちくま新書(2008/08)

子どもを襲い、残酷に殺害。そして死刑が執行された宮崎勤と宅間守。また、確定囚として拘置されている小林薫。彼らは取り調べでも裁判でも謝罪をいっさい口にせず、あるいはむしろ積極的に死刑になることを希望した。では、彼らにとって死とは何なのか。その凶行は、特殊な人間による特殊な犯罪だったのか。極刑をもって犯罪者を裁くとは、一体どういうことなのか。彼らと長期間交流し「肉声」を世に発信してきたジャーナリストが、残忍で、強烈な事件のインパクトゆえに見過ごされてきた、彼らに共通する「闇と真実」に迫る。

処刑すれば償いになるのか? この類の本は何冊も読んだ
無差別 自暴自棄な事件がなぜ若者に多いのか
23日また車暴走事件が名古屋駅前で起こった
将来が見えない若者の不安が心狂わせる
そのような社会にしてしまった老人には懺悔罪滅ぼしの責務があるとマイクは思う
その老人には将来がない浪費だけの存在で 罷り間違うと危険極まりない存在でもあるのです (2013/7/8 2013/6/11 2012/11/16 に書き込んでいます)
社会と老人自身がそう自覚するように 啓蒙する老人センターなどの活動施設が必要です

「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」 島田 裕巳 幻冬舎新書 (2012/2/29)
を読んだ
この本の「おわりに」にその答えがあり また宗派や檀家が消えゆくことを予測している
葬儀場や火葬場が安楽死センターを起こすべきではと 2014/2/22013/8/28に書き込んだ
この本を読んで お寺さんがやるべきではないかと気がつきました
団塊世代がやがて死ぬ時のピークを迎えると その後は葬式仏教でしかない宗教ビジネスの衰退が間違いないという

自然死を推奨する特養のような施設が安楽死を普及させるか 葬儀ビジネスが安楽死をサポートするか お寺さんが幼稚園事業のように天国生前体験卒業式事業をするか これからは多彩なビジネスの争いになるような気がしてきました
マイクが心配するまでもなく世の中はそうなるように思えてきました

 

 

2014/3/3「最後は満たされて」

25年後 年20万人以上が孤立死すると言う
パラサイトシングルが高齢化し 生涯未婚率は男30%女22%
諸々の事情で「家族難民」は増える

『「家族」難民: 生涯未婚率25%社会の衝撃』山田 昌弘 朝日新聞出版 (2014/1/21)

著者は 家族単位の年金や保険ではなく 個人単位にしたパートナーを作ることで救われると提言している
シェアハウスなどで繋がりを持つ社会の必要性を感じます

終末期安楽死センターでも繋がりのある社会性を味わいながら心満たされて死にゆくことを支援しなければなりません
ただ楽しければいいという訳でもありませんが そうなるには楽しいセンターがなければ格差老人には叶わないのです
格差と孤立から最後のひと時でも救われなければなりません

 

 

2014/3/6「死にも自己中なのです」

このカテゴリー「心満たされて死にましょう」の次は 天国を楽しみにしながらも まだまだ生きるのか 直ぐにでも死ぬべきかを どうやって決めるか覚悟するか この点を考えてみたい
生きる未練をどう捨てるのか 捨てられるのか それはいいことなのか それでいいのか

実際相当のご老人や 健康を損ねている方々を見ると なんとわなしで生きておられるとしか見えないことがある
だからといって生きる価値がないとは誰も言えないのですが 他人から言われるのではなく 自問すべきように思う

今のこのカテゴリーでは センターや制度の具体化を急ぐべく考えてきました
しかし生きる価値判断基準をしっかり考えて その答えができなければセンターを機能させることはできないでしょう
そのために次は生きる価値と死の価値基準を考えなければなりません

2014/2/25
の「お寺さんもビジネスとして推進を」で紹介した「ドキュメント死刑囚」 篠田 博之 ちくま新書(2008/08) に続いて 「死刑制度の歴史」ジャン=マリ カルバス (文庫クセジュ)白水社(2006/12) を読む

本書は、古代から現代までの死刑制度の歴史と現況を解説するとともに、死刑賛成論
者と反対論者の議論の道のりをたどってゆく。法学者、哲学者のみならず、作家
たちの見解も紹介している。死刑制度存廃問題を考えるための必読書。


安楽死を合法とするオランダは 死刑廃止国でもある
「汝殺すなかれ」と生命に絶対的価値をおくキリスト教が 死刑反対の決定的論拠である
安楽死は殺すのではなく単なるボランティア支援なのでしょう

正義としての死刑を宗教が認め 自己決定権としての自死を宗教が認めないなどの矛盾をオランダは悩ましく思っているに違いないが ともに制度化合法化している

知性は矛盾を超えられるということでしょうか あるいは寛容な知性が実現させたのでしょうか
寛容曖昧な日本なら 直ぐにでも実現できそうなのではと楽観視したくなります
しかし実際は 死刑を許すのに 安楽死を許せない 真逆な民族なのです
他人を殺しても 自分は生き延びたい・・・・

 

 

2014/3/12「梅岩の死生観を学びたい」

昨夜は 月例の石門心学修正舎の会舗で 京大こころの未来研究センター教授カール・ベッカーのところで学ぶ澤井努(後期博士課程)さんの オックスフォード留学体験記と梅岩研究についてのお話を聞いたあと 個人的にベッカーさんのことで気になっていたことを質問させていただいた

このブログ内検索で 「ベッカー」に関して11件ある
2012/6/9
「ラジオで終焉をテーマに」ベッカーさん語る
2012/9/4
「命のコスト意識」『地球文明の危機(倫理編) 新たな倫理をどう構築するか』稲盛和夫編 東洋経済新報社 に ベッカーは「命にもコスト意識が求められる時代になると」言っていている
2012/11/24
「カール・ベッカー講演を聴く」にあるように その後ベッカーの著作3冊を読んだか 命のコストについては全く語っていない
2013/1/22
「社会が容認するには」修正舎の総会の特別講演会で 講師ベッカーさんとパーティの席で マイクの考える「楽しい死」の必要性についてお話しし ストレートに共感いただけたようでしたし 健保で実施支援すべきとの考えには驚かれましたが 感心されても反論はありませんでした

麻生発言や太田典礼のことは理解しおられなかったことにはビックリでしたが 命のコストのことが稲盛編纂本にしかみられないことに違和感を持ったままでした

そこで昨夜 澤井さんにそのことを確認すると よく話としてはされるようですが 文章にすることは社会的に問題視されやすいのでされないのだと言われた
大学教授という地位を保守されておられるようで 少しがっかりしました

命のコストを生死価値判断基準として採用できるような時代を急がなければ いつまでたっても安楽死は万人が容認する倫理とならないのです

梅岩は実践を大事にした
梅岩の死生観について学ばなければなりません
石門心学の石田梅岩

 

 

2014/3/14「思い知ることから実践に」

『「心いじり」の時代危うさとからくりを読み解く』大森与利子 雲母書房 (2013/12)

もう「心理主義」「市場原理」に振り回されない!され放題、いじられ放題から脱する知の探求。本書では、教育、医療、福祉、労働、政治、経済等々。あらゆる生活領域が、いかに強者・識者・メディア主導の言説で構成されているかを捉える。そして、それらの支配的言説を吟味し直し、生活知再興への活路を見い出していく。

市場原理の台頭する中で 「自己責任」を内面化する強者の言説が力を持ち始める
お前のせいだと言われて苦しむ若者がアダルトチルドレンとしてのトラウマを背負ったそのような2000年という時期から10年も経った今 世の中には依存性やPTSD 社会不安障害と言った言葉で溢れる
心産業やセラピー産業がそこを狙って隆盛とか

それらの作法は 社会の構造的矛盾を覆い隠す「視点ずらし」の「目くらまし」装置だと言う
いくら「心いじり」をしても生きづらくさせている社会構造が変わらない限り 問題は「個人の心」に押し込められるだけだと言う

終末期の老人も 社会的弱者も 疲弊する社会の福祉弱体・無能力化に向かう中で 自己責任を問われて見捨てられるのは目に見えて近い
そのような時に 弱者には優しく簡単な自己処理を支援してくれる施設・機関が必要です
マイクが今唱えなくても やがてそうなる時に合わせて自然発生することを信じていますが 具体化実践を急ぐ心だけは保ちたいと思います
思いがなければその時が来ても ご都合主義の政府や強者には気がつかないのです

 

 

2014.3.14 これまでの書き込みを要約することにします

マイクが具体化を急ぎ センターなどを実現しようとせずとも 時代は確実に適応してゆくと実感してきました

卑怯な結論のようでもありますが 悲惨な現実が先行すれば必ずそれに対応してゆくのが社会です

一部の犠牲が必要なのでしょう

その犠牲にマイクはなりたい

 

 

 

 

さてこの続きは 2014.3.172016.3.16 を心満たされて死にましょうその2として 纏めます

 

 

 

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