若い時の 創作 「山の話し」 ショートショート三編  雑感色々のページに戻る   HPのトップページに戻る

 

MONT CONTE   1961.2 の創作     2011.9.11 転記登録

 

マイクにも青春があった事の証しにと 昔のガラクタをロフトから探し出している

そんなことに拘るようになるとは そろそろのお迎えが近付いたと言う証しかも知れません

そうかも知れませんが やっておこうと決心して 学生時代に書き上げた作品を 読み返しながら これから転記してみます

 

物理を学びながら 天文少年の域を脱しきれず 山を楽しむことの方がより人間的で青春だと それ以外余り深く考えずに過ごした4年間だった

家の直ぐ近くを流れる 犀川に架かる大橋からは 南の遠くに 大門山と高三郎山が聳えていて それを粋がってペンネームにして満悦でした

 

山をコントにしたモノが四作ありましたが NO3が見当たらないし NO4も未完ですが 在るモノはそのまま 以下に転記します

この頃から 句読点の使い方を 気持ち次第で使っていましたので 出来るだけそのままにして そこにも若さを覗きたいと思っています

この頃はまだ○文字を書く輩は殆どいなかったが マイクの丸い性格がそのまま出そうと また字の大小にも気持ちを乗せようと拘っていた

今はもっと徹底して 句読点を嫌っていますが これは若さではなく 偏屈でしかないのかもしれません

何がそうさせたのか 精神分析の必要がありそうですが・・・・・・

 

 

まず始めのNO1は 2回生20才になったばかりの冬に 初めての創作をしたショートショートです

読み返すのも恥ずかしい幼稚なモノなのですが 転記しながら こんな若さはどこへ行ったのかと 複雑な気持ちになりました

 

Mont Conte No1「山話」

 

 昔々(〜〜) 山に()()() あり。 やがて幾歳が経ち 色気もいつしかつき 毛虫が蝶になるように美しくなった。この娘の親爺は娘のこの美しさが 山の奥深くうもれることを非常に惜しく思うようになった。 もっともなことで 世の親ならすべて 我が子の美しさを たとえ それが “デモ美人”というか、 唯の目鼻の数だけ整った そんな美人であろうとも、常人である限り そうしたくなるものなのだ。

 十七才の春を迎えた或る雪解けの水が まだ冷たく流れ 春の日がまぶしく輝く朝 彼 親爺は 街へ娘を連れ出した。 春を迎え 春の光を吸った娘の肌の美しさを首すじの白さに うかがえ、 親爺は殊更に頼もしく思ったが また これとは別に 街の道を歩きながらこの美しさが、街の煙に すすけるのが 心配だと思った。

 親爺は 実は 娘をこんな所に連れて出たものの当てがない。 生まれて はじめてみる、にぎやかな街の人々の往来や派手な着物、店々の陳列棚に娘はその日一日 楽しく過ごしたように見えた。 親爺は久しぶりに出て来たので彼も楽しくはあったが これからの 計画を 考えると やはり不安であった。そして彼は 始終 若い男の顔色ばかりをうかがいながら街を歩くのをやめなかった。 というのは 自分の娘を見た彼らの反応を非常に気にしたし 知りたかったからだ。 すれちがえば大抵の男は彼女を一度は見るが しかし彼、親爺の意に反して 何故かよそを向いてしまう。 まして振り返ってみるなんて男は その日一日全く見なかった。 彼はいよいよ不安となった。 そしてその日 彼は 夜も近づくと 昼間から 目 をつけていた 安い 木賃宿の方へと 足を運んだ。 娘は疲れもみせず 父親の不安も人事のように ついていった。

 その晩親爺は とくと瞑想に耽った。 “街の女達よりも 俺の娘の方がよっぽど器量好しというのに、 どういうものか・・・ひょっとすると 娘の着物だ。 あんなくたびれた 紺がすりの着物じゃ いくらお袋のかたみといっても 娘の顔とつり合わネェのも無理ない。早速あすには 財布の許すかぎりの派手な着物を買ってやろう。 そして 街を もう一回廻りして 立派な家の女中にでも 何でもさせてやりたい。 いや 今度はすれちがう街の男の顔を見るのが楽しみじゃ。 そう、うちの娘に似合うほどの美男子がいたら 嫁にもろうてもらおうか。

 夜が明ける。 朝の光は 今日も期待する彼にとって すごく輝いてみえ 今日の成功を約束してくれるもののようにみえた。 娘には派手な着物があたえられ 父親は誇らしげに街をかっ歩する。誰一人振り返らぬ者は居ない。彼は大きな家と素敵な若者を街中物色してまわった。 しかし街広しといえども 娘程の美しさに引き合う若者の顔はついぞ見かけなかった。 せっかくの美しさも無駄に終わることを思うと親爺はあせり始めた。

 すると、娘も親爺も歩き疲れがっかりしているその時、突然、輝く程の美しい装束に身を包んだ若者が、彼女をみているではないか。親爺は生気をとりもどし、娘を若者の前に連れ出した。 どういう訳か、一ペンで若い二人は気があって、親爺は何も頼むことなく彼の意を果たした。若者は、年に似ず しっかりした体で、少し気になる手の荒れ具合の外は、色黒く健康的で、娘程の器量の良さを持っておるかにみえた。 親爺は満足して、彼の素性を知ることなく 二人の将来を許し 娘の仕合せを頭に浮かべ 祝杯を上げた。 彼はその時 今迄明るかった太陽が、雲に隠れるのに少しもきがつかなかった。それがもちろん 彼の敗北を意味し 娘が 再び 山に戻らなければならぬ運命を告げるものであることを 知っては居なかった。 何故なら、この若者は、娘同様、人里離れた 山奥の 一軒家に生まれ、嫁不足の折柄、街に妻となる女を求めさがしに出 去日のよごれた服を立派なものに替え、立派な 家柄と美しさを持つ 女性をさがしていたのだから。

 

               大門高三郎

 

    この水蚤のような小説が私の初めての創作である。

 

           一九六一年 二月 十二日

 

 

音楽の授業と同じく 学校の作文は苦悩そのもので 好きではなかった

小学校の夏休みの絵日記は 殆んど母親が書いてくれたと言うのが マイクのその後の 甘ったれ性格を作ったくらいなのです

それがどうしたわけた訳か 6日後に次の一寸長い作品を書き上げている

 

次の NO2は 山男としての気どりを少し見せようとして 練り上げたものですが 誰に見てもらって 如何言われたか 覚えていない

あの頃より女には弱いマイクだった事がバレバレの 恥ずかしい作品ですが 4百字17頁を 夜な夜な楽しんで書き上げたと思います

Mont Conte No2「幽霊が登山すると言うお話」

 

 私がいうからにこの話はたれも疑うことは出来ないのです。 ある秋もか細く泣く虫の音と共に死にたえた草木の哀れさが 深く身に感ぜられる頃、 私はここ、或る一風変わった山容を持ち 森閑とした森に被い包まれ さして高くはない山に、独り孤独を求める山旅をしておった。

 漂浪の旅・・・ 世の中からの、古い傷からの逃避の場として、そして、そこに山があると考えるなら、 山に登る彼等は愚か者と謂ってよいであろうか。 確かに山にあれば時に今の自分を忘れ、昨日の失恋の痛傷を覚えず 悠々とした自然の懐の中にその温もりを感ずる。誰としてその雄大で、奥深く、たやすく知りえないその姿に胸の鼓動を感ぜずにおられようや。 その感動が、よしや短いものであるにせよ、その瞬間の楽しさ、その喜びに満足しないものは 人である限りあるまい。 しかし彼がここで 首を吊る訳でもあるまいし、 やがて帰る灰燼の住処に戻った時、彼は冷たい氷に再びその肌をいためるであろうし、さらに痛烈な苦しみに 彼は耐えられる筈がない。そう、 山の癒して下れる力は小さいのだ。・・・・・

 私はその頃何の苦悶するほどの事や 楽しみも持ち合わせてはおらなかった。 まして恋人など居よう筈もなく、 ロマンチックな話を語る術はなかった。こんな自分の枯れた心に時折の山行きは生気を甦らすものであったのである。

 北国の晩秋の空の暗さは自分の心に似たものがある。しかし 何故か それに耐え得ぬ気持がここで 慰められようと 孤独な旅となった。この山は以前に二度程訪れた事があった。 山麓の汽車の停留所から一丁程歩き、それから鬱蒼とした杉の林を抜ける隘路を通らねばならぬのは、 深い静けさ濃い暗さに、いつも心が不安になり、それが肉体(からだ)にも感ぜられるほどである。 その森を抜けきる少し手前に登山口の山小屋がある。 この山小屋の名は“闇の小屋”と登山家の間では呼ばれている。 それ程不気味な(あた)りの気配を好んで 小屋の主、雁二郎は此処に通年住み込んでおった。 私がここに着いたのは朝七時半わずかを過ぎ、 朝ぼらけの微かな光線が 森の木の間から細く薄く筋を引いているのが、寂しさと美しさを想わせる頃であった。 雁二郎親爺に一言の挨拶をするとすぐに山に向かった。親爺とはこの頃の山の淋しさについて一言交わし、 今日山に登るのは 自分(わたし)一人だけであることを聞かされた。

 森を抜け切ると気持ちまで明るくなった。薄雲が太陽を明るく包んでいる格講(かっこう)は、自分のまだ覚めぬ眠気にも似て、滑稽なものであった。黙々と歩行を続けるうちに、眠気も覚め、その頃には、空の雲もなくなるとそう思っておったが、次第に濃く灰色の厚みを帯びるようになってしまった。 けれども、雨の降る心配はしなかった。 かいた汗もすぐ乾く程のものだったから。

 この低い山・・・・・幾ら低い山であっても、それが山であるという事は、自分にとって何ら異なった感覚を起こすものではない。それが山であり、都会とは違った安らかな静けさが約束されておれば、自分には満足である。低い山が高い山に引け目を感ずることが、しばしば、人の世のそれと同じように見受けられる。 そんな時の自分はいつも それに味方し、云い訳するのに夢中になる程のことが良くあった。 低山趣味と人に云われたことも、それだから度々であった。・・・・・

 晩秋の吹く風は、冷たかったが、歩けばやはり汗ばんだ。孤りである解き放された気持で随所休み乍ら、気儘に登った。歩く時には何かを黙想し、山の空気に清められるのが、朦々とした大脳の疲れを休めることになるのだ。 冬の近いこの山で小鳥の鳴く声は、殆んど無く、時々ヒガラの一囀りするのが、体を休め静かになって気持ちを落ち着けた時に聞えるだけだ。 小屋より頂上までの半分程登った所であろうか、枯れた木の枝が小藪となって(みち)の両側に繁みを成し、やや道が平坦になりまた、径巾(みちはば)が心程広くなった所で、人の声を聞いたのである。 それが、あまり突然のことなので自分(わたくし)は少々びっくりしてしまった。先に登った人は居ない筈だと聞いて来たからだ。枯れた木の隙間からそこに入るのは男と女であると、着ている物の色でわかった。 道の(かた)辺り(ほとり)で休んでいるらしく、その前を自分(わたくし)は意味のない『こんにちは』の一言を投げ、素通りした。 男は自分(わたくし)の言葉にちょっとびっくりしたように、 それでも軽く会釈した。 が、女は黄色いセーターに自分の顔を見られまいとするようにして、うつむいていた。二人とも二十才を過ぎたか過ぎぬかといった歳格構(としかっこう)であったが 二人の足を見た時 何かおかしな感じがした。 というのは 女の方は皮登山靴をはいているが、男はキャンバスのスポーツ靴であることである。 ちぐはぐな感じはまだ外にもあったし、その素振りも妙なものだった。

 この平坦な尾根道を少し行くと、この山で最難でしかも唯一ではあるが、危険な崖がある。足場はそんなに悪くはないが、所々に岩がはみ出ている。 それは百メートル近くの絶壁を成し“蟻地獄”と一般に呼ばれており、その底は深い森林が、悪魔の手のように気味悪く谷にうまっているといった有様なのである。私はこの崖道の中程にはみ出た少しばかり大きな岩に腰を降ろして一ぷく吸い始めた。こう云う所に自分(わたくし)はじっとすわっているのが最も愉快である。この深い底しれぬ谷のすぐ上に立って遠く紫雲に包まれた山山(やまやま)にみいる自分(わたくし)は 飽きる事を知らない。

 この日の曇り空は高く、遠くアルプスの新雪の連なりがみられた。いつか登ったことある山を遠く再びみるのは、その美しさを眺めるだけでなく、心が何か美しいものに触れるようで、また(うれ)しいものである。 この小さな山でゆっくり楽しめる処は、この崖の景色に耽美させられる此処と 頂上(あたり)りしかないし、時刻は十時半にもなっていない。 それでここでゆっくりすることにした。

 二ふく目の それを吸い乍ら、先程の二人の事を思い返してみた。 山中の邂逅に何か言葉を掛け、まして「ごくろうさん」「こんにちは」は山に一度は登った者なら聞き馴れていよう筈なのに、あの男は、自分(わたくし)の来たことにとっくに気が付いていただろうから、私の言葉に驚いたのはたしかなことだ。それに彼の靴をみても服装からしても 初めて山に登ったものであろうと思う。それにしてもあの女は、・・・・。 顔はみなかった。声を遠くから聞いた時のそれは鋭いものであったのを思い出す。 あの黄色いセーターからのぞいた薄蒼い手の色を。 色々の事が錯落する。第一二人が、この山にいることすら不思議なのである。闇の小屋から、この山の頂上までは、一本道しかなく、この山に至る径はこの一本しかないのである。私が汽車を降りた時には、山へ向かう誰とも会わなかったし、雁二郎は昨日より誰も山に登っておらぬと云った。

 三ぷく目を吸い終わると今のことを気にもせずまた山の澄んだ空気を胸いっぱい吸いながら頂上に向かっていた。山は登るにつれて霜枯れの山の姿は哀れさを増していった。十二時近く、頂上に立つことが出来た。

 超然と抜き出る山頂に立って思うことは、いつの山行にあっても多い。 こんな苦労と疲労の後に勝ち得た喜びは、多く大きい。 だが不思議なことに人は、山男は、何を山で得るのだろうか。 私自身この問いに答えられるものではない。 日頃 (うだつ)の上がらぬ山にあって慰められるのが関の山であろうか。それとも何か。 ガスのかかった、時には雨や雪・風にたたかれ 何等 美しいか、楽しいものを見たり触れたことのない山行に於いても彼等は十分の満足感を得るのは 何があってのことだろうか。死にも挑む山男の心理は神秘を越えて 不気味である。

 頂上はやや広々としている。遠望アルプスは朝程にはっきりした姿を見せてはいなかったが、それでもその美しさと気高さは失っていなかった。新雪はこの山にも間近いものである事が、遠くの白い輝きをみても明らかである。凉々(りょうりょう)とした山頂の風は晩秋の平地とは違って 初冬のものである。

 冷たい握り飯を三角点脇の小石に座って腹に収めた。握潰したそれを収め終わると絵を描く用意を始める。山は静かである。まして独りであるので心は淋しさを覚えているが、しっかり落ち着いていた。描き始めて暫く経った時、冷たく強い風の合間のほんの一瞬気の所為か、何か分からぬ悲鳴に似た声を聞いた。が、別に沈着になっている心は気にもせず、絵を描くことに気を入れた。山では妄想という奴に時々やられることがある。心の動揺がいらぬ遭難を引き起こすことをよく知っている。強い風ではよく描けなかったが、それが終わるとあたりを少し徘徊し、すぐに下山を急いだ。ひえた腹がこたえてきたのである。 勿論一本道であるから、同じ道を 速度を上げて降りた。いつも山の帰りも同じく それが惜しくなる。

 登り一時間の所を20分強で蟻地獄に戻った時 何か自分に不吉な物事を感じた。が、それが何であるか、自分にはよく分からなかった。 その不吉な事が、自分のものであるかもしれぬという恐怖が、ここを慎重にしかもゆっくりとトラバースさせた。 ただ、深い谷底が風に鳴っていたが、人の呻き声にも聞こえた。 登りに休んだ岩を見た時 頭に何か反応するものがあった。その岩の崖の赤土が崩れているのである。不思議に思った。それがかなり続いており底までその跡があるようにも見えた。まさか、人が、いやただの岩の崩れた・・・・・。

 トラバースし終わった所の軟らかい砂土(つち)の上に足跡があるのに気が付いた。ズックとビブラムものである。 あの二人のものに決まっている。そうすると、ここまできて頂上に行かずに戻ったのかなと考え乍ら足を進める。すぐに先程の二人の休んでいた(みち)にやって来た。 そこにはこの二人の食べのこりの赤いりんごとまた小さなみかんのその皮が捨てられてあった。ひょいとみると、丸めた新聞紙の間にハンカチーフの様なものがはさまっている。ひっぱり出して見るとやはりそうであった。まだ新しく隅に小さく”奈良紀子“とネームしてあった。自分(わたくし)はそのカンカチーフを腰のバンドにちょっとはさむと また足を速めた。

 三時半予定よりやや早く 闇の小屋についた。曇り空は、いつもなら人々に物憂い感情を与えるものなのに 自分にとって この天気が何か身に引き締めるものに思えて仕方がなかった。 急にこの森に入った時、(あた)りは、朝よりも暗く感じられ、あの時から錯乱する二人の事がむやみと気になり始めた。 すぐに 小屋の前で輪かん作りに精を出している雁二郎に興奮した顔を隠すこともなく、ぶっつけに二人の事を矢からさまに問い続けた。親爺の答えは全然自分を落ちつかすようなものではなかったが いや、考えれば非常に恐ろしいことなのかもしれないとのだ。十時過ぎから、暗い部屋仕事をやめ 外でゆっくり輪かん造り出したといい、それだから誰も降りてこないのは確かだと謂う。自分(わたくし)はすぐに腰のバンドにはさんだハンカチーフを見せたが雁二郎は全然飄々としており、何の反応もなかった。「ホゥー」とそんな一声を上げると くろもじの木を力一杯まげていた。 こんなにいきり立った自分にとって、この不愛想な男に対しては、しゃくな気持ちすら起こった。

 秋の黄昏は 人の命にも似て訪れるのが早い。午后四時という時刻は、曇黒さと、杉の大木の影と、その外にも 心の不安さで かなり暗く うす気味悪いものであった。 草木の萌える頃、いつかまたここへ来ることを別れの際に親爺に約束すると、初めて人間らしい 淋しそうな顔を自分(わたくし)に示し、自分(わたくし)が、森の暗さに包まれ、遠く見えなくなるまでずっと立って送って下れた。 人から離れた山男こそ 最も人間が恋しいものであることを、自分は孤り人里離れた辺鄙な山に行った時 教えられたことがある。

 今日の山行はもう終わった。 奇妙な事件が、いつもの山行のあとの感情と違ったものを創っていた。 黙々と歩きながら また訪れようと考え、 次の山の計画が ここで始まるのがふつうであるはずなのに。 自分は別のこと 即ちあの二人の事をまた考えねば気持ちのおちつきが得られなかった。 が、考えることが、また殊更に気持を動揺さすものであった。何故どうして二人は闇の小屋の前を通らなかったのか。蟻地獄の崩れたそれが非常に気になるし、 あの女の青白い手と髪の毛の色が・・・・。もし・・・。いや何かある。 幽霊でもあるまいし、小屋の前を二度も通らねばならぬ二人の姿を見逃した親爺が不思議と疑い深くなる。 そうかもしれない。森林の中を通る径は一本しかないから、考えられることは唯一つ、彼等は小屋の前の道を避け、小屋の後を廻ったかもしれない。褐葉樹の()()ならいざ知らず、杉の大木に包まれた森林は径がなくとも楽に抜け切ることが出来よう。 そうだ。それしか考えられない。それならなぜそんなことを。いやもしかすると、二人はまだ降りていないかもしれぬ。すると、崖から・・・。 この方が考え易く素直に受けとれる推理かも知れない。 それなら・・・・。 こうなると自分の頭の中には 無数の可能性を帯びた推理が生まれ、それがどれも、自分ながら怖くなり始めた。

 ふもとの部落には、こんなことを考えていたためか、意外と早く着いた。 所々の家には夕餉の白い煙がたなびき、もう電灯が、赤く窓を色づけていた。 役場の向かいの駄菓子屋で乾いた咽をサイダーとジュースで潤したが、いつの間にか自分は、そこの店のお上さんと妙な会話を始めてしまった。今日自分の外に 山に登った者をみなかったか。昨日はどうか。熱を入れてこんなことを聴く自分をお上さんは 不思議な顔でみるのがよくわかった。今日は朝のぼったのは気がつかなかったが、30分ほど前に女の人が山から戻って来たらしく飲み物を激しく飲んであわてるように駅の方に向かったと云う。 自分(わたくし)はその女のこまかいことを出来るだけ聞いた。気のむっヶ敷そうな顔をしていても そのお上さんは凡てに答えて下れた。 確かに 黄色いセーターでありそれがまた一人であったというのである。自分はぎくんと胸に何かつまるものを感じた。 きみが悪い程青白く、しかも非常に、非常な程に美しい人であったといい、眼は澄んで黒かったが自分(お上さん)の方へは一向きもせず、何かあったのだと思ったそうだ。 手がかりはこれだけだった。自分は聞くだけ聞くと何も云わず、ふいと店を出、駅に向かっていた。

 もう頭痛のする程考えが乱れた。 それでも落ち着いた推理の結果は 駅に着くまでには 一つにすることが出来た。が、粟のようによだって、夕暮れの風が更に冷たく刺激するのがこたえられなかった。 もし女一人で、山を降りたことが確かなら、男は崖から落ちた、いや、落とされたとみることも可能だ。崖のあたりから、男が幽霊なって山を登って行った。とでも考えねば、一本道を下った自分とも会わなかった彼の存在が説明できないし、これでしか 男が崖から落ちたことを否定することが出来ない。 消えた男、その解釈は興奮した自分に全く困難なものである。別の考え方を無理に作らねば、この殺人とも考えの行く興奮した推理を沈めることは出来ぬだろう。それなら、もし・・・・。 いくら考えても無駄骨であった。殺人・・・・。殺人にちがいない。あの女のよごれた皮の登山靴をみてもよく山を歩いた女であるし、森の径を小屋を避けて通ることが出来るのも そうであるにちがいないのだ。 愛という (やや)もすれば、おそろしい悲劇を、平気でもたらすそれが彼ら二人の間に何かを起こし相手を殺すことになったのか。 それともただの過失か、 しかし、動機はともあれ 過失でないことは明らかだ。何故なら 二度も雁二郎の目を避けた事に外ならぬ。 計画的なものである筈だ。人知れず男を誘うことさえ出来れば、彼女は男を静かな山中で殺しても人に分かることはあるまい。 いわば、 山ほど犯罪のたやすい処はないという事なのだ。 それだからこそ、人は、山男は 山を神聖に守り育てなくてはならない。 頂上で聞いたあれは、彼の墜落の悲鳴であったかもしれぬ。 蟻地獄の底から聞こえた風のうなりは彼のうめき声かもしれぬ。

 浮き立つ気持ちを(おさ)えて、駅の窓口で帰りの切符を求めた。次の上り列車まで3分とはなかったので既に開札は行われておった。 この三分を 小さな村駅の古びた待ち合い室のベンチでタバコを口にした。お陰で少しばかり気が安まったが、吸い終ると、 列車の音が聞こえたから急いで切符を切ってプラットホームに飛び立った。 汽車の来る方を見た時、近づいてくるヘッドランプの外に、黄色い輝きをみた。もち論 セーターであるし、あの女の姿でもあった。 幽霊でもみたように恐怖を含んだ驚きでその女をみたが、女も自分には気がついているらしくひどくうろうろしてみえた。確かに何かあるのがぴんとくるのであった。 もう気持ちは地に着かず 脈拍の乱れが苦しかった。 同じ入り口から 自分(わたくし)が後をつけるように乗った。 既に渾然としている車内では立ったままであった。 自分は自然であるような振りをしてその女に近づこうと努めた。女は益々狼狽を激しく表し、顔にも動ずる心が見えた。 美々しい容貌(かおだち)は心にくい程であり、感情を含みえぬ冷たい肌の色は次第に血の気のなくなる青筋に青くすきとおっていった。私が近づいてくるのを(せぐくま)る格構で避けていた。ゆっくりその隣に近づいて佇ずんだまま私は 自分のバンドに挟んだハンカチーフを彼女の手に黙って渡した。 青すじが女の美しい額に みみずのようにぴくぴく動くのを目の当たりに見て、背すじに針のささる思いをした。 こんなにうろたえた女に 自分(わたくし)は何も謂えなかった。 美妙な女横顔(プロフィール)をみていると 罪を犯した(すれ)()らされた人間をなだめてやりたいような そんな気持ちすら起こった。 そしてもう、私の心は沈静になっておった。何もかも知っているように。 それから長い間、私とこの女の間には沈滞した状態が続いただけであった。 けれど女は次第にはく息が静かにおさまり、何か覚悟の定まったのを私は直感したが、それがどんなものか知り得なかった。 複雑な女の感情は不吉な何かである。

 長い間何かを考え、うつむいていた顔が私の眼を初めてちらりとみて、女は急いで自分をよける様に列車の後部に馳せた。 黒く深い濃さとその奥底に涙のひかるそんな眼に にらまれた時、 悲壮な哀れさだけが妙な印象と綺麗さだけを投げた。 これ以上近づくのは 彼女にとって大きな苦痛であることを私は悟り、デッキのドアに見えなくなった女を追わなかった。 もう一人にしてやりたかったのだ。

 短い黄昏は既に去り、暗欝な夜がもうそれにかわっていた。窓の外をみれば、今、降りて来た山の、肩のあたりの 厚い雲の裂け目からこれも細い三日月が、その一部を見せており、それが悲愁でたまらなかった。やがてその月も 太陽の跡を追って沈んで行き、その時には、あの女も、跡を追って山に登っているのだとは、私には分からなかった。 私はそれから二つ目の駅におりた時には、デッキに立つ女を見なかった。 多分前の駅でおりたものか、そんな風にしか考えておらなかったのだ。 不思議な女、その美しさに魅了され、それが それがいつもは頑なな自分に訳の分からぬ寛容な気持ちを起こし微力な女の、それでも大それた罪を見逃してやりたかった。 しかし翌日の朝刊に、“奈良紀子”の名をみたときは、既に裁きの下っているのを知り、自分自身、人にいえぬ悲しみにおそわれたのであった。 その晩、その女の(からだ)線路(レール)の上に()むり、魂は男を追うようにあの山に登って行ったのである。

 

                     大門高三郎

 これは古き日の 山の懐古であり

    山を美しく守りたい勝手な願いでもある。

 

      一九六一年二月十八日 二十五時

 

生まれ学んだ故郷の南にある ()王山(おうぜん)には 学生時代 毎週のように しかも年中登っていて その山を意識して 闇の小屋も 蟻地獄も そして山行きの様子も その低山趣味 殆どそのものから書き上げたものです

“奈良紀子”は 故郷の最高峰奈良嶽と 好きだったけど片想いの小学生の頃の思い出を重ねたものです

NO1を書き上げて直ぐの 6日目に 17頁を一気に書き上げる若さがあったことを 今不思議に思う

 

 

第三作は 紛失したのか 出来が悪くて捨てたのか忘れました

第四作は 未完成ですが どんな限界を感じての中止なのか覚えていませんが 若気の至りを探せるかもしれませんので 転記します

 

  山の径にこぼれている綺麗で清らかな

   しかも温かいもの、 誰が落としたものか、

  時には 悲しみや 思い出までも

  山に拾うのです。    そしてまた、

  山の隘路に 秘かに 重すぎる苦しみを

     すてようと、 涙の露で

     草花を潤すような こともある。

 

 

Mont Conte No4「山うた話」

 

・・・・・春先は悩ましい。 ほこりっぽくて 人の心をもの憂くさせる。 赤蛙が卵を生み始めると、 もう春が約束されて、それで 春の日の光の 柔らかい美しさが 自然を温め、 山はもうじき青葉に萌え、 女の肌は なめらかになり 熊は夜っぴてうなり 村にも 山にも 憂鬱な 春の花の()(おり)りが 私の胸を塞ごうとする。・・・・・苦しく物憂い。

 雪なら吹雪け、 春が遠くなるから、 春のほこりを吸う自分がみじめだと、 行く冬を惜しんでこうさけんだこともあった。 無残にほこりに汚れ 消えゆく雪をみて 自分の心も 同じように 濁った 水溜りなのだと 気付くのも、またこの春なのだ。 そして いま かこうとしている話しもある春の始まったばかりの 息苦しそうな 空の鈍い青さの下で始まるのです。

・・乾ききった大地が 水を望んでいるように、 私の 何の味もなく 干し上がった 心は 潤いを求めて、ここ 東北の ある小さな山・・・・なんの特徴もなく また  幾十許(いくばく)もの 高峻といった気分を味わえるものではない山、 が却って 貧弱ではあっても 静謐さと 神秘を感じ、周囲に聳える峻険でその美しさ それにその大きさに関しては 筆舌及ばぬ 山々(それら)に、同じ神品であると 高邁な精神を素朴に保ち、地の片隅に座している山、・・・・そこに新しい心境を求めての独りの山旅を為しておった。 いま一事謂えば、 この山は 私の 小さな 心に 非常に似たものがあり、つまり私を勇気付けるものであると思えたのです。

・・・・・先にいったとおり、この時は春。 まだ灰色の枯木をみると それは 秋の霜枯れの哀れさと 変わらぬようにもみえたが、 水々しく 新しく吹き出た 青芽とは アンバランス な それだから なお哀れにも見える感じで、心に応えた。 (まわ)りの遠くの山々はまだ豪壮な白衣を脱いでは いなかった。けれども この山には 所々 木の繁みや谷の奥底に、わずか見え隠れする程度で、既に あの夥しく 畳った雪も 清冽な雪解け水となって麓の田畑を潤してしまった後である。 しかし わずかの残雪でも 冬を 見付けた喜びでやはりうれしい。

 吹き上げる谷風に帽子を取られまいと、 片手を時々頭に運びながら やせた尾根道を、去った冬を惜しむ気持ちを 一杯に含んで あるいている。 吹く風の、つめたさすら 快く感じられたのは そのせいであろうが、 それでも 空は うすく白い濁りを浮べ 春であることは隠しきれない。 黙々と足を運びつつも私は、 しばしば 無意識に ()(えだ)の新芽を無残にもぎ取り 一生懸命 さえずる鳥の声もよそに 春の日ざかりに 去日の冬を思い出すのと同じ仕草で うす汚れた残雪を バックミラーであるかのように のぞきこみ 過ぎ去った日のことを自分は思い浮かべていた。

・・・・・今日この 遠く東北(みちの)()の それも小さな山の  わずかしかない貧相な尾根道を歩くのは、 二度目であるとは謂えば、誰も ものずきなと思うに違いないのだが。 一度目のそれは 東北のある街で さる用を済ましての帰りこの 山麓の小さな駅に 途中下車して 不図登ったことがある。 去年の同じ春のことなのです。 そして一年経った今、同じ山に違った心境(もくてき)で、つまり ぶらりとやって来たのではない、という意味なのです。

 私は赤茶けた 禿地にやわら腰をおろして 独り耽り 始めていた。  この山には 一つの思い出が捨てられており これをなんとか 処理しなければと、勿論 私の作ったものを美しく守りつつも忘れたいと いう気持ちで あったからです。

・・・・追いかけて 追えるものなら、・・・・ 馬鹿な悲しさを追うような 無駄を 私は悟ることが出来ない。 意気地のない自分を 責めることも出来ない。 嗚呼、 このちっぽけな悲歌を おもい切れないとは。

 雫で草を湿しながら こんな山中に 誰も聞いてはいまいからと、私はとくと向こうの山に話しかけていた。 小さな薄汚れた 残雪(バックミラー)(むか)って。

 愚痴 な 話しと 誰が聞いても思うに違いないのだが、 私は 君との初めての出会いを腑甲斐ない敗北だと 認めざるを得ないのです。 男と女の初めての触れ合いが 如何に 大切なものか、(とく)と心得ているような自分なのに。 私がこの山の東を流れる (むせび)(がわ) を 遡行していたころは、 誰一人とも会わず、 賑賑しく春をうたいさえずる小鳥たちのすがたのほかは、 私の眼に(ひらめ)く ものは なかった。そしてその川の支流、 荊棘(おどろ)沢に入った(あたり)では、すくなからず 不安でもあった。 この沢には 躊躇(ためら)うほどでもないが、 些か 溜息をついたほどに、 この小さな山にしては、立派な滝が、五つ六つは続いている。その二つは (とても)もとまではいかないにしても、 かすかな捲道を辿って 直登を避けねばならなかった。また、谷筋の狭く暗い岩肌にはさまれている処が数ヶ所、猫柳の目配せが 物狂おしくおもわれるほどに 開けた (なめ) となり (いか)す と 頷ける所もある。

 

 

こんなところで終わったまま 数枚の白紙を残したまま このコントは終わっている

バックミラーに向かって言いかけた言葉が何であったのか どんな彼女と どんな敗北を味わったのか マイクの実体験とは全く関係ないとは思えないのですが 今はもう思い出すことは出来ません

 

出来ればこの続きを想像すると言うか マイクの青春をもう少し思い出して続けたいところですが どれほど面白いものになるかには自信がありません

それより マイクの山ばかりの青春と 余りもてなかったが 片想いや一寸した出来事を まだまだ語りたいところですが 実はそんなことをしても また誰かに話してみても 余り関心持って頂けないことを察知していますので このシリーズはこれにて終わりにします

 

 

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