ユートピアはあるかマインドイノベーション10

     2010.11.18  マインドイノベーションのページに戻る トップページに戻る

 

 

可笑しくなった今の時代を作ったのは マイクと同じ世代のおっさん達が 高度成長経済の波に乗っただけの つまりラッキーなだけのサラリーマンが 傲慢に自己中に嵌ってしまい 社会の今やこれからについて何も考えず無責任に遊びほおけていた所為だと思っている

 

これを自覚し マイクやおっさん達が反省し 懺悔し 罪滅ぼし それを世直しに繋げるべく このサイトで考えてきた

言うは易し やるべきことは分かっている しかしなかなかやれない

それは心の問題です 何よりも心が抵抗している それを解きほぐさなければ改革はならない

 

詰まりマインドイノベーションが改革 世直しの一番のバリアーなのです

そのマインドイノベーションについて考えるのがこのページの役割で いつの間にかシリーズとしてここに至った

世直しが実現すればそこはユートピアなのかも知れない そう思ってここまで進んできました

 

ユートピアに憧れる前に これまでのことを見直してみます

 

マインドイノベーションのイメージシリーズとして

マインド1では ペレトロイカの条件を考え マインドイノベーションの難しさがあり グラスノスチが必須であると確信しました

マインド2では しかしながら儘ならない現実を一杯嘆き

マインド3では それが和解納得説得の難しさにあると知る その原因は誰もが固執する自我・自己中

マインド4では 実際に 自己中な老人エゴ道を考察し 自らも反省

マインド5では グラスノスチの為の内部告発にも限界があり 反旗を上げる度胸の大事さを考える

マインド6では ユートピアとしての民主主義にも限界がある現実を眺める そこにも自己中が

マインド7では 自己中を裁き 悪の根源 個人主義 自由主義 功利主義についても考える

マインド8では 裁きの必要性 裁きや復讐は誰がするべきかを考える

マインド9では 善悪は共存できるか それとも棲み分けしかないのか 集団主義 個人主義 孤独など考える

 

マインド10は いよいよ 果たしてユートピアが見えるか ユートピアはあり得るか

これが結論になるとは予測も付きませんが ユートピアを求める思いだけでも纏めてみたいと思います

 

マイクはユートピアを求め このマインドイノベーションのページで 分からないながら考え続けてきた

その答えは簡単で マインドイノベーションの1から9の展開で 自己中になり下がった個人自由主義を批判し裁き そして彼らを排除するか棲み分けを徹底するしかないとの結論に達した

 

ユートピアが見えてきたように思うが 本当にそれが実現するかどうかは分からない

こんな簡単なことなら当に実現していてよいのだが 現実は難しい

何故か そしてそれを解決するには簡単な筈だが関門を越えなければならない

 

後はやるだけ やればできる それなのに難しい だからだけどやる それしかないのです

やれることをやる それだけだと思って たいしたことのできないマイクは 空き缶等道路のゴミを見れば拾い ポイ捨てや痰を吐く男を睨みつけ それ位のことしかしてこなかったが それでいいとは思えない

 

ユートピア実現の為には もっと本質的で効果的な方法があるように思う

方向がつかめたように思うようでもあり それほど簡単なものではないと思ってみたりするのですが まあこんなところでしょうか マイクのできることは

 

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マイクのユートピア憧憬

 

やっぱりできないにしてもマイクの思いだけはもう少し整理してみよう

 

ユートピアとは何か

ウイキペディアにはこうある

 

ユートピア思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作 また同書に出てくる国家の名前

「理想郷」「無何有郷」とも

ユートピアは現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ その意図は現実の社会と対峙させることによって 現実への批判をおこなうことであった

「ユートピア」という言葉を用いるときには時に注意が必要である

現代の庶民が素朴に「理想郷」としてイメージされるユートピアとは違い トマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩が強いためである

なお反対語はディストピア

 

ユートピアを求めた歴史上の例や人々についても詳しく書かれているので ウイキペディアを是非見て欲しい

桃源郷からオーム教まで色々あります

周囲の大陸と隔絶した孤島で 生活は理性により厳格に律せられ、質素で規則的で一糸乱れぬ画一的な社会のイメージがいっぱいするのです

果たしてユートピアと言えるのか ディストピアではないか と思える位にいろいろの考えや立場がある

 

マイクはただ憧れていたくらいなのですが ここで色々考えて辿り着いたのは 共生ではなく 棲み分けしかない それがユートピアを守る裁きの緩いやり方であると取り敢えず結論した

 

ユートピアにも色々あるように その実現も色々の問題があって 実際簡単なものではない

それはそれとしてマイクの想いをまとめる必要があります

マイクの理想は悪人のいない お互いに危害を加え合わない社会を実現することです

 

棲み分けしかないとしたが それでも誰もがそう思うとは限らない

ユートピアでもリーダーが必要であったり モラルとしての法律や管理が必要になる

マイクの余り馴染めない世界であることがやっと分かってきた

 

マイクの求めるユートピアは 大川勇が言うように ムジールの 取り豊かな世界構想する「可能性感覚」なのです

マイクがロベルト・ムジールの「特性のない男」に巡り合ったのは 1965年のことでした

エピクロスの曖昧な哲学に嵌っていた高校生1958年頃から 大学を経て社会人になっても変わらず曖昧なままのマイクを刺激してくれた

それは単に特性のないと言うタイトルに共鳴しただけで ムジールが求めるユートピアを理解していた訳ではなかった

しかしムジールは数学者ウイルリヒに 正しい生のあり方を考えさせた

現実に流されないより豊かな仮想世界に憧れて 「千年王国」を構想し 思考実験に生きる

 

そこに困難だけでなく失望や失敗が取り巻き それでも憧れる

ユートピアとは 憧れることにしか意味が無いのかも知れないし それでいいのかも知れない

マイクのこれまでもそうであった

 

バーチァルな憧れで構想したイメージに囚われ マイクはこれからも考え悩みます

ユートピアを求めて

 

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ムージル著作集 1 特性のない男 1

 

 

ユートピアの系譜理想の都市とは何か ルイス マンフォード 新泉社

混沌として希望の持てない時代にこそ 人類は理想の世界を思い描き実現しようとしてきた

ギリシア時代から近代に至るまでの代表的なユートピア論を紹介・検討し 現実を再建するための理想とは何かを考える

ユートピア トマス モア 岩波文庫

表題の「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478‐1535)の造語である

モアが描き出したこの理想国は自由と規律をかねそなえた共和国で 国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている

社会思想史の第一級の古典であるだけでなく 読みものとしても十分に面白い

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