私の自死道 白幽子を学び近付くマイクのそろそろのこと

2010.2.6

マイクスタンディング

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そろそろ死に方を考えるべき時期に来ているのは 古希を過ぎたマイクには当然で また切なくも確実で大事なことです

マイクの歳なら客観的にそうすべき(考えるべき)だと思うのですが でも周りの誰もがそんな風では決してありません

そんなことを言ったら殆どの人に笑われること間違いありません

しかしそう考えること自体が マイクのマイクらしいところだと マイクは思っています

恥ずかしがらずに そんな自負を持って宣言します

これから死ぬまで 焦らずしっかり マイクの死に方を考え続けます

出来ればそのようにして死にたいものと願うものに またそれが格好いいと思えるものに巡り合いたいのです

つまり そろそろ死に時が近付いたと感じたら 否その前に 自分の死に方を事前にシミュレーションして置くべきだと

 

 

マイクがこんな風になったのは ただ単にマイクが2003年リタイヤした後 することもなく歳をとったからではありません

アルコールが過ぎて 2005年に γGTP188になったときに 少しは死を近くに感じましたが 死に方について考えることはありませんでした

元々 50歳くらいから虚血性心筋梗塞や肥大の危険性を言われたり 脳卒中家系の所為か高血圧症であったり 長生きする自信はありませんでした

そのうち 学校同級生や入社同期が亡くなることが 再々になってきました

大学同期は25人中6人が既に亡くなっているのです そろそろかと思い始めていい時期です

それでも死について考えることはあっても 死に方までは考えていませんでした

 

癌には縁がない血筋かも知れないとひとり決め込んでいます

代わりに マイクが死ぬのは無茶苦茶運転を楽しみにしているバイク(チャリ)での事故死と 心臓病と脳卒中が 夫々三分の一かと昔から覚悟して決め込んでいます

死に方を考えていたとすると 病院で苦しんで死にたくないとか 半身不随のマイクを家内が面倒を見てくれるかどうかとか言う心配くらいでした

もう一つ 如何してもと思っていることは 死ぬ前に3日くらいは時間が欲しく 先ず友人に伝え 友人の見舞いを待ち 最後のお別れで感謝や嫌味を言うために その時間を持てる死に方を望んでいるくらいのことでした

 

 

ところが2008年 椎間板ヘルニヤになって 死にたいくらいの激痛のまま3か月寝込んでしまったときに 突然しっかり考え 始めました

どんな姿勢を取っても 注射をしても堪らない痛さだったのですが そう簡単に死ねないことを体験実感しました

 

加えて このヘルニヤの初めに巡り合った次の劇的な本の影響を強く受けました

自死という生き方」 覚悟して逝った哲学者 那須一秀 双葉社 1890円 初版2008.1.25

 

直ぐにでも死にたいくらいの激痛であった椎間板ヘルニヤのマイクは この本をもしや自分に下った啓示かと思って熟読しました

しかしその時はそれほど簡単に死んではならない事情があって マイクは今まだ命を自ら断つようなことをしませんでした

しかし元気なうちの自死を勧め それを自分でその通り実行した哲学者須原さんには敬意の念をずっと持って読みました

 

しかし突然のヘルニヤのマイクには 死ねない事情 それは実は 死に切れない未練があって その未練を断つことができないばかりか 未練こそ命そのものだと知ったのです

逆に簡単に未練を捨てよという著者のノーテンキに疑問を持ったのです

恥ずかしくも些細なその未練が何だったかをここでは語れませんが マイクにはどうしても詰まらぬ物でも大事なものなのです

 

哲学者の自死推奨論に逆らうには相当の覚悟がいると思いましたが ヘルニヤで動けないマイクには思考とパソコンに向かう時間が十分ありました

ブログを立ち上げ 全巻に亘って広く強く出来る限りの反論を毎日書き込みました

 

御遺族のことや 自殺幇助したとしか思われない哲学者の友人のことを考えると ブログと云えども簡単にはいい加減に 無責任なことを書けません

その本にないことや周辺のことを かなりの時間をかけて勉強してから反論をしました

それらはブログ 自死という生き方 読後感 を見て頂きたいものです

 

(もうひとつ ヘルニヤで苦しんで自死を考える機会になったヘルニヤについて 学び考えたことをもこの時期にブログにしました

腰痛と言う不明瞭な病についてのそれなりの考え方が ブログ「腰痛日記」として纏まっていますので是非ご覧ください)

 

 

これからはそれをベースに最近 自分の死について考えてきたことを述べてみます

死に方を考えても まだまだ命の途絶える心配の少ない人と 死が間近な人では 切実感が違いますし内容も違ってくるでしょう

平均寿命まで10年のマイクには 本当のこと切実感はありませんが マイク自身が間近な人になり切って考えておくことは 何れそうなるに違いないし 無駄ではないと思って色々考えるようにしました

それらの考えたことをここに纏めておきたいと思います

 

出来るだけ観念論でなく 実践論的に つまり死に急がなければならないくらい切羽詰まっている如く真剣に 具体的に 現 実的に考えました

 

先ず 死に急がねばならないようにとはどんな状態か設定しておかなければなりません

それによって具体性が決まってしまいます

それも色々の人のことを考えるのではなく 自分のこととして考えるようにします

マイクが心蔵病かバイク事故での即死であったなら それは考える必要はありません

生きていたころの未練も即死ならば消えてしまいます

マイクの場合は血筋的な脳梗塞や 性格上起しかねないバイク事故の後遺症で生き甲斐を失ってしまうようなことを想定します

そのようになった親父と親戚の男たちの最後を見てきたことが 私の運命を予感させてくれています

私の血筋で つまりこのような状態を最も可能性が高いと 自分で感じ悟っています

 

さて そうなったときに一番先に自分で判断すべきことは このまま生き甲斐もないと思いながらも家族などの愛に支えられて 或いはそんなものを期待できないかも知れないときは蓄えた自分の金で医者とか他人の世話になる方法で生きながらえるべきかを判断しなければならなくなります

生き甲斐について鈍感な人は幸せにもそんなことは関係なく病院で 或いは家族の世話で命の尊厳を保障されて生きながらえることになるでしょう

親父は兄の渾身の介護で20年を生き永らえましたし 親戚は皆そのような仕合せな男たちばかりです

しかし生き甲斐を考えることの屁理屈を楽しもうとするようなマイクタイプの人間には 自分なりのやり方や 他人の世話にはならない方法がないかと考えてしまうのです

他人の世話を余りしてないタイプの自己中的人間だからかも知れませんが 世話を受けることは他人に迷惑をかけることであり それに甘えることのできない辛さを強く感じてしまうのです

それよりも何よりも 我が妻は マイクが先にそんな風になったら冷たく突き放すだけの いやそうされても冷たいとは言えない事情があって 我慢するにしても 老人ホームへ送られるのは堪えられないマイクなのです

 

マイクはそのような自分を知っているので 仲間とウクレレバンド HOA HELEを組んで 老人ホームを訪問していますが 実はホスピタリティの一助にという高邁な気持からではなく あんな集団生活にマイクが耐えられるか現場を見ておかなければとの思いがあったのです

マイクには無理なのです

 

 

それならひとりで死ぬしかない

しかし自死はしたくない

簡単な 自死ではなくて 楽で自然で 尊厳をも感じられるような死に方はないであろうか

屁理屈でもいいから尊厳が欲しい

まず一番に考えたのは死に場所です

もしそうなったときは 自分で死に場所に行ける範囲の 近場でなければならない

それがあるのです

京都に移り住んで間もなく 東山連峰を歩き回ったときに 白幽子が巌居していたという史跡に巡り合った

京都造形芸術大学の東にある瓜生山の中腹で 白川石の産地でもあったところにそれがある

 

古人に憧れているマイクは そこで仙人としての白幽子を知って興奮するばかりでありました

その後何度もその場で座禅体験をしたりして 摩崖仏などを彫り残せたらとかの思いが募るばかりでした

ところがヘルニヤになった後 湯治のつもりで直ぐ近くにある北白川不動院の不動温泉に行くようになって こここそ白幽子がお呼びいただいたマイクの死に場所ではないかと気がついたのです

 

ならばそこでどのような死に方をするか

白幽子の死に方を参考にしたいのですが 伝説的な仙人なのでまだ調べきれていません

考え付いたのがそこで酒に浸って死に切ることではないかと

酒の飲み方には人並み以上に研究していて 「私の酒道」のページを このHPの「古人のパワー」のテーマに作ったばかりです

それは自死ではないかと言われるかもしれませんが 断食や補陀落渡海(ふだらくとかいは 日本の中世において行われた捨身行)と同じではないかと考えることとしました

そういう意味では 世間に言われる また須原さんの言う自死では決してありません

尊厳性は十分のレベルだと自負します

 

 

マイクは 独り餓死して死ぬと決めて生前よりそう宣言しその通りをなした大原麗子のファンです

あの惚けた振りに隠れて見えないウイットが堪らなく好きです

彼女は人知れず死んでしまいましたが マイクは餓死でもなく 人知れずでもなく ラッキーにも もっと自己満足できる方法を思 いつきました

独り断食餓死ではなく 見守ってくれる人があれば一緒に看取られながら 酒だけ飲んで酩酊し 般若になって断食死のように眠る

これこそマイクの見つけた補陀落渡海

 

さてそこへ辿り着くには タクシーをパブテスト病院で降りて そこから歩いて15

その時の健康状態 症状により助けがいるかもしれません

直ぐに死ねる訳はありませんから テント・寝袋の持ち込みや設営にも助けがいるかも

 

辿り着いてからは 酒だけで何も食せず 一日8合以上を飲み続けます

「私の酒道」で説いたように 8合は 肝臓を痛めるような量ではなく 基礎代謝としてのエネルギーになります

何日身体が持つかは分かりませんので 毎日これだけの酒は補給してもらわねばならないでしょう

そのような友人を探すのはそう簡単ではないかもしれません

 

ややこしいのは それらの方が自殺幇助にならないか

家族や友人や警察や通行人からの心配や干渉が必ず起こるでしょう

これらの妨害には 対策がいる・・・・

 

長期になるとその土地の持ち主からのクレームも来る

持ち主の調査はまだですが 近くの大山祇神社の近くの山林転売の看板を見つけたので その不動産屋に確認できるかもしれないと思っています

安く買い上げができれば最高です

 

力尽きるまでにどのような苦しみを味わうことになるか 想像しておく必要があります

途中で投げ出すようなことはやってはいけません

未練を思い出してしまうようでは格好悪い

ここは清沢といわれる白川砂の産地で 沢水もあり 水を啜るだけの断食に向くのですが 実際には 気候のいい時ばかりではありません

京都の冬は寒いし 夏は蚊やブヨに悩まされる辛さが苦難難問になります

 

難問に負けてはいけない

それには酒を飲み しっかり般若になって死に行くことを 楽しいことだと自覚できなければなりません

そのためには友人の見舞いは嬉しいばかりでなく励みになると思う

連絡などして 或いは新聞など見て来てくれるかもしれない

誰かに見とられながら死にたいものです

そうなればもう未練など忘れてしまうか 面子として恥じないように追い込まれてでもやるしかなくなります

この間の会社OBの新年会で 沢山見舞いに来てくれる約束をしてもらって自信ができました

見舞いを それでお別れにし 葬儀はなし

その場に土葬でいいのですが無理でしょうから 家族に火葬だけは頼まなければなりません

 

最終死因は自分で決めたアルコール依存症です

直接の自死ではないのですが 自分で選んだ死に方であるので それで敢えて自死道と言わせて頂きます

尊厳的自死 どうせ一人で死に行くのですから 独りよがりな屁理屈でもいいのではないでしょうか

マイクは自死道で死に行く

如何でしょうか

 

最後にひと言

死に方の尊厳以上に マイクは死に際して心していることがあります

死んで地獄に行くことのないよう 生きとし生きている間の行いのことです

このことだけでもしっかり自信が出来てからでないと 死ねません

日頃より 地獄からはお誘いがないと確信し そうあらねば死ねません

私の信念であり 地獄の存在を信ずべきと思うマイクの生き方です

 

未練を捨てることができないとか 閻魔さんに呼ばれそうでまだまだ罪滅ぼしが足りないようでは また何かに生きがいややり残しを見つけしまうようでは死にきれません

そろそろそれを自分で判断できるよう 覚悟や準備を急がねばなりません

 

今の準備状態では そしてそれがマイクに迫り来ているのか如何かと考えると 実現できる確率は半分もないかもしれません

しかし時間をかけて 切羽詰まる前に 出来るだけの努力をしてみようと思っています

 

獄中で毒杯を仰いで自死したソクラテスは 平然として死ぬことを練習することが 真に哲学することだと言っている(プラトン対話編「パイドン」から)

死の練習」は生の余力のあるうちに生死を哲学することです

それを哲学した哲学者だからこそ実践の決断ができたのです

マイクはそれに近付こうとしているのです

哲学とは怖いものだと思われてもしようがありませんが マイクは憧れます

キリストは死を恐れて死んだが ソクラテスは霊魂を愛し 死が霊魂を解放すると信じ 死を恐れなかった

フロイドは自我を失いデカルト的知的に毒で死ぬ

釈迦は看取られ微笑んで自然死した

現代人は死を忘れている

人は生きていたようにしか死ねない

 

最近友人から そのような行為は他人迷惑を考えない自堕落だとお叱りを受けた

正しくその通り 死に行く頃の自堕落状態の死を想定しています

殆どの人の死に際は 自分ではどうしようもない運命を悟っても 自堕落的になってしまう

その癖 そこに少なからずの人は尊厳を見出そうとします

 

尊厳などを考えたり見出そうともしないで 成行きに任せの自然死と言うやり方もありますが そしてそれが普通であってもいいのですが 見出したい人には 迷惑をかけないように自分で尊厳死を宣言するような 自分で選択するやり方があります

尊厳死をも本当に否定すべきかどうか まだまだ勉強中の私の尊厳死のシミュレーション的私の思考の一つです

私は理想の生き方・死に方を探していて いずれ遂に至る自堕落に際して選ぶべき方法として 迷惑最小としてのいま思案中の最も憧れる方法の一つです と返事しておきました

 

姥捨山捨てられることを恐れるばかりに またゾウが死に場所向かうと言われているように 自分から選びたい・・・

そんなところでしょうか

生きとし生来ている間に 生かされている間に 考えるだけでもいいから出来ることはやっておきたいと思います

 

自死を実践した立命館の須原哲学者は その家族と友人が敬意と信頼を受けてその哲学を出版されました

わが家族はそのような理解を得ることのできない凡人なので 大きなハードルになるでしょう

家族には最小の迷惑をと第一に考えていますのに

 

それにしても何時そのような自堕落状態になるか 推定もできないので だからイメージワールドを楽しんでいられるだけで それが救いのようです

運命を操作し 自堕落に至らずに 満足して死に至る方法を何方かお持ちでしたら 是非ともお教えください

命がどれだけあるかまだ分かりませんが それまでに答えが見つかるように 私に御支援お願いします

 

時代は 安楽死完全否定から次第に モルヒネを使ったりする消極的安楽死容認に 更には延命医療を拒否する積極的安楽死つまり尊厳死容認へ 更に医療技術が進み一般化すれば 安易な自死が蔓延するなどに進展し その時代時代の倫理哲学が必要になります

最悪 容易な親切からの他殺や 自死・他殺ビジネスが正当化され蔓延するのでは・・・

ここまでいかなくとも 鬱で安易にすぐ自死するインテリがドンドン増えるとか・・・

何れ人は哲学して死を待ちます

先取り実践した須原哲学を否定した私も 私なりの先取りをしようとしているものです

その道が間違いないかどうか自信のない私です ご叱正ご指導お願いします

 

 

「チベットの死者の書」と言われるチベット仏教の経典「バルド・ドトル」は 「生と死の間の状態(バルド)に 聴く(ト)ことによって解放(ドル)をもたらす」と説く

死を学ばなかったものは生きることを何も学ばないであろうとこの本の中の「死ぬ技法の書」の中で言う

 

(死後の地獄を自主的にそして過剰に意識しようとするマイクです

2010.5.28 に ギリシャ・ローマ美術館の定例「哲学カフェ」のテーマが 造形大の鈴木先生の「地獄極楽の造形」だったので久しぶりに参加しました

ヒョンナことから次会79日の講師を原田先生から頼まれてお受けしましたが 肩書をフリーダンサーとしたりして このような内容で失礼にならないかと心配しています

そのこともあって このページに 「読後感」ブログのエッセンスとして トップページの記事を追加しておこうと思います

出来ればブログもお読みください また須原氏の本は 死の練習の参考になると思いますので読まれることをお勧めします)

 

 

哲学カフェでの講師をさせて頂くについて 「読後感」ブログを要約して置くべきかと思います

須原一秀さんは 立命館大学で哲学の非常勤講師を65歳まで勤められ この本を残され 自死をもって信念を実践されました

腰痛で死にたいくらいだったマイクは感動し ブログを立ち上げました

以下 2008.3.30のブログのトップ記事を先ずコピーします

 

私マイクスタンディングは 2月24日の新聞書評欄でこの本を知る
書評を熟読しただけで共感し興奮するが だけど多分マイクにも納得できない言い分があるだろうことを察し 本屋へ行くが1月25日の初版初刷在庫は市内のどこにもなく 2刷版を予約して待って入手 やっと今日から読むことにして ブログを立ち上げました

読書日記として逐次書き込みますので 古い日付けの最後尾2008.3.30からお目通しください

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者 那須一秀 双葉社 1890

晴朗で健全で 平常心で決行される自死がありうる
65歳の春 ひとつの「哲学的事業」として著者が決行した自死
そのために書かれた遺稿「新葉隠」と 浅羽通明による解説を収録する

〈須原一秀〉1940〜2006 大阪生まれ 社会思想研究家 自身の哲学的事業として自死を遂げる 著書に「高学歴男性におくる弱腰矯正読本」「超越錯覚」ほか

1章 三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス、それぞれの不可解
2章 なぜ彼らは死んだのか?
3章 「未練」と「苦痛」と「恐怖」
4章 死の能動的受容と受動的受容
5章 自然死と事故死と人工死
6章 武士道と老人道
7章 弊害について
8章 キューブラー・ロスキリスト教徒の苦境
9章 補助的考察
10章 雑感と日常

予約してから今日までは書評サイトを読んで マイクのHPのBBS(古人のパワー)にこの本の期待と思いを少しは書き込んだ

私は 2月10日のコンテンポラリーダンス公演のための練習と 日頃のエアロの歳甲斐もないやり過ぎで きついヘルニヤになって要手術レベルの激痛の毎日
一カ月断酒謹慎で様子をみるべきとのことで 死に体 瀕死状態である
激痛は本当に 自死や安楽死を考えさせるくらい辛い
明日3月31日に手術の判断をすることになっているが 結果はともあれ我が身は否応でも自死寸前を体験し 自死を考えさせられる状態にある
そこで先ず読書し 読後感をここに記し そのあとマイクの思いなどを整理してみようかと思ったので このブログを立ち上げる事となりました
このブログにご意見を またマイクのHPにリンクして下さるようお願いします

マイクスタンディングのHP
http://mike12.web.fc2.com/top1.htm

HPのBBSのひとつ 古人のパワーのBBS
http://8602.teacup.com/mikekodaijin/bbs

マイクの腰痛日記になってしまったブログ
http://sky.ap.teacup.com/mike-st/


初めに話した書評を 下記に転記します
大阪府立大 森岡正博教授 2008.2.24 京都新聞 より

 これは真の論争の書だ
自殺について考察した本だが 社会思想研究家だった著者の須原さんは 人生を肯定したうえでの明るい自死は望ましいものであると本書で結論づけたのちに 二〇〇六年四月 身体も精神も健康なままで実際に自死した
六五歳であった
 自死の直前まで書きつづられた本書の内容は力強く 自分の哲学をそのまま実行し得た者だけがもつすがすがしさを湛(たた)えている
今の風潮を考えれば この本は社会的には丁重に黙殺されるかも知れないが しかし人間の生と死に関心をもつ者はぜひ読んでおくべきであろう
 人生で誰でも経験できるような「幸せの極み」を幾度か体験したがゆえに 「自分は確かに生きた」と日々身体で納得しており 今死んだとしても何の後悔もなく死ねると確信している人が 実際に自死すること
須原さんは そのような死に方のことを 絶望の自殺と区別して 「自決」と呼んで 擁護しようとしている
 須原さんは 自決を前にした自分自身の気持ちを点検して 人生に対する未練も 死に対する恐怖も おのずと消滅していって 気にならなくなったという
自決する人間の精神は まったく暗いものではない
なぜなら 「死ぬべきときには死ねる」という確信があれば 気持ちに雄大さと明るさが備わってくるからである
 「そこまでの確信があるのならば 別に自決しなくても 最後まで生きればいいではないか」という反論にたいして 須原さんは 痰(たん)でのどを詰まらせて苦しみのうちに窒息するというような死の迎え方よりも チャンスが到来したときみずから間髪を入れずに自決するほうが望ましいのだと主張する
 須原さんが念頭においているのは 人生の大半を経験し終えた老年者の自決である
自決の仲間作りも提唱している
ここまで確信に満ちた自決の実行者を われわれは正しく批判できるのか
本書は現代人ののどに突きつけられた刃(やいば)である

大変美しく書かれている
しかし読後のマイクには 勿体なさを拭い切れず そこに人権や社会性についての社会思想研究家の心を読み取ることはできなかった
書棚に備えておくだけでは済まない大事なこの事業のこれからに マイクの遠からないその時のために望みを託したい

 

さて ブログに本書の概要と 私の感想を 日記として書き込んでいますが ブログを時系列として逆読みするのは面倒なので 時系列に並べ直したページを作りましたので そちらを是非覗いてください

HP古人のパワーの 読後感のページ「自死と言う生き方 読後感」にリンクしてください

 

ブログ 自死という生き方 読後感」を 読み易い時系列に並び替えたものです

 

 

白幽子のことを最後に解説しておきましょう

 

2009.9.8BBSで マイクは高校の同級生でBBS友人コバテツさんに刺激され マイクの補陀洛渡海の地と決め込んでいる松風窟白幽子の巖居に行って瞑想して来ました と書き込みました
それは京都造形大がその麓にある瓜生山にあり パブテスト病院から山道を15分で行ける近さです
白幽は名を慈俊 石川丈山(15831672)の弟子で 兄の克と共に丈山の死水を取る
文禄
年間(1592-1595)頃の話と言う(丈山9~12歳となり合わない)

晩年ここで隠棲

  
1710(宝永7
)に 臨済宗の祖 白隠禅師(16851768)が 内観の秘法をここで授かって記した「夜船閑話」発祥の舞台であり お陰で肺病の白隠は83歳とか87歳までとか生きたと言う

「遠羅天釜」にもその時の顛末と白幽子から伝えられた内観法の内容がある

ウイキペディアにはほんの少ししか記述がない

京都の真如堂に かつて白幽子の墓と伝えられる石碑があったといい そこには没年が宝永689と刻まれていたという

一説には、享年240であったともされるとあった

会ってすぐ死んだか その一年前にすでに死んでいたことにもなる

しっかり調べる必要があるが マイクにはどうでもいい


白幽は後に鉄斎や小沢芦庵にも慕われる
白幽子巌居蹟として鉄斎が 白幽子名慈俊石川丈山之弟子石川克之弟也晩年隠居 此処嘗為白隠禅師説内観修養之法焉往年余与同志相 謀修其墓而余亦恐其巌及清泉之湮滅再議建石以謀 不朽 明治三十九年十月   鉄斎富岡百錬識并建 なる石碑を残している

 

『中庸』 『老子』 と『金剛般若経』だけが白幽子の机にあったとある

白幽子が自ら残したものは全くないと言うその通りの そのシンプルさがマイクにはピッタリいい

北白川愛郷会(075-722-5034/701-7982)の人たちが墓前祭を6月初旬に 小沢芦庵(9時からパブテスト病院内)と一緒にお参りしていると聞く

左京区浄土寺下馬場町(吉田神葬墓地内)に鉄斎の建立した墓がある(芦庵の後 神楽岡のシバ墓地に移動して墓参)

松風窟白幽子之墓 白川山居隠士 宝永六己丑初秋廿五日 白幽子墓旧在此所明治卅四年某月有竊去之者余恐古蹟亡滅因謀有志重修 之云   明治卅六年四月   鉄斎外史 とある

まだまだ近付く努力の必要があると思っています

これからが多くの大人との折衝で極めたいものです

マイクは自分の自死を実践できるか これからも色々と多くの人にご相談ご叱正願わなくてはならないと思っています

 

2016.9.4 追記

マイクは毎週のようにギャラリーで新鋭アーティストの作品を楽しんでいるのですが そのひとつのギャラリーPARCで 「タイルとホコとツーリズム」と題した谷本研と中村祐太(写真は麦生田兵吾)の作品展で 「北白川こども風土記」北白川小学校編 山口書店(1959)を参考にした祠巡り作品を見ました

その取り組みも面白く大いに楽しんだのですが その本には載っている筈だと感じて白幽のことを調べてみました

「仙人になった白幽子」174頁には 愛郷会の西村さんとのお話しが載っていました

 

マイクの知らない部分を記してみます

白幽は武州埼玉のうまれで 丈山80−90才白幽16―26才の付き合いではなかったかと

墓は 乗願時の吉田山のしば墓地にあり もう一つは徳弘大無が転居で土佐に移し 更に青山墓地に移したと云う

それを S17に京都の寺町の法輪寺に移したとある

M39年には富岡鉄斎がシバの墓地で 碑を立てたとしています

 

白川城の勝軍山の下の巌居の外に 第2の洞窟が びわ町の山奥に 10メートルの深さ2メートルの高さの穴倉があるとか

 

この本は凄い本なのです 映画にもなった

 

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「京都哲学カフェ」でお話しするについては このページの要約と マイクのHPのトップページと 須原本の読後感ブログの様子を コピー資料としてお渡しすべきでしょう

現物参考資料としては

ペットボトル4L焼酎

鏨とハンマー(摩崖物は無理としても 仏像紛いでも彫ってみたいと思い練習しています)

須原本の他 完全自殺マニュアル 完全失踪マニュアル 悪のマニュアル 催眠術完全マニュアル 超完全詐欺マニュアル 等 これからの勉強に参考にすべき本を用意しておきます

生きる勇気死ぬ元気 五木寛之・帯津良一 平凡社  うらやましい死に方 五木寛之 文芸春秋

 

自殺予防・自死遺族の為のシンポジュームや 各種依存症セミナー等の資料を参考に用意

 

数珠 仏教本 筆記用具一式 友人連絡住所録 (テント・寝袋・衣服・予備食などの生活具一式・・・蚊取り線香など・・・携帯電話 スマートフォン・・・)

臓器提供意思表示カード

 

絵葉書(ブルース ナウマン「100生きて死ね」@ベネッセミュージアム)

週刊現代2010.6.26「私の死に方 著名人13人が明かす 人生、最後が肝心です」

週刊現代2010.8.7「いい死に方 悪い死に方」1章幸福な死と惨めな死2章死ぬ前の準備3章死ぬときの思い4章死後の世界5章死の予習を!

 

生き死にの様をネオンの言葉にし点滅する

このHPを見た方々から 色々と死に方を考えておられることを知りました

自分の火葬遺骨を拾って頂く人を独りだけと決めているとか 80歳の誕生日に瞑想して死ぬと決め 平静にそれができると言い切る方など 夫々の思いも知りました

先取り実践した須原哲学を否定した私も 私なりの先取りをしようとしているものです

その道が間違いないかどうか自信のない私です ご叱正ご指導お願いします

 

自殺王国日本は 多様な日本人の死生観で 世界をリードするかも知れない    世界を救うのは哲学から始まるのです

 

人間死ねばゴミに 霊魂や霊界が無くても人類は残る   生物はひとりでに生まれ 独りで死ぬが 独りでは命は残らない

信心が霊魂や霊界をつくり 社会が保守的生活習慣を決め ビジネスが死までを形式的商品的にしてしまった

死は自己のものなのに 国家や家族を意識する近代は死を他者のものにし 現代は死を隠蔽し虚礼化商品化する 死を解放せよ

 

やがて個性的な生も死も稀になる 既成的な生と死しかなくなる

他者や弱者への尊厳を失うな

生まれてきてよかったと感謝し 安心して死にたい

 

蜀山人も道歌に「死ぬるとは ひとの事かと思いしに おのれが死ぬとは こいつはたまらん」

 

絶望しかないときにも 他人のものでもいい「人は希望によって生きる」ヴィクトール・E・フランクルアウシュビッ ツから生還した精神科医)の言葉

希望が見つからない絶望の死など 殆んど誰にもあり得ない・・・自死などあり得ないかもしれない・・・これを人の業と言う

人は未練と言う人の業に死ぬまで縛られている

ハンス・ホルバインにより描かれた死の舞踏の版画

メメント・モリMemento mori)はラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である

日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳されることが普通@ウィキペデヂィア

 

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2010.7.9 京都ギリシャ・ローマ美術館での哲学カフェを マイクは大いに楽しんだ

誰にも親密感を感ずる哲学的な話題だったので 皆さんの受け止め方が分かって 益々の思索の励みになりました

2010.7.9 原田造形大教授

 

 

追記2010.8.14

朝日選書642「ひと、死に出会う」週刊朝日編 2000年刊を読む

67人の死生観を98年より週刊朝日に連載したもの

その中に 早坂暁(92年生まれ 七人の刑事 映画「空海」を脚本する)の「一度“死んだ”ボクが送った猫」なるエッセーがある

 右の本にも 「アマテラスの最後の旅」として書かれている

これには マイクにとって通ずるものがあったので無許可ですが転記します

 

 ボクは十八年前、一度すっかり死んだので、その後はずっと没後になっている。正確にいえば、没後ということにしている。

 なんだか大袈裟と思われるかもしれないが、重篤な心筋梗塞と、末期の胆嚢癌と、おまけのように巨大な胃カイヨウが、同時にボクの肉体に出現し、担当の医師は半ばお手上げの状態で、僕に癌の告知をしてくれた。一応、手術はするが、死を覚悟するようにと、予告してくれたのだ。

 で、たぶん癌と心臓の、むつかしいダブル手術になるので、そのチーム編成に手間取り、実際に手術するまで約一カ月近くの待ち時間待となった。

 こんな“待ち時間は、たまらない。ボクはギリギリと音が出る感じで死と向かい合わされ、死を考え、死を忘れようとし、また、何百字も“死”の字を書いて眺めてみたり、英語やドイツ語でも書いてみたり、かつて名のある人たちはどんなふうに死と相渉ったのかと本を集めてみたり、いやいやビバルディの音楽を聞くのが一番だぞと、そうして見たり、できたら郷里の四国へ足を向けてみようかと、すっかり気の弱った六部(巡礼者)の気分になったり、エーイ、こんなにシンドイ難問に悩まされるのなら、いっそ死んでしまうのが一番の名解答かと思ったり――

 まあ、死についてはウンザリするほど付き合わされてきた気分になって、大手術後は自分を没後の人間と決めてしまったのだ。

 それで、没後のボクは死については、殆んど考えることが無くなり、例えば身近な人が死んでも、悲しい気分よりか、「やあ、こちらにいらっしゃったんですね」と思ってしまう、ようにしている。

 しかし、没後のボクにも“死に方”で心ゆさぶられることがあった。

 ボクは東京は渋谷の繁華街、公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフーズをプレゼントする援助交際をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。

 ご先祖様ということで、"アマテラス"という名がついている。

 そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえていたから、人間でいえば百歳か。

 彼女がゆるりと身体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。

 ――とうとう死ににゆくのだ。

 ボクはアマテラスの後を迫った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。

 ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止って休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った・・・。

 いってみれば弘法大志空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らの日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。

 アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を実感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。

 ボクは釈尊の最後の旅を思ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。

 アマテラスにも長に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。酢さまじい意思の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。

 「ボクなんかみっともなく、おろおろとするばっかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」

 アマテラスは、とうとう坂を登り切った。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこには信号機もないのだ。

 ボクは彼女を抱きあげようと近づくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。

 「停まってくれ!ストップ!

 ボクは車道に跳び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。

 「さあ、渡れ。渡るんだ。アマテラス」

 六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を止め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。

 非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるように行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは黄疸しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。

 「さあ、お入り・・・」

 アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入って行った。

「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」

 思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。

 「生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」

 うん、立派だったよ、アマテラス――。

 

 

追記2011.1.26

私の先輩のHPに 友人のエッセーを載せていて 共感するところがあったので 転載許可を頂こうとメールしましたが 先輩・友人とも返信がありません

それは 或る人生観 の中の 「老いと死を考える(森孝夫)」です

http://www.mobara.ne.jp/yukikato/lifestay/0life.html

許可はないのですが 一部を転載します

・・・・・

自分の命が消えて行くさまをじっくりと味わうのである。

私は死ぬならば女房と同じ肺ガンがいいと,わざと言っている。

そして,もしもなったとしたら,この年になって手術をする気はない。

・・・・・

自殺薬を作ったらどうだろうという話をすることがある。それはこんなイメージである。

10錠セットの薬を作る。値段は10万円くらいしてもいい。それは一種のLSDである。

1錠目を飲むと快適に眠れ,素晴らしい幻想の世界を味合うことができる。

2錠目を飲むともっと素晴らしい夢幻の里をさまよい,9錠目あたりではもう病みつきとなって飲まずにはいられないくらいになる。
しかし10錠目は赤い色が付いている。

飲むと今まで以上の目くるめく世界を体験することができるが,中心に筋弛緩剤か何かが入っていて翌日は目が覚めない。ただそれだけのことである。

こんな薬ならば現在の薬学の知識で,明日にでも出来るであろう。
もしもそれが売り出されれば私は2セット買いたい。1セットは試しに9錠まで飲んで10錠目は捨てる。

心地よさを確認して,あと1セットは,もしもの時のためにキープしておきたい。

犯罪に使われるとか問題はあろう。しかしそんなことはどうとでもなる。少々の弊害は覚悟してでも,それ以上のメリットがあると思う。

個人的にはこれもそろそろ,その合法化について研究を開始してもいいのではないかと思っている。

しかし,恐らく実現は難しかろうから,どこか東南アジアあたりでアングラで出来ないものかと,これは本気で期待している。

・・・・・・

人生そのものの定年を定めたらどうだろうと思うのである。

今の状況ならば75才くらいだろうか。例外なく全員強制的にお隠れいただくのである。

「楢山節考」を思い出して悲惨と思われるかもしれないが,私はそうでもないと思っている。

・・最近の会社の定年・・ほぼ全員が止めるということで不公平感がないこともあろうと思う。不公平でなければあまり心は痛まないのである。

実現はほとんど不可能であろうからお話だけであるが,・・・一律75才とする。そして幼稚園の頃から「人間は75才で終わりですよ」と教えるのである。

子供の頃から見聞きし,例外を設けなければそれほどの不安感はないのではあるまいかと思う。人生設計も終わりが決まっていれば大変やり易い。

どうやってお休みいただくかは方法論である。どうとでもなろう。

「クリスチャンコース」とか「浄土真宗コース」というのがあっていいだろうし,「酒池肉林コース」などというのがあれば楽しいかもしれない。

要はそこに行くとき,会社のリタイヤーの時のように「お世話になりました」とさわやかに言えるような仕組みを作るのである。

それに要する費用は90才までケアする費用に比べればはるかに少なくて済むのではあるまいか。

もっと発展して,早期リタイヤーの制度が出来ないものかと思う。

・・・・・・

LSD等の自殺薬 人生定年制 マイクも全く同じような心境です

他の章にも ユニークな思いがありますので是非お読みください

 

 

追記2011.1.30

読後感 或いは書評として サイトにあるもののうち幾つかを紹介します

 

感じない男ブログ(2080.4.17書評の反応)http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20080417/1208400442

地方紙新聞に この本を書評した評者からのコメント

全国紙には全くの黙殺であったことに 予想通りのこの国のマスコミの隠ぺい体質を見るとある

 

水のきらめき(つなぶちようじ)ブログ(2009.2.25「自死という生き方」http://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/?p=462

マイクがコメントし お互いに共感を得ています

 

甘口辛口kaze no ko)ブログ(2008.3.23「自死という生き方」の効用(1)http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/41700910.html

                (2008.3.23「自死という生き方」の効用(2)http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/41741618.html

                (2008.3.27「自死という生き方」の効用(3)http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/archive/2008/03/27

詳細丁寧な紹介がされています

 

志村建世のブログ(2008.3.5,6,7,9,11「自死という生き方」を読む(1〜5))(1)http://pub.ne.jp/shimura/?daily_id=20080305

3.11のブログの(5)http://pub.ne.jp/shimura/?daily_id=20080311には マイクのコメントと返答があります

レベルの高い書評で 訪問者も多い立派なブログです

 

NONVEYのブログ(2010.3.6「書籍の感想」)http://nonvey.oops.jp/blog/archives/2010/03/post-10.php

父の自死を止められなかった自分を後悔する方で この「自死指南書」を発禁にすべきではと切実に説く

 

うだうだブログ(2009.12.17「新書版」の読後感)http://na-inet.jp/weblog/archives/001426.html

哲学的思索の「結果」ではなく 「前提」に過ぎなかったのではないのか?   人生の高を知ることなく 癒しだけで生き延びる「受動的ないし消極的」な人間が多数であることの意味を須原は真正面から取り上げることなく逝ってしまったが その議論は生きている限り続けるしかなく そこにこそ受動的消極的人間の存在意義があるのでは と須原を責める

 

極東ブログ(FINALVENT)(2008.11.14「書評」)http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/11/post-22c6.html

素直な感想だけでなく 須原の関連書も読むなど結構嵌っておられる

多くの方のコメントがある人望のある方のブログようです

 

ユーザーレビュー goo 評判検索http://buzz.goo.ne.jp/item/cid/9/pcid/41479266/scid/0/tab_flag/4/

この書籍への多くの方からのレビユーが載っています

 

 

追記2011.2.14

死について考えることが多くなってから気が付いたことは 既に多くの本があるし また最近は加速度的にブームが来ていることです

 

死についての本は ジュンク堂書店では 「終活」コーナーを設けている程に多いのです
エンディングノート・遺書・3040代からの老後生活設計とか 死の準備としての実利的な本が一杯です
マイクは一歩進んで もっと積極的な理想的な死を考えようとしています
少子高齢化問題解決のために 死に安い時代が来て 積極的死が流行るに決まっているのです
そうなることは目に見えているのに 何故タブー視していられるのでしょうか
良い死に方をシミュレーションするくらいは 遊び感覚で沢山やっておくべきだと思います
その時に慌てないために

2010.4.22ブログに書き込み

2010.5.5ブログに書き込み

2010.9.27ブログに書き込み

新潮45 10月号 特別企画「"幽霊老人"社会」狂想曲 として 阿部定(今105歳)を追った面白いルポと 野坂昭如が 時に死を考えたまえ 安楽死こそ最高の老人福祉と 熱く語っている

 

 

追記2011.6.7

ラジオ深夜便今朝のAM1時からのアンコール「隠居大学」は谷川俊太郎がゲストで 隠居らしい死についてのご自分の詩を朗読された

 

          さようなら    詩集『私』より

 

    私の肝臓さんよ さようならだ

    腎臓さん膵臓さんともお別れだ

    私はこれから死ぬところだが

    かたわらに誰もいないから

    君らに挨拶する

 

    長きにわたって私のために働いてくれたが

    これでもう君らは自由だ

    どこへなりと立ち去るがいい

    君らと別れて私もすっかり身軽になる

    魂だけのすっぴんだ

 

    心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな

    脳髄さんよ よしないことを考えさせた

    目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた

    みんなみんな悪く思うな

    君らあっての私だったのだから

 

    とは言うものの君ら抜きの未来は明るい

    もう私は私に未練がないから

    迷わずに私を忘れて

    泥に溶けよう空に消えよう

    言葉なきものたちの仲間になろう

 

あっけらかんと出来る老境に至らなければ出ない言葉 詩人だから出る言葉に痺れました

老後の隠居は 斯様に身軽で生きたいものです

 

 

追記 2011.11.14

自死が大変容易でない行為である現在 また3万人もいるという事実 そして福祉が国家経済破綻の一大原因であることを考えると やがて世紀末には コンビニで自殺薬が風邪薬などと変わらずに買える時代になるとマイクは予測しているのですが 最近こんな小説を見つけた
「ようこそ、自殺用品専門店へ」ジャントゥレ
ブラックコメディですが マイクの想いにぴったりで 到頭こんな時代が訪れること間違いなしの 予感を後押ししてくれているようです

 

 

追記 2011.11.17

2011.11.8 と 11.17 の 読後感ブログに書き込んだもの

山折哲雄の「往生の極意」太田出版を読んだ
高齢化と格差の進む社会での死の有り様を 西行(断食)・親鸞(自然法爾)・一休(隠れ)・蓮如と一遍(念仏)などの往生観から読み解く
古来より 積極的に死を迎えたであろうことを 宗教学者として研究的に論じていて マイクも持論に自信を与えてくれるものであった
マイクは梅原猛や山折哲雄には メメント・モリ(死を想え)と言うばかりでなく 早く想うところを実行してみせるのが 彼らの天命ではないかと思っている
彼らにはまだまだの生に対する欲望が見えてしょうがない
老人の自死は 美しくも自然であるような そのように宗教的方法を 両宗教哲学学者が早くやって示して欲しい
やがて直ぐそのようなことが当たり前になる時代に先駆けるのが彼らの使命なのですから

 

 

山折哲雄80才が 11月8日の書き込みの 「往生の極意」太田出版 に続いて 「始末」ということ 角川ONEテーマ21 を書評で見つけた
西行のように ローソクが消えるように死ぬのが理想と云う
葬式はしない
墓は作らない
遺骨は一握りずつ山・海にまいてもらうと思い定めているという
前の書き込みに 人の自死は 美しくも自然であるような そのように宗教的方法を 宗教哲学学者が早くやって示して欲しいと願った
ここまで本にして宣言したのですから 那須一秀の「自死」に習って 実践して欲しいものです

 

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追記 2012.2.14

最近 佛教大学ビハーラ研究会に参加しています

ビハーラは サンスクリット語で寺院や安住の場所を意味しており キリスト教のホスピスの意味合いで名付けた佛大が ターミナルケアをテーマにして研究会をしています

今年度は 『死にざま』から学ぶ〜自分なりの死生観を確立するために〜 と題した公開講座が続いていて 考えさせられることも多い

 

例えば 2030年には 47万人の死に場所が無くなると云う厚労省資料がある

医療機関でも介護施設でもなく 自宅でも死ねないその他の人がいて ズバリ云って この方々は野垂れ死にか それが嫌なら自ら設定した死に方をするしかありません

それこそマイクが予感して 今から考えておかないといけないと云う死に方のことに外なりません

それができなければ 家族があっても野垂れ死にするしかないに等しいのです

今のところマイクに考え付くのは このページにて考えた自死しかありません

その自死を 納得行くものにすることができるのか如何か 今から急いで真剣に考えなければなりません

 

厚労省に任せ切れない斯様な現実を知って 誰がどう考えているのか 否 自らのこととして考えなければならないのです

もっともっと 死に近い我々が自分のこととして話し合いたいものです

その積りでビハーラ研究会とお付き合いして行こうと思っています

 

グラフを見ると 厚労省の財政現実を打破するためには 自死の勧め以外に何がありましょうか

社会的容認は時間の問題のように思います

死に易い社会の確立が近付いているように思います

何もしなくても 何をしてもそうなるようにしか思えません

 

マイクの考えが とても怖いものだと思うからこそ こうして書き込みながら誰かのご教授をお待ちしています

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追記 2012.5.8

初めの方に 尊厳死をする場所を決め その方法も決めたように書いたが いざ実行するとなると冬の寒さや夏の蚊やヤブに悩まされることが苦難難問になろうと悲観した

つまりヨボヨボになったらと決めたが それが何時か 判断基準も定かでなかったので そのような時の季節までを考えるには至っていなかったのです

しかしマイクは既に 「私の解脱道と辞世の句」で白状しています通り マイクの辞世の句には山吹を取り入れていますので丁度今頃 4月中頃から5月初めの花の咲いている時期に覚悟すべきと言うことを 今日になって気が付いた

つまり山吹の咲いている気持ち良い季節に 山中でアルコール飲みながら断食するのだと かなり具体的な日取りになった

山吹の 花も実もなく ただの 燈にてや 片隅照らさん

山中に見舞いに来て下さる方は 連休でお越し願い易いと思います

白幽子巌居史跡の周りには 今のうちに山吹を植えておいた方がよいと思う

 

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