2014.11.9 マイクは昔を思い出しながら 「融合」に寄稿した記事を このHPに転記する

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『宇宙の起源について』恩師山形助教授門下生として 特に国際宇宙学会の発表に先立って 一般公表する

       第十一回 大門高三郎   YUGO(融合)‘65 DEPARTMENT of PhysicsKANAZAWA.UV.

 

マイクは 金沢大学理学部物理学科を昭和38年(1963年)に卒業しています

卒業後の1965年に 毎年恒例の学科イベントのニュートン祭(12月23日)に合わせて発行している「融合」なる文集に 卒業生として寄稿を求められました

マイクは元々中学生の頃より天文少年であり 金沢大学付属高校でも「物(理気)象クラブ」で観測を楽しんでいて 京大に進学するように学年担当で物理専任の林清一先生に勧められましたが 自宅通学を優先し 地球物理の千田勘太郎教授のおられる学科に決めました

ところが山登りばかりしている仲間3人と揃って 物性物理と生物物理の走りを試みる山形助教授の研究室に収まって 性懲りなく山を登り続けながら卒業しました

就職は 商工・大蔵・運輸の各大臣もしたカリスマとワンマンで有名な大屋晋三を社長とし 先進多角経営を目指して天文学の研究もありとした帝国人造絹糸にした

流石 天文学を仕事にはできませんでしたが 後輩から寄稿を頼まれてムラムラと宇宙論が湧いて出てきた

ここではその時の「融合」の記事をそのまま転記いたしまして マイクの至らぬ若さ・馬鹿さ加減を公表して恥を晒そうと思います

地方大学で 遊んでばかりいたサイエンティストとは この程度だという証と言うか実例として 御目をお通しくださいませ

最近地方大学でもノーベル物理学賞を頂いた方も確かにおられますが あれは 地域性なのでしょうか 何しろ北陸はおっとりしていますし マイクもおっとり育ったものですから・・・

 

(前半を略す)宇宙の神秘の凡(およ)その見当は、このようにいろいろの学者により、その可能性を主張されて来た。そかし、これらの想像は、人々に宇宙の驚異を大袈裟な作り話によって感じさせるだけで、些かの科学的根拠もない。彼等のいかなる勝れた頭脳によっても次の問題は、私の考え、実はこれこそ真理といって然るべきものであるが、これが現れぬ限り、永遠に解けないことを彼等自身認めている。即ち宇宙の起源!!その問題である。彼等は高級なS・F紛(まが)いに次のように図々しく述べる。定まりないガス状物質が宇宙に存在し、この物質が偶然に密度の高い空間へ不可思議な仮定物である万有引力(この力は後で私が極く当然のものとして解明する)によって集まる。かくて、ガス状物質が宇宙の数多くの星となったと恰も巧みに説明している。

・・・(中略)・・・・

 このようにして、彼等の考え方は、その根本的問題には触れていない。そのガス状物質の存在以前は、いかにしても考え得なかった。しかし私はこの点に非常に強い興味を持ちついに結論を得た。

 私の考えとはこうだ。読者に理解の可能性を与えるため止むを得ず簡単に云えば『宇宙はそのガス状物質の出現以前には存在していなかった』というのが、私の見付けた原理の最も簡単な答えだ。

 『無』という状態は私が発見したものである。誤解を伴うが、読者は、この状態を一先ず真空と考えてよい。しかし、これは三次元的なものではなく、これに時間が伴いかつもう一つの次元を導く必要がある。もう一つの次元とは、山形助教授によって体系付けられたスピリトンの世界である。もっと正しく言えば、四次元的な真空を無の状態に還元するものがスピリトンである。

 私は、恩師のスピリトンの理論計算手法であるスピリトン粒子の運動方程式によって、この還元を可能にした。スピリトンの理論については山形助教授が近々国際テレパシー学会にてセンセーショナルな発表をする予定である。

 この理論計算で証明した無の状態を直感的に説明することは容易ではない。しかし、とにかくこの無の状態からガス状物質の発生即ち宇宙の起源を解くことは容易である。無の状態は、スピリトンを介在として発散することによって真空及び質量を有する粒子に分離することがこの理論から導かれる。これが宇宙の物質の起源であるこの真空は質量と均衡するスピリトン粒子を孕(はら)むものでなければならぬことはいうまでもない。しかも、この微量の粒子は質量を有する粒子と弱い相互作用を持ち、再び無の状態に収斂する確率をもつ。この作用がいわゆるテレパシー現象であり、宇宙の消滅でもある。

 (後略)

  残り紙面がないので詳細についてはスピリトンの創始者である恩師山形助教授に直接尋ねられたい。さらに発展し興味ある話が聞かれるであろう。

       一九六五・十二・八    山形門下 藤井幹明(よしあき)コト 

 

実に他愛のない学生生活をしていたものだと しかも社会人になってからも甘い仕事をしていたものだと今文集を見て恥ずかしくなるが こんな良き時代を過ごせたマイクの時代を唯々ラッキーだったと思う

しかし只そう思って済ませないマイクは このHPで 我が人生を省み 反省懺悔し 罪滅ぼしに社会貢献できないものかと考え続けています

世直しとして マイクにできることは何か 考えた末 「死に方」を真剣に考え これこそライフワークとし 最後はそれを実践し 世の中に範を示したいものと考えています

 

さてさて ギリシア時代に エピクロスが天文学や物質の本質を考えたように マイクもエピクロスに刺激され 宇宙と物の本質について考えたことは 例え小さく馬鹿らしい内容であったとしても マイクの若き頃の生き方の証として囁かに誇りに思っておこうと思います

 

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