私のリスク道 人生とは!! 如何にリスクを弁えるかにある

         2011.2.14からボチボチ 4.23登録     古人のパワーに戻る トップページに戻る

 

残りの人生に限りがある老人マイクは その時をただ待つのではなく マイクのマイクたるところをその時までに自覚しておくべく またその時にうろたえることのないよう急ぎ考え巡らしておこうとこのHPを リタイアを迎えた年に立ち上げました

 

遅蒔きながら気付いたことは 自分の秘密とすることや これまでの人生の失敗を振り返ってみると そこにマイクの人生観を見ることができ また秘密や失敗にこそ人生が詰まっているのではないかとの思いに至りました

その思いのそれを 恥知らずにも人生の弁え方として 秘密道失敗道と言う二つのページに 秘密の勧めと失敗の勧めとして纏め その中にマイク自らの美醜の全てをグラスノスチしてきました

 

それらのなかで 秘密や失敗に共通することは リスクこそ人生との簡単な言い触らされた格言と同じであり 人生にはリスクに多いなる意義があって 且つそれを楽しまなければいけないことだと悟りました

それで二つのページに 改めてリスクこそ人生と言う人生道を纏めますと宣言しましたのですが どうやら既にその二つのページに書いて纏めたこととダブりそうなので 同じことを書くのはここでは止めておこうと思います

 

 

さて マイクは結構慎重なA型人間に見えますが 実は人には言えない秘密を楽しみ 危険を冒してスリルを味わってきた人生だったのです

それを出来たのは秘密と言うテクニックをこなしてきたからなのです

しかしマイクが秘密人間であると言われると その秘密は必ずしもよいイメージはありません

マイクは秘密の勧めばかりではなく グラスノスチの大事さをこのHPのメインテーマにしているように 隠し事を嫌います

隠し事は犯罪的で 他人に損をもたらし危険をも生む可能性があります

世の中をイノベーションするためには秘密ではなくグラスノスチが必須だと信じています

しかし それなのに秘密にも大事な可能性のあることを感じています

隠し事とは違って秘密には将来への使命感があるのです

 

 

それに比べもう一つの失敗は単なる結果であって事後のことです

事前に危険を覚悟していなくても 或いは危険と分かってやったとしても大抵はリスクを覚悟して行動し生きています

それも軽いリスクでしかないのが普通で 軽い失敗となる結果が殆どでしょう

しかし結果は思っていたより最悪な失敗であることもあって 殆どのそのような失敗は恥ずかしく思い 少なくも暫くは秘密にしてしまいます

「マイクの失敗道」の勧めは 折角の貴重な失敗体験を隠すことはないとの思いや 失敗にも大いに価値を感じた人生観からです

この中での失敗を話したくないというような秘密とは 先に述べた可能性を期待する秘密とは別の 隠し事に近い秘密です

 

使命感や可能性のある秘密は上手くいけばリスクを避けられるとか リスクに優越感や快楽・達成感を感ずることを目的にやるようなもので 結構やばいリスクなのです

つまり秘密を前提にした可能性のあるリスクは相当やばいのです

 

だから失敗と秘密とどちらが楽しいかと言うと 只の失敗より使命感のある秘密の方が スリルがあり上手くいくと楽しいのです

楽しくもあり崇高なのです

だとすれば失敗より 秘密を多く持った方が人生として充実するかと言うとそうでもない

秘密は何か犯罪性の匂いがするように 多すぎると失敗に繋がるような誤解も受け易く危険性がある

自分の人生・生活を客観的に判断しながら つまりそのようなレベルの高い判断ができるような人のすることです

つまりそれを 秘密を楽しむ弁えと言うものが必要で その上での楽しみや使命があるのです

マイクはもう人生の終わりに近いので 「秘密道」でグラスノスチし公開するのですが これも秘密の楽しさ・役割を信ずるからです

 

 

失敗はつらいばかりのものですが 実際には多くの失敗なんぞ他愛無い人生の一場面ぐらいのもので 殆どはそんなに破滅的でもない

それなのに失敗を話したがらないし 忘れようとさえするのが一般的です

マイクの失敗道は 予期せぬ失敗は恥ずかしくもないし 大いに失敗を積極的に語って楽しんだ方がいいと言うものですが リスクを過剰に意識する習慣からか 殆どの方はしたがらない

 

現実リスク・危険を嫌って ドンドン安全志向の世界や人間になっていって 世界中に規制が蔓延るのが現実です

世界中が 特に日本はバブル崩壊の後 リスクヘッジの人種になってしまって まるでアメリカ人のようにマニュアル依存症になることで 安心しようとしています

自己弁護・自己責任回避のためのマニュアルパターナリズムに マイクは悲しい日本の実情を見てしまいます

 

長い日本の経済の停滞因はそこにあり パターナリズムに陥ってしまったからなのです

日本人を 日本を救うのは パターナリズムからの脱却しかないのです

マインドイノベーションのページは その脱却の重要性と難しさを思い知るためにマイクが立ち上げたページです

マニュアル依存の日本人 信仰に嵌る

誰かに管理されることで安心する 誰でもいい 自分でない誰か 自己責任ではない責任逃れのために 他人任せで外部規制されることで安心するためのものです

かなり封建的で 儒教的なのです 他力本願になろうとしているのです

 

戦後 アメリカのフリーイズムに憧れながら 経済成長のプロダクトプロセスをイノベーションし 或いはハードとソフトを確立したが マインドイノベーションを忘れ 見かけの経済トップを守るために保守・安全志向になり ハートは委縮してしまった

 

フリーイズムの開拓民アメリカは 社会のバランス調整として フリーイズムと対するパターナリズムが 制御機能の位置づけとして モラルとしてのマニュアル化が必要であった

日本は元々儒教のパターナリズムで洗脳された窮屈な国だから 敗戦後にアメリカフリーイズムを理想として享受するようになったのですが まだまだ本質的にフリーでもない日本国民には 積極的なマニュアル化は却ってバランスを崩すマイナスでしかないのです

 

マニュアルは失敗の回避のためと言うより 責任回避のためにあり リスクを却って曖昧にする

問題があっても発言もディベートもせず また内部告発なんぞの必要もなく ただ黙って従順を強いられて満足してしまう国民性なのですから

 

 

話変わって 第144回芥川賞「苦役列車」の作家 西村健太は 「中卒 逮捕歴あり」こそが 我が財産 と言って憚らない

中卒 逮捕歴自体は 秘密にすべきでも失敗でもない筈ですが 普通にはそのように扱うことが多い

一般に プラス思考だけが格好良く扱われているからです

彼はそうではなく 何事もマイナス思考でなくプラスに考えるべきというようなものではなく マイナスでも 或いはマイナスこそ宝物だとする考えなのです

プラス思考だけでは リスクを避け 発展進化する力を失ってしまうのです

アメリカのフリーイズムとプラス思考の表面的一部分だけを真似したのが日本の姿なのです

 

ニーチェは ツアラトゥストラに 超人になるためには 没落せよ 実験をして・・・という

このような色々と 失敗こそ人生を豊かにすると説く話には欠かないが ここに書きならべることでもないでしょう

マイクのこれまでの話ともダブるのでこれくらいで話を終えておきます

 

 

マイクはパターナリズムのマイナスを弁えるべきと思い フリーイズムを正しく理解しようと思い巡らせてきました

バイクの乗り方「私のバイク道」は リスクを楽しむフリーイズム その極みを実践するものです

バイクぐらいはフリーイズムでこなしたいとの思いを述べています

 

ゴミを拾ったり 鍵を掛けることを嫌ったり それらもそうかもしれません

失敗したり 秘密にしたりもそうなのです マイクはその程度のことに リスク道を実践をしていると言う自己満足をしています この程度なのですが

リスク イズ ワンダフル ビューティフル

 

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この度の震災原発事故で思う事

震災は 予期せぬ 或いは予期することの虚しさ つまり予知のコストパフォーマンスの低さを考えると 正しく天災であって 決して天罰ではない

日頃の備えをする人と 楽天的に何もしないで過ごそうとする人たちに 人生のリスクに対する心構えの違いを見るかもしれませんが 結果は大同小異と言う程度です

何を不審に思い神経質に対応するか 何に安心し天に任せるか ウエイトの置き方は自己判断自己責任であって これを咎めたり責めたりは出来ない

 

即ち震災はアンラッキーな人たちを襲っただけのことなのです

当然不幸を嘆き悲しむのは当たり前だし 支援する第三者も当然のことです

でもそこから立ち上がる人たちに待っているのは アンラッキーを認め 如何に諦めるかの出来不出来で回復の程度が異なるように思います

被災直ぐは 同じ被災者同士の集団では諦めをしやすいし その復興が進むと被害の無かった人たちとの格差に愕然とし諦められない思いが湧く

諦めて如何早く立ち上がるかに集中できた方がよいが 時に諦めは気力を失い低迷するだけになるかも知れない

後者にならないようにするには 日頃からの弁えが大事です

ゼロから元のように復活するか 全く別の生活を創り上げるか このままどん底でも幸せは簡単に掴めるのではないか 夫々にどんな自分の生き方を創り上げるかは個々人の弁えで決まります

 

何れにせよ諦めが救ってくれる

それなのに自分の不運を 国家の責任にしたり 自分のことを他人の所為のようにする風潮が 却って諦めの弁えを忘れさせてしまっている

諦めこそ幸せの根源です 禅宗の教えでもあります

 

では 原発事故は

完全に人災ですし それを国民と政府や電力会社と共に 原発地域の人が分かる分からないに拘わらず自ら選んだ結果です

いわば予期せぬ天罰なのです

天罰なら これこそ懺悔反省し諦めるしかないのです

無知にして欲望に惑わされたに違いないのですが 今までの地域財政支援などの享受を懺悔なしでは救われないでしょう

 

ここにもリスクを掛けた選択の結果であることを忘れてはいけません

懺悔しないのなら自己責任ですし 懺悔なくして震災義援などを受けられない筈です

 

では被災者だけが天罰を受けるべきか

よく考えるとそうではない

僻地の原発の恩恵を受けているのは都会や産業界等で 全ての人間に責任が無い筈が無い

間接的にであれ 多いに責任がある

そう考えると 直接の 確かに他人であろうと 他人の不運だと見て見ぬ振りをするだけでは済まされないことは確かだ

 

別の何か人生哲学を追加思考しなければならないことになったのを感ずる

つまり自己中では世界は成り立っていないし 許されないと言うことです

 

つまりどこまで責任があるのか

他人事では済まされないものがあることになる

はてさて リスクを考え究めれば人生の殆どの弁えを尽くすのではないかと思っていたのに ここまで書いたところで もっと大事なことを考えなければならないことに気付いた

 

今まで何とはなしに 義捐金にしっくりこない思いがあった

つまり 義捐金など偽善的な逃げではないか それより彼等は彼ら 自分にはどんな責任があるのか 判然としなかった

しかし自分にも原因があったかも知れないのに 見て見ぬ振りをしていいのか

元々自分たち都会経済のためであった原発を 地方人である他人ごとの好き勝手だと 知らぬ振りが出来るのか

間接であっても 彼らをそうさせた都会人も天罰を受けるべきではないだろうか

我々も懺悔・罪滅ぼしをすべきことは間違いない

 

自己中の戒めは マインドイノベーションの「私のエゴ道 自己中を裁く 等に述べているので 限が無いので止めておきます

それよりも「私の諦めの道」なることを新しく考えてみる必要がありそうだと思うようになった

リスクに自分の人生の根源がありそうと粋がって書き始めましたが もっと現実的には やりたい事やせねばならないことまで諦めながらの人生であることも 少し見えてきました

書き初めてからそう思い知ったことなのですが ここらで一先ず終わりとします

 

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