エピクロス崇拝        2010.12.30

                       古人のパワーのページに戻る トップページに戻る

  岩波文庫 エピクロス―教説と手紙―出隆・岩崎允胤訳 S34.4.25初版

マイクがエピクロスを知ったのは 大学2年だったか 初版第二刷を今も大事に抱えている

薄っぺらな岩波文庫に嵌ってしまったのは如何してか

物理を学んでいたマイクにとって 哲学書と言うより自然科学を哲学するものとして興味を持ったのかもしれない

しかし科学と言うには程遠い 空想のレベルでしかない未熟な自然哲学のどこに惹かれたのか

この時代の自然哲学は 科学的である筈もないのに 神に代わって宗教的にそれを科学と断定しているソクラテスやプラトンの教義が既に出来上がっていた

エピクロスとて デモクリトスの原子論をベースにしているだけのものです

そんなエピクロスのどこに関心や魅力を感じたのか

 

若かったマイクはどんな気持ちであったのかを思い返せば 兎に角嵌ってしまっていたのは確かです

今の科学的な時代から見れば そんないい加減なものだと思いながら惚れこんでしまったのです

然しエピクロスの教義には あちこちに断定できないとする曖昧さが見えて そこに謙虚と誠実さと素直さを感じてしまったのです

エピクロスの倫理哲学の教義に嵌ったと言うより 自然科学の甘さの面に惹かれたと言ってよい

 

嵌ったもう一つの理由は 現存する教義は この一冊だけしかないと言うシンプルなところです

プラトンやソクラテス 空海等となると 数知れない教義や それを元にした莫大な評論を広く勉強しなければならない

それは素人には無理だが 残されたものの少ない偉人ならば学ぶに楽かもしれないと そんな不謹慎な思いが強かった

エピクロスを学ぶには文献が少ない つまりシンプル? イージー? コンテンツまでもシンプルかも?

 

この本はもう絶版で 関連のものも求め古本市で探して 今は2冊を持つ

これだけ嵌ったと思っているのに 何時か読み返そうとしてもなかなか暇がなかった

と言うより あれこれ他の雑念・愚行に取り巻かれ 学生時代に嵌ってしまった純真なあの頃のマイクには戻れない今なのです

しかしあの時の理解とさほど違わないと思っている

それ程シンプルと言うか シンプル人間マイクにも理解できてピッタリであったのです

 

簡単に言うと エピクロスは<魂は滅す 現世を禁欲で>と言う それがエピクロス快楽主義なのです

その頃のマイクはまだ思春期の悩みが生まれ掛けであったにせよ ボーとしていて人生論には疎かった

そのような道徳倫理としてのエピクロスよりも 理科系のマイクには 科学論の曖昧さに惹かれただけかも知れない

 

その後のエピクロスへの憧憬は消えることなく確たるものではあったのですが 取り立てて勉強する訳でもなく読み返しもしなかった

エピクロスの名前は時々接するが 余り気にする余裕もなかった

例えば渋沢龍彦の「エピクロスの肋骨とは何か

気になり読んではみたが 今も初なマイクには何のことか分からない

レビューが二つあったので転記するが 何故エピクロスなのか 肋骨は何を意味するのか 何処がエロティシズムなのか 分からない

 

渋沢龍彦の「エピクロスの肋骨」港町の病院を抜け出したコマスケの物語「エピクロスの肋骨」。コマスケの詩を書いた紙を加えて山羊になった門衛、詩を書いた葡萄パンを食べて少女となった三毛猫。「線香花火のようにきらきら燃え」ながら、その「ふかい目の底には、実は一点毛のさきでついたほどに、半透明の真珠母いろが油の澱みのようによどんで」いるというその目の描写も素敵です。

 

エピクロスの肋骨の主人公は、コマスケという。これは、ぱんだはうす、ブランドデビュー作「青い鳥」の主人公と同じ名前だ。どちらのコマスケもふらりと旅に出る。どちらのコマスケも病室を抜け出すのだ。そう「逃げ出してやるのよ」

 

鈍いマイクが理解するにはもう少し時間がかかりそう

 

最近次のような本に巡り合う

 2010.8.9 古人のパワーのBBSに「エピクロスとマルクスとマイク」として書き込んだ次の本です

今夜 立ち読みする積りで行った大垣書店でエピクロスの園のマルクスフランシーヌ・マルコヴィッツ法政大学出版局 なる本をたまたま見つけて興奮した

マイクは このサイトに 高校時代に嵌ってしまったエピクロスについて 私なりの見方を何時かは纏めようとしています

ルクレチウスのことぐらいは何時か勉強しようと思っていたが あまり関連することを学ばないで済むと思っていたのに マルクスもエピクロスに関心があったらしく この本を無視すべきではないと思い購入した

直ぐに読む暇が当分ないが 何としてもこのことをも大事にしたエピクロスのページを立ち上げたいと思っています

 

こんな思いになったが中々手ごわい本で 家では落ち着いて読めないまま 今夏メキシコに行く機会があって その機内なら集中して読めるかと持っていった

片道30時間 往復60時間目を掛けて一応目を通したが とても理解できなかった

 

マルクスがエピクロスに方法論の根本を見つけと言う本なのです

確かに マルクスがエピクロスに唯物論的思想を信じて資本論を確立したとするが この「園」と言うのは何のことか 全く説明が無い

 

エピクロスの園のヒントや答えになりそうなのが次の本です

エピクロスの園」アナトール・フランス 岩波文庫 と言う本がある

ひょっとすると マルクスをこちらと絡めたのかもしれないと思ったのは マルクス本を読んだ後である

この本は 思想的には懐疑主義の流れを継ぐ自由思想家といわれる作家アナトール・フランスの随想集

宇宙全体がはしばみの実くらいに縮んだとしても 人類はそれに気づくことはないだろうという「星」をはじめ さまざまな題材を用いて洒脱にその人生観を述べているとか

 

しかしフランシーヌ・マルコヴィッツの本の中には アナトール・フランスのことは全くないのです

多分 エピクロスが理想とした集団生活の学園のことで つまり園はユートピアに憧れるマルクスとアナトール・フランスと言う意味なのでしょう

 

分からないことは分からないままにして エピクロスについて 50何年ぶりに考えなければならないと思った

それは マインドイノベーションのページで ユートピアについて書き纏めたこともあって マイクも憧れるエピクロスの園の主 エピクロスについても思い返すべきだと思ったからです

 

その前に エピクロスについて概要を思い返してみます

それにはウイキペディアの他 次のサイトにも簡単に解説がある

http://www.ne.jp/asahi/village/good/epikuros.html

その中に 平凡社『世界大百科』のエピクロス (前341ころ270ころ)では次のように引用している

 

Epikouros(BC341−970)

原子論と快楽主義で有名な古代ギリシアの哲学者

サモス島の生れ。前307年ころ 父の故郷であるアテナイに庭園つきの家をもとめ そこに学園を創設した

その庭は後に〈エピクロスの花園〉と呼ばれ 彼自身は〈花園の哲学者〉と呼ばれることになる

大著《自然について》は散逸してしまったが 3通の書簡と個条書き風の《主要教説》,その他の断片が現存している

彼はデモクリトスの説を継承して原子論の立場に立った

自然界の事物は原子から構成されている合成物であるが 合成物の表面からは絶えず〈エイドラ eidola〉が流出している

それは多くの原子からなるいわばフィルムのようなものであるが それが感覚器官の内にあって同じく原子からなる魂を刺激することによって感覚が成立する

人間の判断には誤りがありうるが 感覚はいつも正確に外界にあるなにかに対応しているのである

彼の哲学は感覚主義である

だが この原子論や感覚主義がただちに倫理的な教えと結びつく点に彼の哲学の特徴がある

原子論者である彼にとって真に存在するのは原子と原子が合成し また離散する場であるト・ケノンのみであって われわれが死ねば生命なき原子へと解体するだけであるから 死後の懲罰などを恐れて不安に苦しむ必要はない

また原子論の立場に立つかぎり 死はわれわれにかかわりなきものだからである

〈われわれの存するかぎり 死は存せず 死が現に存するときは もはやわれわれは存しないのである〉

死への恐れ 死後の不安から解放されるならば それだけでも人間は〈平静不動(アタラクシアataraxia)〉の境地に入ることができるのだが 生きているうちは安んじて快楽を追求すべきである

〈快楽こそは幸福なる生活の始めにして終りなのである〉

彼は感覚主義者らしく〈胃袋の快〉を善の つまり快の基礎と見ているが しかし彼はことさらに大食や美食を勧めているわけではない

大食や美食は胃袋の快どころではなく むしろ苦痛を招きかねない

〈パンと水〉だけで満足するつつましい生活こそが快を実現する道ということになる

また公人としての活動はさまざまなわずらわしさの渦中に人を巻き込み 結局は苦を生みだすことにもなる

したがって有名な隠れて生きよ(ラテ・ビオサス Lathe biosas)のモットーがこの哲学者の生活の信条となった

もっとも隠れた生活とは言っても それは孤独な隠筒生活を意味しない

友人たちとの友情にあふれた交際は静かな快 静かな喜びをもたらす一つの道なのである

結局 この快楽主義の帰着するところは魂のかき乱されない平静な境地であり 彼の言葉によれば〈平静不動〉とは〈静かな快楽〉にほかならないのである(斎藤忍随)

 

アナトールやフランシーヌの「園」とは 先に述べたとおり ユートピアに憧れる つまりエピクロスの(楽園の)信者だと言うだけのことだったのでしょう

斯様に信者が多いのです

その頃の時代では ルクレチウス(BC99−55)がそうであったらしく エピクロスの宇宙論を詩の形式で解説し 主著『事物の本性について』で唯物論的自然哲学と無神論を説いた

ルクレチウスは 説明の付かない自然現象を見て恐怖を感じ そこに神々の干渉を見ることから人間の不幸が始まったと論じ 死によってすべては消滅するとの立場から 死後の罰への恐怖から人間を解き放とうとした

マイクは学生のその時からルクレチウス本を長く探し求めているのですがまだ巡り合っていない

 

マイクがルクレチウスに負けず ここでエピクロス賛歌を奉ずるくらいのことをしたいのですが マルクスだってアナトールだってそうだったと言うことを知っただけで 野暮なマイクはこれ以上何もすることが要らないと悟った

また芥川龍之介がアナトールを師とするくらい影響を受けている つまり間接的にエピクロスに と言うことも知った

 

エピキュリアン=快楽主義者くらいに茶化されやすい面もあって 誰もかれもが本質的な影響を受けているとは言えないことも確かです

しかし快楽主義という誤解されやすい言葉で エピクロスはまた知らない人がいないくらいなのかもしれません

 

プラトンとアリストテレスに比べると 著作の不完全さから自然科学的にも哲学的にも瞑想する観念としての扱いがされているように思う

然しそこがマイクには魅力なのです

そしてアナトールもマルクスもそこに観念の本質を見つけたのだと思います

若いころのマイクは瞑想するだけでなく 迷走するエピクロスに魅力を感じたのです

 

ギリシア時代の原子論でもって 何の確証もなしに唯物論を展開し 空想哲学だけで神を否定できる筈が無い

しかし瞑想すればするほど 唯物論の匂いを感覚し 唯物論にユートピアを見つられそうだと迷走もしたエピクロス

だからマルクスやフォイエルバッハのようには唯物論に徹しきれないところがあったように思われます

若いマイクにはその若さを 哲学の若さであるかも知れませんが そこに素直に共感を得たのではなかったのかと思い返す

そしてそこがまた後のエピクロスファンの誰にとっても 彼の魅力なのではないかと思います

 

エピクロスファンの一人に 浅田彰がいる

朝日ジャーナル1987.5.11 の読書特集<知の狩人>が選ぶ50冊 に 浅田がエピクロス関連図書として10冊を上げ解説している

J「エピクロス」岩波文庫

K「事物の本性について」ルクレチウス 世界古典文学全集21 筑摩書房

L「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異」マルクス・エンゲルス全集第40巻 大月書店

M「マルクスその可能性の中心」柄谷行人 講談社

N「自然についてーエピクロスのおしえ」高橋悠治 エピステーメ197689月号朝日新聞社

O「小鳥たちのために」ジョン・ケージ 青土社

P「劇場としての哲学」フーコー 小沢書房

Q「ドゥルーズの思想」ドゥルーズ、パルネ

R「フラクタル」数理科学19811月号

S「雑木林の小道」森毅 朝日新聞社

 

流石学者だと恐れ入りました

OからSもエピクロスに関連し Sの森毅をエピキュリアンと讃える

もっともっと勉強すべきだと23年前に思ったが その後はそのまま何も勉強はしていない

 

マイクが今更エピクロスファンであるとここで語っても これには敵わないとビビってしまうのですが これから 50年ぶりに読み返した感想を述べてみます

そう思ってから今日までひと月以上掛けて 古惚けた岩波新書を捲ってみましたが 鉛筆で傍線がいっぱいある部分にも 若いマイクがその時に感動した気持ちが殆んど分からないくらいであって 何故 何所に 如何して嵌ってしまったのか自信が無くなってしまった

 

しかし浅田彰がここまで大事な本であると述べるように 多くの知識人を刺激し マルクスだけならず ケージやフーコー そしてドゥルーズやアナトールや渋沢や芥川とか森までもが マイクと同じように いや同じレベルではないに決まっていても 影響を受けているのです

 

それだけを納得したので これ以上マイクの思いを記すのは恥ずかしいだけだと知り そろそろこのページを終わりにすることとします

 

エピクロスファンはまだまだいっぱいいると思いますので 倫理面からもまだまだ考えたきことがありそうですので マイクにご意見いただけることをお待ちします

古人のページにある偉人達と 何か繋がりがいっぱいありそうです

ユートピアを求めるマイクの思いが まだまだ発展するように考え続けたいと思います

 

 古人のパワーのページに戻る トップページに戻る

 

inserted by FC2 system