私のスポーツ道 スポーツ嫌いのスポーツエンジョイ 2010.12.31

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元々子供の時から 勉強はできても 体育と音楽が弱くて スポーツ嫌いの大人しいひ弱なマイクでした

そのマイクの 年老いた今のマイクの スポーツへの思いはどんなものなのか

これまでを振り返り また スポーツの持つ人生における意義をマイクなりに哲学?してみたいと思いました

音楽はサラリーマン現役時代に 道が間違ったのではと言われるくらいスタンドバーのカラオケに嵌った

ビデオカラオケができてからは ハートマーク付きを好んで歌い シンコペーション・エンターテイナーとして腕を上げた

マイクスタンディングの名の通り マイクを持つと悦に入って立ち上がる習性ができたくらいです

しかし悲しいかな 実技が弱くとも筆記試験だけはよかったのに 音符は読めません

 

そしてスポーツは なにをやっても上手くないし 特に付き合いゴルフでは現役最後まで悲しいくらいだった

下手だから嫌いなばかりでなく やるスポーツはまだしも 見るだけのスポーツには全く興味が無い

今も野球選手には 同郷の松井以外殆んど興味が無いので 新聞もテレビ番組もスポーツ面は全く見ない

(ついでに言うと 株でも先物でも失敗したマイクは 経済欄は見るが 株価の紙面は飛ばすのですが 時間の無駄を避けていると言う自尊心になっているのはスポーツ面と同じ)

 

見るスポーツよりも 同じするならやらなきゃ損そんとの思いが強いのです

なにしろ 実践の儒教を唱えた石田梅岩再来を願望するマイクです

見るだけではミッション性を感じられず 実践でスポーツの持つ芸術性を体感することに意義を感じてしまいます

そしてトライアスロン スポーツクライミング を 50過ぎて始めることになる

芸術的で且つ 自らやるスポーツである

スイムから始め ランにも嵌り バイクに至ってその美しさを味わう

フリー(スポーツ)クライミングはズバリ 全くのアートそのもの

痺れます

インラインスケートも藝術的です

これらはアートとしてのスポーツだと感じてやってきました

何かそんな匂いのする まるで使命感がありそうなスポーツ

マイクは陶酔することのできるスポーツに嵌った50代でした

 

何故50からか

それは現役50歳を前にして 自分のサラリーマンとしての限界を悟り 己を求める道に走ろうと惑わず決めた

素直でだらしないサラリーマンから 意地を通せるビジネスマンになろうと努力した

その為にまだ 特に技術系のサラリーマンにはいなかったが 髭を生やして決意を表した

 

もう一つの理由は 土日に朝から酒を飲み始めたのを何とかすべきと思って スポーツジムに入会した

ジム仲間とは 仕事仲間ほどの深さはないが 泥臭さもなく爽やかな人間を見 彼らからランクラブ・スイムクラブと誘われたことに依ります

 

サラリーマンはゴルフとカラオケで虚勢を張り 新聞テレビの野球に詳しくないと出世しない

詰まらない拘りを捨て マイクはそのような話には乗らなかったが 結構つらいことでした

それでも見るだけのスポーツとして只一つ ボクシングだけは好んで見た

 

格闘の勝敗に興奮すると言うより 貧しさから這い上がる根性とか そのファイトにミッション性を感ずるのです

しかもプロレスと違って 強きを挫くとか 仕掛け人的な匂いに痺れて 見ているだけで興奮した

しかし亀田が現れてから見ることはなくなったのは残念で ボクシング界にとっても邪悪な汚れでしかない

マイクは 強ければいいと言うそれだけの つまり上手ければ何をしてもいいと信ずるマイケルファンと同じ考えはできない

 

ボクシング以外見るスポーツには 精々マイクの郷土出身の 松井 輪島 出島 くらいで 最近 大物?がいないので寂しい

マラソンやトライアスロンを自分でやりながら テレビでそれらの競技を見ることはない

ただ フリークライミングだけは 画面でも芸術性を感ずるので 酔いしれることがある

 

さて スポーツへの思いはこれくらいにして マイクのスポーツキャリヤーを纏めてみよう

 

マラソンは 篠山(93-00) 福知山(93-00) 木津川(92) 京都シティハーフ(97-05

これらのフルは5時間 ハーフは2時間制限ですが どれもギリギリで 50代の間 毎冬3回以上参加しています

吹田中の島耐久5時間走大会(92-95) ハーフでは 大阪リバーサイドマラソン(91-95) 明石海峡大橋ハーフ(98)や各地の多くのイベントにジムの仲間多数と参加して 計り知れない楽しみ方をした

1991年のホノルルマラソンは申込手付金4.2万で済んだが 仕事と重なり中止した

 

スイムでは チャレンジ24時間耐久(93-9600) 吉野川10キロスイム 茨木市民大会 マスターズ大阪大会等

24時間耐久は 6人で 元旦年明けを跨いで 一時間ずつ4回泳いで距離を競うグループ戦です

徳島の吉野川10キロスイムマラソン(96)は 第十堰から河口までを 潮時にもよるが4時間以内で泳ぐ

トップ2時間 マイク3時間1731秒 103人参加中99人完泳マイク91

市民大会では年齢別表彰があって メダルは数知れず頂いたが 残念ながら金はない

その他ジムでのイベントやマスターズにグル―プで参加することも多い

 

トライアスロンは ランとスイムを初めて3年目に ロードレーサーを買って 先ず赤穂(93-95) 相生(93-95)や大阪舞洲(1996-2000) 三重サンベルト(9697) 琵琶湖高島(93-96) 新旭(96)とかのショートを経験

国内は 心電図診断が必須なので STマイナスの症状がきついマイクは 運動後異常なしではなく (異常のまま)変化なしの偽診断書を 掛かり付け医師を説得し書いて貰って それ以後は年度を書き換えたコピーで誤魔化して参加した

何時も若い女子の追い抜かれるお尻を追っかけ ギリギリ制限時間に入る程度でしかないのに それ程までしてでも参加したい格好良い楽しい競技でした

ミドルは 能登の珠洲(94)くらいしか近場にはないが ショートに比べものにならない程のサディスチックな辛い快感がある

真夏の暑さと疲労感が堪らなく快感をくれるのです

ロングはとても無理なので 琵琶湖(96)を応援に行っただけですが 大いに感激した

ミドルは 自己責任で診察の要らない海外を楽しんだ

サイパン(94) ホノルル(97) そしてプーケット(99

国際レースであるプーケットでは 55歳から59歳のクラスで3位となったのが 記録は別として 何と言ってもマイクの誇りです

海外レースでは カーボパーティやアワードパーティがあって 実に格好良く楽しい

 

モーターバイクを少し楽しんだ時期があるのですが トライアスロンを楽しんだ誇りで バイクファンとなり 走りのページで バイクの力学理論楽しみと倫理を語っています

バイクレースで シマノ鈴鹿ロード(99)に参加したのも忘れられない

 

バイクと同じ思いで インラインスケートが パリで毎週警官にエスコートされながらデモっているように 日本でも街中の乗り物としての位置づけになって欲しいと インラインスケートを茨木にいたころは公道で乗り回していたし 大阪城まで行ったこともある

然し今 京都の街中では事情があって実践していないのですが これには憧れが強く強く残っています

 

文化をスポーツ文化とアート文化に分けるとすると スポーツは競争 アートは孤独な文化となりましょうか

そのスポーツでも 競争色の少ない楽しみ方ができて 一人孤独な楽しみと言えるものをマイクは好んでいたように思えます

今はエアロビクスしかやっていませんが ダンスは スポーツと言うよりアートと言ってよいでしょう

ムキムキや ・・なウエアの好きなタイプのおばさんがいっぱいいるスタジオで ガンガンなる音楽で陶酔状態

ストレスが発散し おばさん達が刺激してくれるのは堪らない

しかし殆んど一人楽しむ時間ばかりの 割と孤独なエンターテメイントですが 毎日欠かせない完全な依存症です

 

その孤独なエアロが 実り実って カンパニーの団員と一緒にコンテンポラリーダンスをやっていますが 競争性は全 くありません

京都ばかりでなく 2010年は 神戸・岡山 そしてメキシコまで行って公演する機会があった

2011年も 2回が決まっており練習に多忙です

 

兎に角 マイクのスポーツ論は 競争意識の無い文化的な どちらかと言えば一人で隠れてするような楽しみ方であるように思います

それは最近書き上げた「エピクロス崇拝」にあるように エピクロスの生き方 隠れて生きよ それが快楽に繋がっている に通ずるのではないでしょうか

 

ビレイヤー(確保者)としてのパートナーが要るけれども 一人孤独な最高に芸術的なスポーツは フリークライミングでしょう

マイクは1994から2000まで ジムでインドアクライミングのルートセッターとして有名な東秀磯の指導を受けた

と言っても週一ナンバに通って5年経っても11bレベルでしかないが 兎に角嵌って休んだことはない

同じ生徒仲間で 15歳下の菅森清さんは 何度もゲレンデにも連れて行ってくれた

この頃が至福のプライベートタイムをエンジョイしていたが サラリーマン仲間からは理解されず 正しく隠れた快楽であった

その菅森さんは「会報 鋭鋒」を主宰する本格的登山家でしたが 2006年明神岳で雪崩に遭い50歳で亡くなった 本当にいい人だった・・・

 

登山は学生時代にアルプスを多く縦走していたが 若いころの遊びとしてはこれしかなかったくらい嵌っていた

然し登山をスポーツ感覚としてではなく 自然美を楽しみながら苦行をも楽しむ様な遊びと言うか修行と言うものでした

4年の時には 郷土金沢近郊の山を含め 年間40数日山にいたし 北アルプス4年間で登り尽くした

働き出してからは少ない休みを大事にし 九重山・丹沢・尾瀬・谷川岳・大山など また出張の後の休みを遣って月山・安達太良・石鎚等あちこちを登っているが この程度しかできないのは寂しい限りでした

息子が大きくなってからは 富士山・西穂奥穂高・仙丈ヶ岳駒ケ岳・大峰・大台・大杉谷などを また昔の山仲間とは八ケ岳くらいしか登っていない

 

そのうち若者の登山ブームが冷えてしまったが 高齢者の登山ブームが騒がれてきた

マイクは彼らとは違うという自負心があって 登山ではなくフリークライミングを始めたという 一寸不埒な心があった

素人と一緒にして欲しくないとの思いです

 

それでも ひよどり越えー宝塚の六甲全山縦走38Kmをやって見せようとしたのに 途中ギブアップしてしまったのは不覚でした

京都に来てからはせめて東山三六峰くらいはと思っていたのに 一部しか登っていない

またフリークライムのジム「クラックス」のメンバーになったのですが 直ぐに腰痛が激しくなり 落下が怖くて全く行っていないのは 実に残念なことですが そろそろ年齢的な限界かと諦めてしまっています

 

もうこれくらいしかスポーツ関連の思いつくことはない

ゴルフはスライスばかりで下手だが 卓球とテニスは 少しは楽しめる

野球・ソフト・バレーも下手だ

高校一年の時だけ柔道をしたことがある

続かなかったが ボクシングと似て好きな競技です

 

こんなものでしょうか やってきたこと楽しんできたことと その時の思いを色々思い直してみると マイクと言う人間が少しははっきりしてきたように思う

ここらでいいことにしましよう

殆んどエアロ狂いの年寄りになってしまいましたが これも何時までかと思うと心もとなくなるので 今は歳を忘れて一番きついプログラムを若者と一緒に受けるこことしています

そしておやじコンテンポラリーダンス・カンパニーが 2012にはロンドンを目指しているので これにも最長老として懸命について行こうと思っています

 

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