裁きの時代マインドイノベーションのイメージ8

                                2010.11.16 マインドイノベーションのページに戻る トップページに戻る

 

 

「古人のパワー」のページの「閻魔の時代」で 悪を裁く倫理観の必要性を考えてみた

子供のころは 地獄を意識したのに 今は誰も地獄を信じなくなった

これほど毎日 悪人が平然と笑っているのを新聞テレビで多く見ていれば 当たり前のことかもしれない

 

それでは それでいいかと言うと 誰もがそうではないのにそうなってしまったのです

坊さんにも責任が無い訳ではありませんが 我々愚民にも大いに責任があります

悪いことを見ても 自分に関係ないと 見て見ぬ振りするのが 個人主義自由主義 つまり自己中

この前のイメージ7で「自己中を裁く」として これを考え論じました

 

政治や教育に問題あるに違い無いかも知れないが そんな風に他人ごとで済ましているからそうなってしまうのです

愚民こそ地獄を信ずれば 世の中を元に戻せるかも知れないのです

政治や行政や法が 世の中を裁ける限界がありますし そんなものを期待するより 自分の周りは自分で裁くしかないのです

 

地獄は誰の為にあるのか 誰が考え出したか

封建社会の昔 百姓庶民は この世が地獄の様に苦しく 輪廻で生まれ変わる夢を持って ただ生きるだけであった

地獄を信ずるのではなく 地獄から脱出するための念仏が必要であった

念仏はトリップするための薬物であって 死後の地獄を信ずる必要もない

 

貴族豪族公家は 庶民を奴隷のごとく扱うことで豊さを得ていて 彼等は罪の意識を表に出さないまでも認識していた

つまり彼等にとってはこの世は極楽だが このままでは地獄行きであると恐れるがゆえに 死後の極楽浄土を求め 宗教にすがった

彼らは自らを悪人と自覚し 地獄が怖いと自ら思い 自分で地獄神話を創り上げたのです

 

ならば今の悪人共は 如何して地獄を無視できるのか

それは自己中と言う宗教念仏に浸っているからだ

だから彼らに目を覚まさせる方法を考えねばならない

 

それにはやっぱり裁きしかないのです

裁きを忘れているからのさばるのです

当たり前です 悪人 つまり自己中ものを裁くべし

 

或いは 捌く つまり相手にしないこと 隔離すること 悪人の島を作ってやって接触しないことかもしれない

追い出すと言ってもいい

つまり裁くか 追い出すことしかないのかもしれない

 

追い出すことがどんな意味を持つのかは簡単でないので 別途次に考えることとします

では裁きとはどんな行為でどんな意味を持つのか

誰がすべきで 誰がされるべきなのか

 

マイクは仕掛け人に憧れていて 世直し そして罪滅ぼしとして これぞ老人が死に際でやるべきことではないかと自問自答している

個人的な信念で人を裁いていいものか その答えは簡単ではない

しかし裁かなかったら誰が裁くか 自己中や悪人を放任していい筈が無い

 

裁きの方法は 裁きの責任は 裁きの後始末は等考えるときりがない

それより裁くことの大義があれば 大義が全てに勝る?

そこまでは言わないが 兎に角裁きは必須で 容認されるべきものなのです

 

見て見ぬ振りが当たり前 自己中がのさばる そんな時代

裁きを忘れた裁かない時代に 裁きの時代を期待するマイクです

 

より正しい考察が望まれますが ここではこれで済ましておきます

或いはこれくらいのことで間違いないのではと思っておきます

 

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