虚数の世界          トップページに戻る

 

バーチァルな世界が実生活に影響する そんな実感がどんどん増してきている

 

実経済の裏で株や そのまた裏でデリバティブが 実体以上の規模で実経済を揺るがす

犯罪の世界も バーチァルとリアルの識別が無くなった事件が 頻繁に起きている

 

実体だけでは世間も世界もスムースには回らない

実態を映す情報や記号の助けを借りなければ 現実の世界は回らないと言う真実がある

 

DNAが生物自らの生命の運命を支配しながらも 時にウイルスのように実生活を脅かすこともある

情報や記号やエントロピィが バーチァルな虚像として 実態に必要以上に働きかける

 

また虚像の裏に もうひとつの虚像がある

 

競馬は馬と騎手だけで動いているのでなく 馬主たちの勝負だけでもない

その勝負事の外側で 賭け事を行い その儲けを受け取る権利に 更に何倍もの賭けをすることが出来る

デリバティブみたいに 実経済の何倍もの仮想経済が 世界を動かす

 

マハティールマレーシア首相は アジアを怒涛に陥れ撹乱した投機経済システムの立役者 ジョージ・ソロスを痛烈に批判した

ソロスは悔い改めるでもないが 今罪滅ぼしとも見える新資本論を唱えている(『ソロスの資本主義改革論:オープンソサエティを求めて』ジョージ・ソロス 日本経済新聞社

 

虚像となった経済を非難したマハティールを 独裁に走る今がなければノーベル経済学賞に推薦の運動を進めたいほどです

 

テレビやパソコンのバーチァルで 実感のない生活に浸りきった 今の社会の不活性さ

テレビや自動車がもたらした便利さとともに 実態感や幸せを失っている 空虚な自らに気付こう

 

体験と考えを語ろう そして今からでもマハティールのノーベル賞を実現させねばならない

 

実体と虚像の狭間に世界に生きる我々の認識について

また マハティールのノーベル賞に同感の方のご意見を

是非この掲示板からメッセージ下さい

虚像を虚数としたのは 少しでも理解しやすい表現にならないかとの思いであり

数学の虚数とは一致するものではないが 虚像とその裏まで表現できる方法はないであろうか

そのような思いから 考えてみたいのです

 

掲示板書き込みから 想いや情報を整理して考えを纏め 下記の様なタイトルのページにしています

夫々のページにジャンプして下さい

虚数のイメージを図示したい 2008.2.11

アンチバーチルを語る  2008.2.11

マハティールを想う     2008.2.11

こんなことを考えているうちに ネオリベのなせる世界金融危機が・・・

経済学不昧         2010.4.1

分からぬままに マイクの憤懣を羅列しました

可笑経済        2016.1.3

勉強以前の問題点を羅列します

 

是非読んでご意見ください

 

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2003.10.17 以前のBBSを 下記に纏めました

初心の思いを分かって頂けるかもしれません

目次

ジャンプしません スクロールでお願いします

マハティール情報

マハティールさん 頑張って

虚実の現象例

経済システムとして

生活での実感

アートにも虚実

虚実の思想

虚実の実体究明 必要性と罪悪 如何見つめるか 

虚実の次元と表現

虚像の表現システムはあるか 分かりやすい実態を

 

テーマ

サブテーマ

マハティール情報

頑張って

いまだファンドの仕掛け人のソロスは、グローバル資本主義の勝手は政治の無策の所為だと言い逃れしている。 性懲りのない男だ。

マハティールにアジア人の成功者のすべてに見られる独裁さえなかったらと残念に思う。 (虚無僧)

今日の新聞に、77歳のマハティールの元気が、一日15分のうたた寝にあると語っていました。
中々の人物で、歯に衣着せぬ言い方は、架空経済であるソロスのデリバティブだけでなく、今イラクの攻撃を狙うアメリカを強く非難してきた。
しかし、長生きには、うたた寝しながら、食べ過ぎや、考え過ぎも避ける事が大事と言っているようでは、マイクさんの言う「マハティールにノーベル賞」は無理でしょう。
世界的バブルを食い止めるには、食べすぎも駄目で、また考え過ぎはどうしても必要なのです。
昔のマハティールが今世界中で、何処の国にも必要です。
日本にも、アメリカにも、
早く誰かがノーベル賞を彼の代わりにとって欲しいものです。(虚無僧)

エビアン・サミットが終わった
主要国G8の首脳がマスコミに登場するが 途上国首脳との対話が話題になることはなかった
随分長く静かにしていたマハティールも 反米体制としてシラクに請われて出席したのでしょうが どんな活躍や発言があったのか全く分かりません
現物主義者の本物の存在として 虚空の経済国アメリカを 西欧と共に反論できるのは彼しかいないのだが 最近は寂しく目立たない
アメリカの策略通りに イラクや核の問題に目がすり返られているように思う
経済を直視できる彼の発言を 世界は今も待っているのだが (マイク)

マハティールが今月2003.10で政界を去るという。
彼の後を誰が継いでくれるのか。ポストマハティールは誰か
マレーシアからでなくても、何処からでもいい。
誰が虚像である大国を暴き、その危険性を目覚めさせようとするであろうか。
今まだそれが誰か分からない不安、誰もが感じている。 (虚無僧)

虚実の現象例

経済システムとして

戦後の世界経済はIMFによるゴールドによるリアルな統制によって成り立つていたが、ここ25年の間にUSAのリードするグローバリズムとか言う金融経済が世界を支配し、さらにはソロスの作り上げた架空経済が実経済の数倍の大きさになり、振り回され、USAすら支配できない魔物になってしまった。
こんな風になったのは世界中がアメリカ原理主義に侵されてゆくにつれ、失われていった経済人のモラルハザードに原因する。
実体経済ではなく、金融や情報だけで動く経済のもろさは、危機管理の努力を超えて、簡単に集団心理に軽く振り回され、あっという間にリアルがバーチュアルに潰されてゆく。
その日は200X年のXデーなのでしょう。すぐですね。
その次の世界のためのパラダイムは今から作り上げるしかない。
リアルとバーチュあるの見える信頼関係。
そして人間の信頼のモラルをお互いに見せ合う世界なのです。(虚無僧)

一昨日2001年の世界貿易額が発表された。全世界6兆ドルが動く。日本はその6%でしかないのに叩かれる。4%に増えた中国の安物生産で空洞化する。
世界のGDPは30兆。日本は5兆もある。輸入はGDPに較べ僅かなもんだ。なのにこんなに振り回される。
為替取引き総額は1日で1.6兆ドル。物の取引(貿易)のほか、金融サービス取引も含めて、5日で世界の金が一回りする。
為替の動きで世界がひっくり返るリスクは明らかです。リスクの裏には利益が必ずある。誰が、誰が、それは見えない。それを見えるようにするにはどんな仕組みになっているのか。(虚無僧)

日本は世界の0.3%の面積と2%の人口で、GDPの15%を生産するリッチな国だと信じている。
本当は欧州諸国と較べ精神性、文化度、生活、環境において如何にみすぼらしいか。
何故か、それはフローだけを見てはいけない事、つまりストックの差である事である。
文化や生活や人間性をも経済指標に組み入れたものでなければ、成金やアメリカ崇拝の考えしかできない。エネルギーだけでパワーを見るのでなく、エントロピーでも状態レベルを判断するべきである。
エントロピーとエネルギーを総和する物理量があると思うのですが。 (虚無僧)

車が安くなって 可処分所得に十分収まってきた事で車が増えたと言う
しかし自動車の所有者や運転手は100万の車代と ほかに僅かな税金を払うだけだ
車の無い人より 車輌税やガス税や高速代で より多く負担しているような錯覚を持つ
実際は道路などの負担の三分の一も収めていない
それどころか渋滞や騒音の社会的損失を生んでいる
これらを他人に負担させ 或いは知らずに自分が負担しているのに そのことを知らないで 車は安く済んでいると錯覚している
社会的費用などを換算すると 車1台は 昔で1200万 今8000万 都内なら18千万と言われている
他人に負担させ 本人が払わないですむ事が 利用すればさらに自分だけ得する事になり 車がどんどん増える それが穴である
(マイク)

膨大な資金を操る巨魁たちから見ればデリバティブのソロスも可愛いヤツの一人でしょう。マハティールのような真面目なものから見ればなんとも腹に据えかねる奴らでしょうね。真面目に実態経済を動かそうとしている人達、小金を貯めて或いは401Kで老後に備えようとしている人達の努力を踏みにじりあざけ笑うように自分の利益を追求している輩には私も腹が立ちます。ブッシュも彼らの操り人形でしょう。天誅を加える神様はいないのでしょうか? (M先輩2003.2.16)

虚像のリスクが イラクで実像化しようとしているように思われてくる此の頃です
「実物経済タンジブルエコノミー」の復活 と題した副島隆彦(光文社)を立ち読みした
ペーパーマネーの崩壊が近い事 そのために現物としての金を勧めていた
それも商品先物を勧めているようなのです
私の理解では先物は虚数のそのまた虚数なのに 実物としての価値を認めているようだった
実物だけでは経済が成り立たないが 経済詐欺の蔓延る米国金融の実態を確実に映して見える鏡がなければ 確かに金の復活を待つしかないのかもしれない
先物は 先にしか見えないもので今は見えないから やはり救いにはならないものだと思う
実物の復活が近いと言うのも 余り嬉しい事ではないのですが (マイク)

デフレ経済が改善される見通しは全くありませんね。現物主義者の私に、最近分かってきたのは当分改善される事はないだろうということです。
アメリカが実物経済の破綻を認識して、架空経済を構築すればそれを逃れるであろうことをシミュレーションして、金融経済にシフトし優位に立つための仕組みを作り上げて来た。
日本はその波に乗せられ虚数・虚像経済であるバブルをやってしまい、一度味わった虚像から抜けきれない。
経済は実像があって成り立つ。今日本が金融でデフレ克服しようとすることは、アメリカが自国の実物では立ち直れなくても世界の実物を利用すれば自分も生き残れるとしたグローバリズムとは違って、自国の資産を食い物にして生きようとするだけであって、新しい実物を生みだす経済活動ではない。
実物を生み出す現物主義者の言葉を少しは聞いて欲しいのだが、甘い生活を一度体験した者には、当分聞く耳がなかろう。 (現物主義者)

株高が進む。企業や銀行が元気になり結構な事かと思ったら、国債が大下がりするので沢山抱え込んでいる銀行がまた大赤字だと言う。
虚無僧は何の事か分からないまま、どっちがいいのか分からないまま、結局は不安感だけが残る。
虚数に振り回されて困るのは市民大衆ばかりでなくそれを操作する人々だって困っている筈だ。
なのに困った振りもせず、虚数を信仰する事で延命していくと言うささやかな延命策を信仰する。
国債が下がろうと、株価で救われるところだけを見つめて楽観視し、どちらも虚数である事を忘れ、今の辻褄が合えば良いと決めている。
虚数の世界など知りたくもない、それでも先ず先ずやれているといいたいようですが、虚数を上手く使いこなせばより豊かになるはずです。中々難しいのですが、見つめなければ見えません。  (虚無僧)

生活での実感

バーチュアルだけで生きていけるような気がする。空気や霞だけで生きてゆけそうな気がする。
と思ったら大間違いだ。
今の日本は、ものつくりを忘れて、先達の残してくれた遺産を食いつぶして生きているだけなのに、もっと空洞化させ、そして簡単にリストラすることを、当り前のように思ってしまっている。
実体がなくなってもまだ虚像が残って、それで生きていけると日本人すべてが思っている。(虚無僧)

デリバティブなど専門外なので 一度大失敗した 金先物とよく似たものと位しか理解していませんが 身をもって良くないと感ずる
価格変動する商品の売買に リスクヘッジのため 穴埋めする逆売買取引を設定するのがそれだと思うのですが 実取引あっての 逆取引であり 仮想取引でしかない
リスクヘッジとか言いながら ギャンブルの割増倍増でしかないのが実態なのでしょう
私も売りと買いでヘッジした積りが 罠に嵌まってしまった
兎に角 分からん事に嵌まってしまう者のあることを目論んで成り立つ 善からぬ経済理論である
仮想経済が実経済にとってどれくらいまで どのようなやり方まで必要なのか
損が無ければ儲かる事なし
仮想世界は分かりにくい 嵌まりやすい
経済なんてそんな中を うまく泳ぐ詐欺師を守るための世界である
マハティールならずとも皆がしっかりしないと世界は詐欺師に乗っ取られていく
如何に経済格差を生むか それが経済であったり 政治であったりしてはならない
そのように見えて仕方が無い (マイク)

何だか分かったような分からないような。
現物販売、現金販売と違って、ITオークションや通販夜テレビショップなどにどうしても慣れない私です。
現物にしか馴染めないだけでは生きていけないようにも、いや現物にしか信頼できない世界があるのだとか考えると悩みは尽きません。 (現物主義者)

現物でも 例えば燃えてしまったら何もならないが お金にしておいたら残る事もある
お金のほうが危ない事もあるが 現物と言っても不動産にしろ骨董にしろ価値があってないようなものもある
昔より現物商売 現金商売のほうが 信頼性が高い と信じられています
商人道を考え直す事も大いに役立つように思います(マイク)

商人道が現物・現金商売であると言うのは何か安心感があります。
信頼がなければ商売しないと言う簡単な商道徳を守っていく事の意義は大きい。
現金商売には規模の限界がある。取引スピードにも限界がある。
そのために工夫されたのが会社組織であり金融システムである。
しかし今ITの時代にはe-コマースやe-バンク等の小組織化が進んでいる。
このことは法人や金融による取引自体が縮小していくだけのか、それとももっと不安定なリスクの多い面が残るのか
IT
化で目指すべきものは現物と現物を如何に近いもの、信頼性の高い取引とするかのためのシステムであると思う。
会社即ち法人とは正しく虚像の巨人。商い先として信頼していいものか、サラリーマンとして身を任せているだけでいいものか。
いいか如何かでなく、より信頼あるものにするには如何するかである。やり方はあるがやり方を変える事の難しさ。そういう意味では「マインドイノベーション」のテーマなのでしょう。
今世界はそのようなマインドイノベーションをいち早く実行し、商システムを作っていくところだけが生き残っていくでしょう。
現物主義の方向に向かっているのかどうかは分かりませんが。(現物主義者)

出生率が1.32だという。高卒の25%は職がないという。子供のいない親、卒業者のいない親はこの事を無視していても普通かもしれない。他人事だから。
殆どの日本人はその類に当てはまる。だから他人事とするのが当り前の事で済まされている。
虚無僧もそれで良いと言えばそれで良いのだが、もう虚無僧ではいられない。
焦り乞食とは行かないまでも、焦りの虚無僧にならねばと思う。
他人事は虚像で済ませられるものではないのです。
現物が歪んでいるのに、見る人が見るのを避けている。
自分だけの現実の為に。
いや恥かしや、恥かしや。 (虚無僧)

虚数の危険度ばかりを見つけようとしていましたマイクが 実数の危険度を見つけてしまった
武家時代は 農民を管理支配する事 つまり禄高が武士の実力をずばり表していた
ずばり実物管理世界であった
商人は流通の利益 金回りで生きていた

お金の流れの裏に潜む利益を武士は見ることが出来ず税を取らなかった
武士は現物主義者であっただけでなく 虚数の世界を理解していなかった
商人は虚数を操り儲け三昧だった
武士の現物管理は権力的に容易く農民を絞る
農民が虐げられてきた事は 実数社会の危険性に繋がるようにも見えた

独裁社会でない限り こんな心配は要らないかもしれませんが (マイク)

今日の新聞に米国防総省が民間ネット取引「政策分析」に投資しているとあった
アラファト暗殺やヨルダン王室崩壊などの可能性を投資対象にするものである
経済が遊びであるばかりでなく 政治も遊びの市場となってしまっている
尤も政治家は私事として政治を利用しているのであって 市民も遊びとしての政治利用ができるようになったということなのでしょう
生きること自体が遊び感覚で 犯罪までも遊び感覚になっていくのが既に一般化している
犯罪者と言う特権階級のものだけのものでなく 市民感覚の遊びになってしまっているのに 皆見て見ぬ振りをしている
遊びなんだからと黙認している
虚数遊びは危険なのに (マイク)

京都市のゴミ処理経費を、一世帯当りで見ると月4600にもなると言う。
電気代、ガス代、水道代に匹敵する。
税金でなされているからタダの感覚になっている。タダなら使い放題、捨て放題になるのは当り前だ。リデュース・リユース・リサイクルなどの大切さを市民が実感するはずがない。
税金は実態を隠してしまう。税金は実数をぼかしてしまう。
実態の世界を虚像として扱う虚数の世界とはちょっと違う。
実態をぼかし曖昧にする事が目的の、つまり意志的な計らいがあるのが税金だ
利権をぼかし、どこかに詐欺まがいのチャンスを作り上げる事ができる。
公と民の律令成立以来の戦いがそこにある。
実態、実数の隠蔽の手段としての公の権限。それとは民は律令成立以来戦う宿命を持つ。
虚数を利用した資本経済詐欺師の陰謀にも、民は戦うべき宿命を持つようになってしまった。
どちらの権力も、隠蔽と言う壁が彼らの武器である。 (虚無僧)

アートにも虚実

俳人高浜虚子の 虚の名の由来が気になった
俳句は実体を 俳句と言う虚像に 自分を鏡として移し替えたものである
彼の生き方や俳人としての句から 虚実の匂いのするものかどうかは素養がなく分からないが 名前の由来が気になつた
調べてみると 正岡子規に 本名 高浜清 に因んで付けられたと言う
がっかりであったが 俳句が実体の自分を鏡とした虚像である事に変わりはなく デリバティブであれ 税金であれ 特定でない汎たる人が鏡となって 実態を映し出すものが常に付帯していなければならない事などを考えさせてくれた
人あっての 鏡あっての虚実である事は同じである (マイク)

私のボランティアする京都芸術センタ−
そこで今 二条城美術離宮 なるテーマの5人の作品が展示されている
中に三嶽伊紗なる何が何んだか分からぬ作品を続けている作家がいる
本人に聴いても言葉で表せないくらいの難解な というよりそれくらいな物を見せる
然しそこには詩があるという
詩や句 まして言葉のないアート作品は 作者の鏡を通して映った虚像である
虚像を見て実像を探ろうと言うのは 謎解きみたいな 詩そのもものだ
まして歪んでいるか 薄ら汚れているであろう鏡では 分かろう筈がない
ややこしいことに彼女の心の鏡は 物や 事を 全く別の二つの事象(作品)に分解してしまう と言う
虚数に正虚数と反虚数があるようなものだ
正反虚数から実像を掴めということは彼女も期待していない
それが詩であると言い逃れている
それを楽しんでいる
詩は楽しい
然しそこにアーティストの隠蔽作業を見る
アーティストの生きる掟なのでしょうか (マイク)

アートに虚実を見るとはなるほどだ。今日のNHK新日曜美術館は円山応挙だった。中に水瀑布図と言う掛軸を床面にまでたらして、恰も滝が滝壷に落ち込むのを示すように見せ、写生(作品)の虚を虚実(滝壷)に合わすために、掛軸までも床に這わせ垂らしたと言う。虚である掛け軸を実と紛わす仕掛けをしている。隠蔽や策略でなくそのままの分かり易い比喩として。
写実の虚は実に近く、詩がないぶんアートではないかもしれない。
然しアートではない税金は、隠蔽や策略のないアート以上のピュアな見えるものであって欲しい。 (虚無僧)

大阪市美 応挙展を見てきた
庶民にも分かりやすくしようと 全作品を実の写生 虚の写生 気の写生 虚実一体の 四つに分類し 応挙が 狩野派から逃れ 写実に卿を得るが それが狩野派の気を捨てるものではなく 写実の中に多々の表現表情を見せると言う
うぬ そうかも知れぬが それが狩野派の必須の精神的仕組みである  
事実 気の写実とする作品は 中途半端な狩野派であるとしか思えない
実の写生とするものは 伊藤若冲にはかなわないのではないか
虚の写生とするものは 私の期待する 自分の心の鏡に映った虚像 即ち気そのものではないかと期待したが ここではそうではなく ただ実在しない想像の物を描く事を虚としていた
虚実一体とは実存しないものと 実存する物と並べただけだった
もっともっと気を感じたかったが 狩野派には及んでいない
それどころか 100年前のレンブラントの写実に較べると なんとそのレベルの至らぬ事か
誰もそんな見方をしていないが それは応挙の力不足でもなんでもない
国力の不足である
安っぽい虚実の解説に がっかりしたが レンブラントの作品が 実なのか虚なのか やはり虚であり 気を漂わすものだと 改めて教えてくれたように思った
応挙展の作品の間に 100年前のレンブラントの作品を一点並べて考える事も 企画者の工夫としてやって欲しかった (マイク)

虚実の思想

マイクは今 般若心経を読み始めたばかりですが 行き成り 実体もまた虚像と共に実際に存在するものではで無いと言うことを 説いている
色即是空とは 色(肉体や実体が実在すると見えても)が空(永遠に変わらぬ実体ではない)であると言う
実体すら存在しないと 行き成り言われて戸惑っています
存在するものを実感し 大切にし それの単なる虚像に惑わされるなと言う事を このHPでアピールしたかったマイクです
その実体までもが空だと言い切るのが般若心経
確かに我思うゆえに我あり と言うが如く デカルトさえ 思う対象(実体)には存在を確信できず 自分の自我(虚像)のみ存在を認めているだけ
実体を無視し 自我を唯一の存在にし 近代文明は 勝手気ままな自我の西洋倫理を創ってゆく
自我(虚像)を廃し 実体・実像を取り戻そうとの思いが砕かれてしまった (マイク)

実体はあるのです。永遠に変わらぬ実体は無いと言っているだけです。
そういう意味では虚像も実体の変化によって変わるのですが、実体の変化に着いていっているかどうかは保証がありません。
デカルトすら自分が虚像であると信じてしまうほど、自分の実体が変化している事を知りすぎてしまっているために、自分の実体を否定している。
つまり実体と虚像を結ぶミラー関数があるのでしょうが、デカルトも般若心経もニヒルに見て見ぬ振りをしているのです。
そんなもの分かってどうする、分かるのか。それは分かりませんが、デリバティブの虚を暴くだけぐらいのことは出来るでしょう。  (虚無僧)

マイクは今日京大人文研の浅田彰助教授の講演を聴いた
流石であった
他者認識がなければ自己認識ならずという時代の歴史的流れで始まり 今マイノリティへの他者認識に及んではマイノリティ自身が権威を持ち 他者を見る者までもが他者にかぶれてしまう今時を危険視している
中々である
実数見たいなものとして見ているのは自己認識
他者認識によって知った自己の実像は虚像であるばかりか 他者がマイノリティに及んでは 自己自身も虚像でしかないと言うことになる
ドンと大きな確かな実像がなければ 虚像探しに終わってしまい 虚像のなかの自己になってしまう (マイク)

自分を客観的に認識できるのは客観的他人の存在があってのことです。
他人それも客観的に多数の共通性のある、それもまたある条件を満たしたと言うだけの客観性に於いて、しかもかなりの双方向の通信を繰り返した上でないと成功・認識・確立のしない客観性である。現実性としてかなり不可能に近い。
科学は自分と言うものを相手にしているのではなく、既に客観性が認識されている自然の現象の存在を相手にしているという意味で、既にある客観性の中での顕在化の試みに過ぎない
自分とはそれとは違う、夫々の唯独りの個性の気ままな存在をスタートとする。だから自分だけでは客観的でありえない。
自己認識は一人ではない大勢の他人を見ることで、客観性に近付けてくれる。大勢の他人と言う客観性のある大きな鏡が、その中に映る自分を相対比較させ認識させてくれる
しかしそこにあるのは他人に映った自分の虚像でしかない。
自分の実像は何処にあるのかは自分として実感・認識できるものです。自分自身だから。だが、それを自分自身が考える事にどんな意味があるのでしょうか。
自分を主体的に実像化する事は、自己主張し、自己絶対化し、自己中心主義となり、それくらいならまだしも、自国家中心の覇権主義となり、・・・・・。後は今新聞で見る時事問題、社説等で見る通り。
こんなところにも実数と虚数のリスクが蔓延っている。
しかも実像よりも虚像のほうが客観的であるのではと思わす示唆がある。
実像だけではの危険性もある。
ここらが実像・虚像の共存性の何かを教えてくれそうに思う。 (虚無僧)

世の中に虚実が共存する事は避けられないとは思う。
然し現金商売だけをする人と、借金で富を増す才能の人がいる。
彼らは共存しているとは思えない。棲み分けている
果たしてどちらが個人レベルで見て賢いのか、どちらが社会的に優れているのか。
かくもバーチュアルな生活やビジネスが個人のなかまでも浸透すると、個人ベースで棲み分けや頭の切り替えがそう簡単に行くとは思えない。
ストレスが増えるのはこの所為なのでしょうか。 (現物)

虚無僧は気付く。我、虚や無を好みて世捨てするにあらず。
虚や無に疑問持ちて、それを問う為なり。
そして知るや虚と実、棲み分けするに能は(あたわ)ず
実あっての虚、有あっての無
唯、色即是空、空即是色の如く、虚あっての実とは考え辿り付き得ていない。
まだまだ修行不足を感じる。  (虚無僧)

誇大表示広告と賞味期限表示のについての 消費者抜きの身勝手な企業本位 お上の他人事としての仕組み よく似ている
詐欺まがいの商品広告ならずとも お上のお墨付きの温泉効用表示は 誇大表示ではないか
誰が湯治湯として利用した時の効用を知ろうとしているであろうか
一晩でリュウマチが治るであろうか
しかもお墨付きである
消費期限表示がどれだけの食料品ロスと添加剤の増量をもたらしているか
お上の責任逃れと企業倫理の欠如を促しているか
実体と広告・告示の間の鏡となるのが企業でありお上である
二つの鏡の合意で消費者市民を騙そうとする
二つの鏡で一つの虚像を作れば 抜群の信頼感につながる
人間は騙されて安心し満足する
そこに法人とお上の人間無視が憚る
こんなところにも虚実の危険があった (マイク)

広告どころか 法人やお上そのものが人間ではない。
人間という鏡を通して虚像を作るとしたこれまでの考えではなく、鏡そのものが人間と言う実在ではなく法人と言う虚像である。
虚鏡というものがあることに気付いた。ややこしやややこしや。
法人は個人と言う実体から成り立つものであるはずだが、法人となってしまうと虚像になるのだ。しかもその虚像が鏡にもなる。本当にややこしや。  (虚無僧)

虚実の次元と表現

虚無僧さんの言われるパワー()と状態()の総和をあらわす質量総合表現については 私も これまでも学者さんに投げかけた事がある
これがなくては それぞれ別の世界で頑張ってみても 結局は何であったか客観的に総合的に結論も得られないし 量と質の夫々の真実からひとつの解答を引き出すことは出来ない
この土曜日も有名な数学者でもあり哲学者でもあるサイエンスルポライターの話を聞いた
現代の矛盾の根源を 量か質かを求める現代人の ワンパターンなエゴイズムに依ると言うが 総合的な理解と判断は 何ともし難いと諦めておられた
私は気が付いた 総和で表すものではないのではないか
質・量の作るパターンの違いそのものに意味あるのではないか
パターンに意味があるのであって そのパターンに付いて論ずるべきものであろうと最近気が付いた
そこまでであるが 少し考えてみます(マイク)

エントロピーもエネルギーも状態と量を表し、関連があるのに一つの総和としては表せない。
マイクさんは一つの指標に表せたら総合判断しやすいのにとの思いから、実数と虚数の式にすればとその可能性を考えたのでしょう。
今1次元でなく、エントロピーとエネルギーを虚数と実数のような2軸でパターンを表すことができる。
幸福軸と金持ち軸を例に考えてみる。
金が在っても無くても幸せは存在する。不幸せも存在する。しかし夫々のパターンは全く違う。
そのパターンを如何議論し、如何在るべきか判断出来るか。
パターンだけでは絶対評価できない。パターンそのものをランキングする事は出来るのか。
それは意味のあることなのか。
確かにポートフォリオなどではそれをやっているが、実数と実数のパターンである。
なんだかそう簡単でもなさそうですが。如何でしょうか。(虚無僧)

エンロンが潰れたのも、デリバティブであった。
実物を扱う オールド経済であった企業が 各種の商品を扱い、金融やヘッジのためのデリバティブや、スワップや、架空の虚数の、虚像の、経済に走って、はじめは成功する。
しかし虚数は即ち虚像である。恰もねずみ講である。失敗で終わる。それしかない。
簡単なねずみ講の危険性を証明する説得力ある理論数式が無いものか。(虚無僧)

正しくねずみ講の世界に嵌まっているのに ねずみ講の虚数構造を 経済学者が 定量的な説明や関数ではなく 幾何学やベクトルのような 或いは実数と虚数のパターンや絵として 分かりやすい理論を作って 政治家や 民衆に示して欲しいものです
道路公団の虚像構造など 猪瀬さんの考えやデータを 分かりやすく 図式化して欲しい
それによって公団の不透明な悪の構造を見えるようにしないといけない
サイエンス雑誌ニュートンは 難しい科学を分かりやすく見せている
経済なんてもっと簡単に 可視化できるはずでしょうに  (マイク)

虚像のことに、マイクさんの好きな虚数を使うには、何か抵抗があったが、最近その理由が分かった。
マイクさんは虚像を分かりやすい表現として、虚数化したい、と言っておられる。
虚実は事実存在する。それを表現する、つまり情報化するには画像化や文字化ではあるが、デジタル化や数値化がより数学的だ。
分かりやすい事は無いかもしれないが、数学処理できるので理論的である。
理論的処理ができることを期待しているのではなかろうかと思った。 (虚無僧)

このページで考えながら分かってきた事は 虚像を映す鏡があって その鏡が只ならぬややこしいものである事
現物物質にも反物質があるとか言うように 同次元の1次虚像にも ひとつならぬ複数の像が写っている事もありうること
それは鏡の特性ではあるが 色々の鏡がありすぎる
そのまた多次元の虚像となると手がつかないのでは
数学的表現の可能性はとても難しそう
然しそれを意識しておく事で 新しい鏡に気が付くと思うし 虚像と実体の関係把握や 社会的認識の必要性を促すものだと思う (マイク)

今年のノーベル経済学賞は決まってしまった
ノーベル賞は学者でないと駄目なのでしょうか
さて現物経済をG 貨幣経済をM デリバティブ(信用・先物)経済をD としよう
G=f1(M)=f1(f2(D)) であろう
そのf1、f2関数が 取引のルールであり 契約である
特殊な鏡であって 凹面鏡のように虚像が大きく見えたりするくらいならいいが 曇ったり 乱視のようにダブったりしているようでは いい加減な契約を結べない
いい加減であり 中々分からないままのところに振り回されるのは許せないと マハティールは云っていたのだ
そのことを理解されるどころか その関数を気軽に論じた学者が 昔になるが先にノーベル賞を貰ってしまった
やはり学者でないと駄目なのでしょう
平和賞ならいいのかもしれませんが どん底から立ち直るよな事でもないと駄目でしょう
そこまでは行かないくらい先ず先ずの世界と見なければならないのでしょう (マイク)

 

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