ボランティア論再考 2006.1.1書き始め 放置後2007.3.3登録

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アンチボランティアのボランティア論

リタイア後の暮らしのパターンとして 今流行のボランティアなるもの試してみてから6年

フルタイムにボランティア可能となって 色々と参加し考えるようになって3年

これまでに考えさせられたことを 「実践ボラ論」のページにまとめて見ました

でもやっぱり納得いかない事も多く マイクは次第にアンチボラになる

ボランティアと言う言葉が何か分からないまま 美化風潮が世間に漂っているように思う

 

同じく 環境問題でリサイクルと言う言葉も美化されている

操られたエコロジーであって 汚れてしまっている事を このHPのエコロジーのページでマイクは説いている

 

ボラの裏表 美醜や本質への疑問など 頭に常に埋り離れず うろうろする此の頃です

と言うより完全なアンチボラの段階にあります

これからもっと学び考えれば 美しきステージが見つかるかも知れないのですが 今は予測がつかない

 


ボランティアとは

災害等のボラは当然突発非定常であって 奉仕性が強いが定常的な労働ではない

様々なチャリティ性もあって 短期的である為に 何時も殆どプラス指向のボラと評価される

 

ボラの代表 福祉ボラは 奉仕的であるけれども 美化風潮を偽善と見られることもある

この奉仕的作業は定常的な側面が強く 労働性の強いボラであることが多い

しかも無報酬が定着していて それがプロの福祉労働者の低コスト化を助長し 問題視されてもいる

行政や福祉事業者がこのようなボラを 節税や経費低減に利用している事実の隠蔽無知なる結果です

このように 福祉ボラはボラが美しいだけでなく マイナス指向の面もある事を教えてくれる

 

環境ボラや文化ボラは そこそこ楽しくなければ持続しないし 奉仕性の少ないものも多い

生涯学習させて貰いながらの自分の為のボラではないかと思われるボラも多い

自己満足の単なる濡れ落ち葉の暇潰しではないのかと思うボラもよくある

勿論これは私の近辺のボランティアの現況でしかないのですが それをベースに考えていることを語ります

 

経済的支援でなくとも つまり時間提供・単純労働支援や技能補佐でも奉仕になります

しかし報酬対価や賃金を求めなければ奉仕になるというものではありません

それより 困っている人を差別しない精神性で支援すると言う奉仕の仕方が基本的条件です

そのような奉仕性が時として感じられない準奉仕ボラが多い

定常性のあるマンネリなボラ活動に多い

 

それが定常的であって仕事として成り立つものである限り 労働としてすべきものと思われます

それを無報酬でするなら 気がつかないで労働権を奪っていることになる事を忘れては成らない

同じ仕事をする人たちへの差別の肯定であり 事実その人達を低賃金化してしまう

差別肯定であり 格差増大に寄与していることに無意識でしてしまっているのです

 

年金者が体の為とかで低賃金で警備員をしたり運転手したりしている事が分かりやすい例です

その業種の低賃金化に協力していることの罪悪感は全くなくても 事実そうなっているのです

福祉事業もそのようなことが慢性化しているのに 問題視されることは少ない

節税したい行政と介護事業者の収益をサポートするだけのボラであることが多い

福祉労働事情を厳しくしているだけなのに 行政も自覚しながら隠蔽し 民意認識も低いままだ

 

少なくとも 税金でやるべき行政の公共事業は ボラとしてやることではない

行政ボランティアでは 絶対避けねばならない条件である

全くそれを理解していないか 理解したくないのが関西地域の行政であると思う

お公家さんが今も仕切っている古い都市に見られることである

関東や地方ではそれを避けて 単純労働ではない特殊性のあるものに限ってボラとしている

 

つまりボラは 民意の吸収と改善の為の創意をつくるもので 世直しのミッション性がなければならない

労働支援性ではなく ミッション性を優先するものでボラには時限性のある非定常性が見えてくる

つまりボラのレベル 又はステップとして 世直しの為のミッション活動がキーワードになる

 

滋賀県は米国で理念を学んだボラコーディネーターによって 全ての箱ものはそうしている

ミュージアムでの単純監視業務はバイトの定常労働としてやり 就労単位にならない専門的解説案内は研鑚を経たボラがやる

音楽ホールの誘導案内等は労働であり ボラには集客の為の活動の創意提案と 口コミ等の広報活動を期限付きで期待する

報酬については行政の財政事情を常に公開説明し 無形でも必ずメリットを提供することに努めている

兵庫県も然り 金沢も然り 金沢では研修を受けた解説ボラは監視ボラと同等な金銭を得ている

 

文化ボランティアに絞って考える

先ず文化とは 文化力とは 文化の現状が如何にあるか その文化の為にボランティアは今何を

 

文化には日常の生活文化と 非日常の創出文化があり 合わせて文化芸術又は芸術・文化と言う

前者は市場性自立性がある

後者は芸術文化と呼ばれ 学術文化のように公金による政策行政の必要性を理解されないと存在が苦しい

 

地方の芸術文化は地方の弱さのままでは中央文化 つまり出来合文化に依存しがちである

それでは創出性に欠き 芸術文化とは言えなくなり 公金の政策ある行政が要る

地方文化はそれだけの公共目的を明白に共有しなければならない難しさがある

 

その為に行政は施策や計画を条例化までするが 行政の実施や管理に問題なケースが多い

函物の運営は専門マネージャーに 設置者行政第2行政セクターでなく 透明性を

つまり擬制でなく 静的メンテナンス事業でなく 動的な機能を など色々言いたいことが一杯ある

 

かくて経済的に見るなら 芸術文化は私的財と公共財からならざるを得ない

公共財故に 地域市民のアイデンティティの形成に役立つものでなければならない

非日常創出文化が 学術文化や教育が生活文化の源泉になる事を信じさせられるものでないといけない

 

具体的に言うなら 美術館を出来合いの鑑賞でしかない行政政策ではなく 公共性を見せるものに

文化会館を創出性と隔離するのではなく また公立でなく公共の会館として創出性の豊かなものに

つまり公共に必要な物である事を感じられる創出の政策の意味合いが見えるものに

 

それには官民共同協同協力パートナーシップの理念を持った制度や組織が要る

またアートマネージャーなどの人材によって構築されるばかりでなく市民も参加せねばならない

現状はここ京都ではとてつもなく遠いし ただ行政にそれを待つだけでは1200年変わらない

 

それを可能にするのは市民の眼と声である

それを喚起するのは行政でも政治家でもなく 現実を打破するのはそのような意識のある市民

市民の中からボランティアを通して そのような意識を持ち 声を発する事でしか実現しない

市民も行政もそれを意識し始め 理解しやがて支援する事で実現する

 

言いたい事は つまり行政が市民に文化力を期待する理念があるか 実現の信念があるか

市民に文化力やそれを望む事には無理があって 信念すらあるとは言えないのが現実であろう

しかしそれを知らしめ それを広めんとするならば行政は先ず市民の理解を得なければならない

ボラはその為にあるのであって 節税の代替労働の為に要るのではなく 知らしめる為にいる

 

行政はボラに知らしめ そのように利用するべきもので それをミッションとすべきである

ミッション無きボラ 代替労働を奉仕とするボラ そのようなボラが現実には多いのです

しかし初めの動機がそのようなものである事はしょうがない

初めのボランティアの実力がミッションに適うものではないことも当り前である

修養研鑚して力をつけ 実態を知り ミッションを創り出し 実践実行する

何れそうなる事を前提にしなくては何のためのボラか

 

行政側にも ボラ側にも必要な意識と思うのですが 現実は様々である

生涯学習をスタートするボラには 自分の為のボラ 楽しい事を最優先とすることもある

ボラの継続性を最優先にする為に 自分の待遇や環境に要望をぶつける

逆に行政が鈍感だと 熱心なボラはオンブスマン的にクレームや改善をぶつけるだけの事もある

 

行政函物ボラは このようなギクシャクが特に年寄りボラに多く 国立・・などは初めから避ける

行政に文化育成の理念が無ければ 面倒の多いボラは初めからやらない方が経済的であるとしてしまう

ボラを管理するのは面倒な事で それをしてでも価値あるミッションで無ければやってはいけない

トップダウンの行政主体のボラは 河合文化庁長官の文化ボラの音頭を 仕事としてやろうとしている

そのような役人の仕事の為のボラをしてはいけない

 

アンチボラの これからのボラ

とか何とか言っているだけで 現実のマイクは何をし 何をしようとしているのか

実は沢山ボラをしているが充実感は あの軽蔑する日本独特の働き蜂・サラリーマン時代より少ない

充実感を求めて 新しいボラを探し体験し またこのボラ論を立ち上げた

何のためのサラリーマンか 何のためのボラか それをクリアーにすることがマイクのHPのミッションです

クリアーにするだけでは充実感は得られないし 働いているだけでは満足できなかった

 

懺悔と世直しがこのHPのキーワードになっています

似非ビジネスマン つまり自己中エコノミックな日本人サラリーマンでしかなかった事を反省し・・

ボラぐらいで恩返しになるとは思えません まだ ゴミを拾って見せることの方が役立つ

ボラを通して ボラをしないとわからない実情を知ってその上でお役に立つ事を見つけられる

今のマイクはそう思ってボラをし ひょっとするとオンブスマンとしてお返し出来るかも知れない

 

どうなるか今は分かりませんが そうなれば そう出来れば優れて素適なボラとして充実するでしょう

そのような充実発展する社会となる事を期待している事だけは自覚しています

 

しかし本当にボラの美しきステージが見つかるとは今は思えていません

充実感のある実質的な生き方をまだまだ探し続けますが やっぱり焦ります この歳だから

それはボラではないかもしれない それでもいいが 今はまだボラを当分

 

今のマイクのボラは

京エコロジーセンター 京都府庁屋上緑化 京都府温暖化防止センター (財法)省エネルギーセンター

(NPO)気候ネットワーク 京かがやき隊(街頭ビラ剥がし)

 

京都芸術センター 京都市文化ボランティア:文化市民局

京都博物館連盟虹の会 学校歴史博物館 京都国際マンガミュージアム

 スチューデントシティ&ファイナンスパーク:教育委員会

 

ボラか分かりませんが 信念でやっていること

道路の空き缶を人前で拾って見せびらかす(私の出来ることを貴方にもお願い)

バイクでは歩道を走らず命を賭けて車道を飛ばす(クリマス精神)  車道駐輪する 自己責任信号判断する

ジムのロッカーやチャリの鍵はかけない(他人を信ずる事を示して見せる 信ずる事の大事さを分かってもらう)

京都を愛するばかりに 京都バカに馬鹿と言ってあげる(女房に嫌われる第一因)

唾吐く都会人に咳払いや睨み 警報鳴らすドライバーを睨む(アジアの田舎人に)

通り過ぎる外人に笑顔

 

これくらいですが 陽明学精神見習の積りでやっています

 

ボラではありませんが 仲間や たまに参加する勉強会は

京都ものづくり塾 つぼにわ会 クリティカルマス(世界規模のバイク復権運動)

イスラーム文化協会 ボンズクラブ 哲学カフェ 科学カフェ ラジオカフェ

高倉小学校便所掃除の会

 

同志社大 立命館大 京大 佛大四条センター 京都学園大京都キャンパス

龍谷大学大宮キャンパス 京都造形芸術大学

 

京都市歴史資料館 京都市考古資料館

 

ギャラリー等で楽しませてもらっています

 

星野画廊 16 虹 すずき はねうさぎ 射手座 マロニエ ギャラリーギャラリー ニュートロン アーティスロング

石田大成社 R JARFO 3A なかむら GG マロニエ 同時代 TAF モリユウ

 

コンタクトできる美術館

京都市美術館 兵庫県立美術館 滋賀県立近代美術館 大阪市立近代美術館 高知県立美術館

金沢21世紀美術館 金沢市民芸術村

 

ボランティア実績調査先

他府県 各種文化ボランティア活動実績 調査資料をファイルしていますが纏めるには時間がありません

BBS メール等で ご関心ご質問をお受けいたします

 

またこのマイクのボラ論にご意見ご叱正を是非お願いします

 

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京都鴨川の源流 雲が畑の清流を守る清掃を 毎夏数年間しました

ニュージーランド人がやっていることを知って 京都人としてやらない訳にはいかなかった

歴史的にも 外人に教えられることが多いのは致し方ないことなのでしょうか

 

 

福祉

ウクレレで老人ホームを回る

何れお世話になる・・・ 事前調査の積りで・・・

酒の飲めない集団生活にマイクは耐えられるだろうか・・・

 

教育ボラ

理科教育支援事業

生き方探求館(人生ゲームの様な・・・)

 

色々やってみました

 

 

追記2012.5.11

悩みながら批判もしながらもボランティア活動をしているマイクは アンチボランティアであるどころか 逆にボランティアして頂いていると言った方が実態のようです

やったことが無い観た事が無い世界を経験することも楽しいかも知れないと リタイア後の老人の暇つぶしとして始めてみたのですが 費用の掛からない結構楽しい時間潰しと分かって 今も続いているものも少なからずあります

勿論飽きてしまい止めてしまったものもありますが 覗き見たそれぞれに色々な思いがあって 暇つぶしに終わらない色々のことを学びました

 

それでもやっぱりアンチボランティアを変えるつもりはありませんし 本当はもっと過激にオンブスマンたらんと思っているくらいです

行政箱モノのボヤンティアは 行政事業を直接見る大事な機会となります

マイクは色々考えさせられる機会に巡り合い そのような思いをしたことが頻繁にありました

だからと言って誰でもがオンブスマンに早変わりを出来るものではありません

独り者であったら 見張り番の松浦弁護士並みではなくとも論が立つマイクであったなら やりたくまたやるべき最大のことです

しかし家族がいてそのような社会的な行動が家族に影響すると分かっていれば中々度胸がいる

 

それでも立命館の先生の助けを借りて文化市民局へ殴り込みに行ったことがあります

自治連合会を相手に張り合ったこともありますが 人付き合いと言う現実の生活から制約されることがきつく 妥協で終わるのが現実です

 

さて こんなアンチボラを宣言するマイクに共感するアーティストがいることをすっかり時間が経って忘れていたのに また考えさせられることが発生した

アートの使命には てんとうむしプロジェクトとはどのようなもので どのようなイベントをやったかを纏めてあります

HP上ではなく 公共事業の公開講演としてマイクはアンチボラを宣言する機会を得ました

そのような機会を戴いたのは2002年にアートセンターでアンチセンター・アンチボラを宣言されたアーティスト藤本由紀夫さんの仕掛けられた作品(京都芸術倶楽部)のお陰でした

話しがダブりますので 詳しく状況を報告したこれらのページを読んで頂くことお願いして アンチボラであることを再度宣言し終わりにします

NYアート事情(箱モノの窮屈さを嘆いています)

今一度民主主義を考え(アンチボラ・アンチセンターを館長と語りたかったのですが・・・)

もう一度自己中無責任を裁く(アンチボラのマイクのボランティア遊びを反省しています)

和せずに軽蔑すべし(その恩返しに 罪滅ぼしに 箱物イベント荒らしと闘いました)

既に報告済みのことですが もう一度このアンチボラ論の中で紹介しました

 

 

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