古人憧憬  いにしえびとにあこがれて  2005.8.8

 

BS01316_信心の人      古人のページに戻る トップページに戻る

実行の人

古人 今何処に基礎創りの人

滅私奉公の人

直感の人

理念の人

信念の人

古より 多くのこれらの人々によって 弱者は弱者のままでしかないが それでも多くの愚民が救われてきた

 

マイクが古人に憧れるのは 役行者や空海を知れば知るほど その偉大さが我々今様人と何に違いがあるのかが 気になってしょうがないからに他ならない

今時人と同じ類のDNAを持つ人間でしかないのに 人間の単なる能力差の範疇とは思えない程 優れて立派な事を成されておられるのです

多分その頃の知識人は 深く物を見 思いを掛ける本能に於いて 今様人とは違う何か純な集中した働きによって行動したものと思われる

 

私たちとは違うパターンで脳を使っていた

1千年そこらで人間の生命力が変わってしまった筈がない

脳の能力は同じであるはずだが 使い方が違っていた

それが今様人とは違うパターンで 新しい創造や本質を見抜く力を与え 行動させていた

 

社会の利便性が進み 物欲に生きるうちに多くの厳しい真摯な生き方を忘れ 安寧に生きる世界を作ってしまって その安易な思考パターンで生きる今時である

それでいいと言えばよいのだが 何のための安穏かを また本当にそれでいいかを問うて見たいと思っています

 

失ったのはその能力ではなくその脳力の使い方 思考するパターンで違いをもたらし 今はすっかり失ってしまったかのようにも思われている能力の違いとなった

それを確かめるには古人の力をその実績・史実から推定しなければいけない

マイクが今更古人について調べないでも 多くの専門家の研究著作がある

小説となったものもある

少しは読み 学んだ

 

それより 素人の市井人のするべき事は これらを勉強するばかりでなく 高僧や学者の話しだけを知識とするだけとは違って 実践し体験しそこに何かを求める事であろうと思う

体験し 実感し 人の可能性を知り 失ったものは取り返し 今様と古の双方を理解活用した利口な生き方を考え直す事だと思う

そのようなものがあるのかは分からないが 古人の優れた直観力と行動力は確かであり 何とか私たちが少しは体験できる筈だと信じています

それが在野の者の修験と言うものなのかと思います

 

先ず著作研究や小説などで学ぶところから始める

 

役行者

行基

修行あるのみ空海弘法大師 最澄伝教大師

円空

泰澄法師

白幽

 

五木寛之 風の王国

黒岩重吾 役小角仙道剣

町中の仙人憧憬夢枕獏 七人の役小角

水野正好奈良大学学長 役行者研究講演

三角寛 サンカ社会の研究

沖浦和光 幻の漂白民・サンカ

 

マイクはこんな思いで少しばかり考え行動してみたが まだまだしと言ったところですが その内に

 

熊野詣 熊野古道 中辺路 奥駈け

2004年9月の末 事情があって全てを歩き通せなかったが 京都から熊野本宮大社までの旅に出た

昔の人が片道を10日掛けて修行したと言う熊野詣を体験しようとした

 

今年は奥駈けを試みようと思っていたが 腰を痛め この暑さもあって 情け無くも躊躇している

 

箕面に役行者あり

ホームレスで武道を指南している方で 役行者を紙芝居にして語り伝えておられる

何時かゆっくり指南をと思っているのですが 今だし

昨年の神峰山寺であった 役行者祭で偶然お会いした 今人とは思えない 気になるお方です

 

那智にサンカあり

昨年たまたま那智の近くで知り合った方が 時に1ヶ月は一人で山暮らしをされると言うので 2005年3月の始め 詳しくお話を伺いたく出向いた

私より一つ上の方で 30年前まではその辺りは食うのも大変だったので 山に入り暮らすのも難なくこなしていたという

期待していたサンカではなかったが サンカそのものがさほど非現実的なものではない事を感じさせていただいた

 

マイクは今も相当酩酊している

殆ど依存症であるが 中毒というものではない。

しっかり計算して生きている 嗜んでいる 味わっている 古人に憧れ 般若に憧れ

 

胃腸から血液に吸収されたアルコールは肝臓の酵素力で先ずアセトアルデヒドに分解され もう一度別種の酵素力で分解され酢酸になる

始めの分解能力が悪い人は 羨ましい事にアルコールのまま脳や身体を廻って心地よくさせてくれるので 楽しい酒と言えるが アルコール処理能力は個人差なく 時間当たり10CCであると言われる

次の酵素力が弱いと アセトアルデヒドが毒素として残り悪酔いさせ 所謂 下戸であり これは辛いと思う

前者が弱く後者が強いのが 酒を嗜めるベスト つまり安上がりに酒を楽しめることになるが 両方とも強くては何の為に飲んだか分からない切りのない酒となる

始めに話した様にアルコール処理能力は大体同じで 日本酒なら一合つまり 180cc 16度 のアルコール分約30Cの処理に 3時間かかることになる

ビールなら大瓶一本 25度の焼酎なら120CCに3時間

つまり3合なら翌朝にはケロリと出来るし 1日24時間なら8合か ビール8本 焼酎なら約1リットルを処理し 一日中楽しく酒を楽しめる

これを越えると 一日処理能力を超え 明日に残るのでやばいが ここまでなら安心である

 

もう一つ カロリーを見ると 一合で120カロリー 一日8合なら960カロリー つまり一日の基礎代謝にしかならないので 酒だけで生きることは肝臓の処理能力からして 基礎代謝内で寝て暮らすしか出来ない

しかも脳はブドウ糖しか使えないので アルコールから造られる酢酸だけではかなり爬虫類に近い生き物でしかないでしょう

つまり 人が爬虫類になる事こそ酒の本来の嗜み方で 般若になる為に飲む

 

般若とは迷いを離れ 物事の真相見抜く状態や知恵を言い 悟りの境地でもある

悟りを妨げる煩悩は大脳表皮に住み着いていて 禅ではこれを瞑想で払い除けるのだが アルコールが先ず大脳表皮に効くということから これに手助け願って般若に到るのは 手っ取り早くもまた確実な方法である

 

酒を般若湯と言い ビールを般若泡 ウィスキーを般若洋として 禅宗では公認されている位だ

悟るということは 爬虫類になるということだと信じて マイクの余生は仙人気分でこれに浸ろうと思っています

 

ここらで結論を言うと 今様人は大脳表皮で生きているパターンであり 古人は般若のパターンで生きてきたのではないか

マイクは早い内からそう信じてしまって イージィな酒浸りに走ってしまっている

そう焦る事はないと自分に言い聞かせても そう長くない余生を考えるとこうなってしまう

 

ただの酒浸りの釈明の為に このHPを立ち上げたことをばらしてしまうだけのようになってしまったが 禅の心 宗教人間 本能人間 般若 ・・・

マイクの好きな生き方を整理してみる事は私の為にも そしてマイクを理解しがたいと怪訝に見る輩にとっても 一度は暴いておいた方がよいでしょう

恥ずかしながら 恥をしのんで 恥知らずな思いを巡らしてみましたが どなたでも私の惨めな生活を叱正・矯正戴けること BBSにてお待ちします

 

そのうち修験と修行を勤める事が出来れば 次に仙人となって松葉を食べて生き延びられるか 確かめたいと望みを捨てきれず 今はその紛い事として 京都の町中に漂う文化の霞を漁りながら生きる町中の仙人として ただ酩酊するだけではないよう慎ましく生きています

マイクは走りながら古人の力を考え 走りの理論を考え 人の心の鏡について見つめ直しながらも 古人をただ憧憬する修験修行だけで終わらせぬよう これを実践に繋ぐべく陽明学も修め 何れは老人の罪滅ぼしとすべく マインドイノベーションアートエコロジーの重大性を語り続け 少しでも世直しを実現できるように仲間を増やそうと 時間の足りない日々を過ごしています

ヘルプミープリーズ

 

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2012.4.17追記

役行者の修行に憧れてこのページを立ち上げたのですが 如何したことか仙人ばかりを意識してきたようです

道教で云う仙人は 日本古来の山岳宗教である修験道の繋がりは必ずしもないのですから 只の仙人ファンなのでしょう

しかも広く古人やサンカにも関心があったりして 山伏と言う身近な修行をすっかり忘れていた

役行者を修験道の行者 つまり山岳宗教と捉えてしまっていたからで 山伏も同じ修験道であることを忘れていたのです

共に役行者を祀る修験宗総本山天台宗聖護院と真言宗醍醐派総本山醍醐寺でする 京都から大峰・熊野へ行く奥駈講等も山伏の修行ですし 京都の街には檀家回りの山伏の掛け声が響く

つまり 山伏を仏教修行と捉えていたので 修験者とは区別していたのです

それでも奥駈けを何時かはやろうと思いながら また山伏修行ならより現実的なのですが 既に歳をとってしまった

山伏と僕

30歳の若いイラストレーター 坂本大三郎が『山伏と僕』(リトルモア)に実践記を出している

一寸刺激され共感しましたが マイクには既に遅いと思いました

しかし檀家を廻る山伏は相当のお年寄りばかりですから それなりに嵌ることも可能なのです

 

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