棲み分けしかないのか マインドイノベーション9

      2010.11.17    マインドイノベーションのページに戻る トップページに戻る

 

全体主義から個人主義へ

生来保守的農耕民族の日本人はのほほんとして生きてこられた

お上に利用されて支配されていようと関係なしに 全体主義は心地よく長く支配していた

しかし戦前はそれによって起こった失敗を忘却すべく 戦後は個人主義を至上の幸福道として 思慮なく歓喜した

 

全体主義は 共生を前提とする無差別で安定な保守体制のように思えるくらい出来上がったシステムです

しかし本当は封建的で階級構造を擁護するためのものでしかない面もある

 

個人主義は 他人からの煩わしさを避けて孤独を楽しむことに近い

当然孤独で生きるには限界があるのに それを意識しなければこんな楽なことはない

そのうち個人の自由のみを強く自覚し 責任を忘れてしまっても何ら問題ないと錯覚する

 

個人主義を履き違えているとしか思えない現実の日本のそれは 只の自己中である

自己中は孤独でも生きられるうちでしか成り立たない

それでもこの飽食の時代では安易に可能で 且つ一般的で誰でも可能な生き方になってしまったのです

 

なぜなら誰も責任を取らない自己中を裁かないからです

裁きの時代になって欲しいと思って この前の裁きの時代で 裁きの必要性を述べた

然し誰がそれをするか 現実の困難さを感じてしまう

それなら裁きの他に 自己中を非難し 排除する方法はないか

 

自己中はそれなら孤独に生きるべきで つまり隔離するべきで 或いは排除してやることは許されてしかるべきです

前々回のページ自己中をや前回の裁きの時代の裁きよりも緩い裁き そしてつまり捌きです

自己中を捌いて 分け放つことは 差別ではなく 裁きとして当然なのです

 

裁きよりも緩い仕置きとしての捌きは つまり棲み分けすることでもあるのです

棲み分けはこのように優しい処世法なのです

棲み分けについて考えてみましょう

 

棲み分けの実施は 個人主義の推奨であり もっと言うならば孤独主義 隔離主義の究極と如何違いがあるのでしょうか

孤独に生きるべし 自己中は そして悪人は そうすることを当たり前としなければ悪人はのさばる

 

しかし棲み分けは差別そのもので 全体主義と変わりはない

悪人を島流しするのは 棲み分けのもつ差別行為の究極かもしれない

 

それでは理想社会としての共生社会があるが それは可能でしょうか

多様性社会の共存という美しい言葉ありますが 社会は誰にとっても美しいものばかりではありません

悪人の住む社会で 悪人との共存は不可能なのではないかと考えてしまう

ユートピアは 悪人がいる限り 共生ではなく棲み分けでしかあり得ないのでないでしょうか

 

個人には善人も悪人もいて それが社会を作っている

それでは社会全体は善か悪か 悪人がいる限りどちらかと言えば 悪だ

つまり混在する つまり共生ではその社会は悪から解放されない

 

それでも共生に美しさを感じてしまうのですが 実は封建社会のように 権力・貧富が共生している社会なのです

差別を隠すシステムの元に持続している社会なのです

盲目に差別されているものにとっては 棲み分けされた方が 長い目で見て好ましいのです

 

と言うことは ユートピアは棲み分けでしか存続できない

つまり棲み分けなしでは社会は存続しないのです

 

このことは次に考えることにしてまたまたこのくらいでこのページは終わりにしておきます

 

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