この論文は マイクが24歳のもので 青春のまだ青二才であったことは 内容からして間違いなく 本当に恥ずかしいものです

多分恥ずかしい内容に 自ら途中でやめて 投稿もしなかったのです

平凡パンチは創刊号からの愛読者で いまも大事に5号まで持っている

こんな時があったことは懐かしく それを今もう一度キーボードに向かい 打ち込みながら読んで見ることにしました

誤字や癖のある言葉使いや句読点も そのまま若さを見られるのでそのままにします

        2011.9.23     雑感色々のページに戻る   HPのトップページに戻る

 

 

 

南太平洋冒険旅行プラン(懸賞応募案)東京都京橋局区内 平凡パンチ編集部『冒険旅行』係

 

 私が以下に述べることは 些か 冒険旅行の プラン としては 当を得たものではないかも知れない。   というのは  それは 私が  最近の日常生活のかなりの部分を占める時間を 計画の実行のための思案に費やしているほど おそかれ はやかれ 実現するするであろう身近な試みの具体的な計画にすぎないからである。

冒険とは  俗な見方を許すならば 名だたる英雄が  壮観な危険をおかして行う 派手な外見を必要とするものであろうし   少なくとも 周到な準備と計算のあることが 度外視され忘れられるほどに無謀な条件に運を任せたものに見られなければいけないらしい。

 とすれば  安全容易に実行され、まして退屈な世人には少しの刺激おも与えることが出来ずに  ひとりよがりな 私の計画は  そう呼ばれずに  ひとり 孤独に為されて しかるべきものなのであろうか。  冒険には可能な限りの 知識的準備のもとに、それ故に当然新奇なる手法によって企てられた未知のジャンルに挑むものはすべて含まれて然るべきものだと私は思う。

 冒険が常に結果に危険と新奇さをはらむのは、その趣向自体の斬新さが理由であり 趣向とは冒険者に生じた思想であり、それは取りも直さず個性である。

 ともあれ、ここで冒険は思想の表現手段であって  その実現が思想の証明を導くものと独り善がりな結論をみとめれば、次のような私の計画もまた 実行されて意義あるまい

 ここでもう一言更に言葉を加えるなら、 私がいう冒険とは常に新しい快楽を  独自で見付け自分でその快楽を肌に味わうことだけで充分だと云いたい。

 

さて  先ず 具体的な旅程を記す前に、 私の計画が 冒険としての充分条件をもちあわせていることを示すために 南太平洋に赴く計画の生まれて来た根源をたどる必要がある。 それには 私自身の性格や思想の招かいも必須になるので、それも敢えておこなおう。 なぜなら 冒険の発生は個性からでなくては意味がないからである。

 

簡単に云えば 飄々として精神散漫であり 内向型感情的な私である。そして快楽主義の実践者といえぬまでも、 その哲学の研究家であることは間違いない。 理学部物理学科卒 24歳。 化学繊維会社 研究所研究員。 サラリー3万8千余。独身。女性関係フリー。

 

かくて 私に可能な冒険は、この平凡なるサラリーマン生活からの逸脱という、至って容易なレジャーまがいの旅のみによっても たとえ小さくとも充分満足なものとなるのであるが、 私はこれに 私がエピキュリアンの哲学に徹しきれないその理由は、 過去の半生によって創られた内向的性格からくるものであるが  その哲学の傍観者である研究者として、 いつも理想として考えている快楽主義の哲学の最も自然に受け入れられる世界の探求者として 南太平洋に楽園の可能性を見付けることを目的として加えることとした。

 

これが付け加える理由は、 私がエピキュロスの哲学を愛するからであるが、 ここで私がエピキュリアンであるということを自負しようとつもりは 毛頭ない。 私の過去の半生に於いて創られた内向的性格からの逸脱を何度か試みたものの 大脳壁の改質は成功をみたことがない。 それ故に私はエピキュリズム研究者としての 傍観的立場を 自然と身につけてしまっただけかもしれない。

さてここに私が唱える快楽主義を書きなぐることは 望むところであるけれども 少しばかり 冒険旅行の計画に蛇足の感を抱かせてはと案じて、止めておこう。 それは改めていわずとも、エピクロスとルクレチウスのとなえたということはわかっているのだから 至極あたりまえの 本能の素直な表現である。 でも あいまいだとおもうかもしれないが 私の探索しようとしているこのエピクロス哲学の桃源郷の発見は、これが必ずしも南太平洋で可能とは考えられない。自由な解放された自然で素直な世界であるにしても 快楽は出来る限りの知性が約束された世界であらねばならぬものだ。 南太平洋の離島の生活や文化の実際はどんなものなのか それをたしかめたところで 不足した文化の中にも快楽が住み得るものかどうか、その点を是非見極めたいと考えている。 私の計画している旅行の第一の目標はこのところにあって そういう世界のより正しい理解のためにも役立つものと信じている。

このことに関連して、私の出来ることはまだありそうである。私は理学部で物理をおさめている。 そこでは科学と技術の真髄を教えられ 理科教育の資格を得ている。 もともと、自然科学に対する興味は人並みをはずれ、優秀でもない頭脳をむちうったからには これが役に立つのは、このところにあると思う。

 

南太平洋の島々の人たちがどのような教育をうけ、どんな生活を営んでいるのか 書物と人伝えで聞くにしても それらの著者や語り手の この点に関する言及は少なくて 得られない。これらの島々では 私は私の持っている知識を振り撒いて、楽園に生活する人々を乱そうとするものではなくて、 私が出来るのは、これらの人々に受け入れられる文明がどの程度のものなのかを調べ、その必要性を確かめること、もしそうならその導入にはどういう内容と形式が適当であるかを考えることである。 文化とは 科学技術・学問のみならず、道徳も私のできるだけの考察が加えられ、 生まれつきそなえた、人間の快楽的本能が育った環境と背景についての調査も同様である。

これらの仕事に 日本の文化の使節としての役割をみつけることができる。

このように書いてゆくと 私の計画は、私のもちあわせるいくつかの平凡な特技を私が多分教える必要のある世界で そのままふりまけばよいしごく簡単なものに思われてくる。

 

私は冒険というものが 初めに私が定義したようなものと仮定すれば この安易な冒険も充分意義があると考えている。

私の出来る創造的な行動は、 いままでのベたことだけのようだ。それはそれとして、私には、まだいくつかの、 南太平洋の旅行中で行える希望と夢が期待される。 それらをここに一つ二つあげてみよう。

私は 星の世界と絵画あるいは人間の創造した芸術を眺めるのが すきである。

南太平洋の小さな空の澄んだ島でみる南十字星と、マゼラン星雲は、私の夢の象徴でもある。

 

また100号ぐらいのキャンバスに、一見非常に簡素で強烈な色彩のマチュエールの中に、楽しい哲学の姿を彫り込んだ、南太平洋を表す油絵を その滞在中に仕上げたいものだ。

 

かくして私の冒険旅行計画は 非常に膨大なものになったかにみえる。 しかし 実は、旅行というより、定住によってなされるべきものらしく いろいろとさまよいあるく必要はないようにみえて 南太平洋の、もっとも、それらしき特性をそなえた場所がみつかれば そこで完遂され得るもので、 旅行という形態はとらぬほうがよさそうである。

時日私の計画は旅行でなくて 南太平洋のある島の臨時教師として迎えられることを願っているものである。私は少しばかりのフランス語を独習しているので、英仏の会話は何とかなると考えており、教師という立場が最も可能な体財宝と考えているし、 また既に述べた目的を達成し得る立場と考えている。

さてこのような目的のためには 私の具体的な旅行の行き先としては 南太平洋らしき特徴を保証されているところならどこでもよいのである。  そのような理由で私は とりあえず タヒチの東のツアモツ諸島の中央あたりの島を選んだ。

これは、 もっと有意義な人たちによって叱正願えれば、 変えられるのもので 私の勉強不足は,隠す気がない。それよりもそこには多くの島が点在するので いろいろの島を巡って 南太平洋のいくつかの典型をみることができ その後で 自分で 自分の好みにあう島がえらべたら、 これこそ最も有意義な選択であると考える。

 

このようにして選んだ島に私は最初にのべた目的の遂行には長期を要することを認めるが、 ここにそれほど長く住みつく計画は持っていない。 それも若い日のわずかの部分にしたく、 長くても一、二年であろうと思っている。 なぜなら、この若い時代を、私にいわせれば、文化果てるところに、文明の世界に住んだことのある若者が、 満足をうるとしたら、彼は文明の世界につかれてきた敗北者でしかないと 私は敢えていう。

それで私が つまり私のいいたいことは一年ばかり そこに できるだけ住んで あるべく努力し 短期のうちに 成果もあげたいと欲ばっていることだ。

それでも私の最終的な計画は この度の旅行にとどまるのではなく その時の吸収物をそだてるのが 帰ってからのもっとも重要な仕事であり もし、たぶん40才をすぎて、 文明の進度に追従できぬことを悟った時には、この南太平洋の小さな一つの島で、余生を活用したいというのが、それであることを最後に付け加えよう

 

 

ツアモツ諸島 キングジョージ諸島 ニビル マルテァ マナ マケア ルルツ ツブマイ ラパ マロチリ等の名前がメモされている

日仏学館に その後通う程 その時はフランス語を独学していた

大学時代のヌーベルバーグ映画が その原点である

今もブリジッド・バルドーが 頭から抜けない

助平心と冒険心は どこから生まれたのか 自分では分からないが 人並み上であったが 隠れて遊ぶタイプの小心者もあったのです

 

 

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