命あと幾ばくも無きことはしょうがないにしても 何時来るか分らぬお迎えまでには 娑婆とは何であったかをしかと見ておきたいし 閻魔さまにお咎めを受けないよう この世に在るうちに懺悔と罪滅ぼしをしておこうと思って焦りながら生きています
それには如何してもマルチライフをするしかなく こうせざるを得ません
公表しても差し支えのない名前の一つが そのような思いを綴るこのホームページで使っているマイクスタンディングです
またもう一つ 五十過ぎてから始めたトライアスロンの所為で バイクには一際プライドと愛着を持っており バイクを車道に復帰させようとする世界の仲間クリティカルマスのメンバーとして 自転車サイズに合う京都で車道を走る運動をしており 仲間の中では 独特のスタンディングポーズで走るのでバイクスタンディングとも呼ばれています
サラリーマン時代は仕事と飲みとカラオケぐらいの生活しかなく 本名しか使う機会がありませんでした
ただ 会社の英会話クラブでミキ(幹)アキとも呼べることから マイクなるイングリッシュネームを貰ったことがマイクのルーツです
京都に移り住んでからは 世直し活動を意識し 商人倫理を説き広めた石門心学の石田梅岩研究をしています
子供の頃は菓子舗「梅屋」の次男坊よっ(幹)ちゃんであったことから 梅岩に肖って梅幹を名乗るべく 更に研究し思考し行動しようとしています
隠れ芸名や源氏名や未公開のP..?スタンディング等 色々付き合う仲間に合わせて気分転換しています
生まれは金沢の菓子屋の5人兄姉妹の真ん中の二男で 着物と人形の好きな優しく頼りない男に育ったと思います
高校には裏口入学し そこからは京大天文学に行けと言われたのに 10分通学の地元で地球物理をやることにしたのですが 結局は山ばかりの学生であった
卒論は天文でなくDNAのNMR解析であったが何が何だかのイントロだけの勉強で終わりまし
親類には畳屋・魚屋・大工など 商売と職人だけで 大学を出てサラリーマンになるのは初めてでしたが おやじのお陰で裏口入社をしました
親戚からは景気次第のそんな会社には行くなと諭されたが 天文をやってもいいという大屋晋三社長の言葉を信じて また二男の宿命と自覚していたのでサラリーマンになるが 天文は夢だけに終わる
その年の兄の結婚式も出られぬ休みのない時代でしたが 初めて正月に帰省した時に私の早飯喰いに母は泣いた
それまでもそれからも何時までも親のお陰で自分があることは間違いない
大阪の夢の様な新研究所で基礎研究をスタート その間に京大に内地留学させていただく恵まれた会社であった
システムの時代とかでシステム開発に変わり ある大型の開発と事業化を懸命にやって それなりの自信作を作り上げ それを事業化する機会を得たのは苦しくも充実して恵まれた時期であり自信となった
ところが突然リストラの時代に入り事業撤退し 上司はレイオフされ 私は本社に拾われる
何年も本業から外れていたのに 本社で本業の商品開発をこなす羽目になったが ラッキーな営業の仲間に教えられ支えられながら楽しくこなせて 唯ただ有難かった
修行のために北陸の現場の技術開発室に2年半出向の機会を得たが ここで酒とカラオケに浸る
思い出多い マイクを男にしてくれた時期であったが また本社に戻って新商品の開発を担当する
ゴルフは上手くならなかったが出向で覚えたことが仕事の潤滑油になることもあった
又またいい人ばかりの取引関連会社の仲間に接して 自分のラッキーさを知って 罰が当たりそうだと自覚する
定年前の最後に頂いた 会社の本業だがマイナーな原料素材の開発の仕事には期待して転出したが恵まれたとはとても言えない奴貧民部落であった
ここは自己のために会社を利用するサラリーマンの巣であって これに歯向い戦ってきたがこの部落は遂に事業撤退し消えてしまった
語り尽くせない怨念の時期であったが 定年一年前に名古屋で開発をする再就職話があって 前職場への恩返しのためにすぐに行くべきであったが待って貰った
最後まで事業存続のため戦い続け 言うべきことを社長にも言い やるだけやって去ったが悔しくも己の力のなさが身にしみて泣かされた
会社は日本一立派であり2年間経験できたことは短かったにせよ私の誇りになっていますが 働く日本人は皆どこでも唯のサラリーマンでしかないことを悲しく思う
先輩をビジネスマンとして尊敬するのは 長いサラリーマン人生でただ二人であったと気付いたのは恥ずかしくも残念なことですがリタイアの後であった
共に立派な会社で 私にはラッキーであったことは確かだが 自分の人生がそれで豊かであったかは疑問であり リタイアしてからそれを知るようでは何とつまらぬ自分であったことかと後悔もしている
大会社の それでも欠陥ある現状やあるべき姿を毎週のように定例報告でたっぷり提案し またパワーポイントにして残して去ったが 多分役に立っていないであろう
ボトムアップ不要の会社で時間を潰すよりもっとすることがあるような気がして したい事をした方がいいと辞めさせて貰った
サラリーマンを終えると 住処を変えたこともあり仲間がゼロになる
仲間作りのために また世間との新しい付き合い方を求めてボランティアをすることとなる
家族は京大内地留学の時 日仏学館でフランス語をも学んだ時に見つけた女房と3人の子供だが既婚は一人で 孫も一人と淋しいが 100メートルも離れていないので毎日やって来るのが救い
親戚には大道芸で世界を回っていた十代目荒木又右衛門のいたことを知る人は知る
私は無芸だが 今は現代アートで広く知己を得ていて 教えを請い 楽しみを授けて頂く奇特な方々沢山に恵まれていて 今は評論家紛いと自負しています
福祉ボランティアは私には心に辛くてやれないと思い 時間潰しかも知れないが文化ボラや環境ボラをやる
教育や地域活動もやるようになりただ多忙であるが 成果や期待のされ方の実感が少なく 今のやり方だけでは虚しいとも感じていて どこでもクールな冷めた立場で眺めるアンチボラであるところは アンチサラであったあの頃と変わりはない
サラリーマン時代に比べると随分多角的で深い知識と客観性を得たと自負する
逆に言えば余裕を知らない日本のサラリーマンなんかで勉強している者がいないのは当たり前だと思う
しかし 我々死にかけの老人が生涯学習するだけで終わっては馬鹿らしいし無駄だと 仲間の爺さんや行政の部局には真剣に訴えています
爺さんには最後にやるべきことがあるのでは またどんな死に方をするべきかを考えるべきで 考えれば考えるほど焦ってしまいます
その答えを教えてくれるのが石田梅岩であり陽明学です
いい仲間に恵まれ遠泳(吉野川10キロ)やマラソン大会を楽しむ
次にスイムバイクランのトライアスロンに嵌り 国内だけではなくサイパン・ホノルル・プーケットにも記録を残す
自慢は国際大会プーケットで 5歳刻みの所為でラッキーな年代別3位に入賞
高血圧や心肥大であっても 海外大会には自己責任で出場できるが 国内はごまかしの診断書作りに結構苦労する
ここでもプロクライマーや 羨ましい限りの嵌り方の山男に巡り合ったが そのいい人は昨年正月に滝谷で亡くなり マイクは多いに泣いて泣いた
これだけは仲間ができなかったが いつか京都もパリの大ブームのようになる夢は消えない
55までに身体を作り それからはカルチュアー欠乏の生活から脱却するために楽器をやろうとしたが忙しく手に付かずに終わる
カルチュアー面では図書館通いで10年間 年間200冊のノンフィクションをジャンルなしで読んで 全て簡単な読書メモを取り続けた
京都には芸術センターと称する若いアーティスト支援事業を旨とするアートセンターがあり 家からすぐなのでボランティアに関係なく浸っていて 良くも悪くもお互いに影響し合うまでになっています
市美術館のギャラリートークをさせて貰ったり 画廊さんでお世話になる方もできました
もうひとつの環境ボラは技術屋にとってぴったりの時流のボランティア先がいっぱいあり いい仲間に巡り合えるし 環境NPOの若い連中と事業企画したり輪講したりで 時事問題に直接タッチできる充実感がある
漫画ミュージアムや生き方探求館では ポップな文化の意味を考えたり教育行政の実態を知ったり オンブスマンの準備をしているような気にさせられながらやっています
社会学の先生とは月一の勉強会をして貰ったり 科学カフェ・哲学カフェ・坊主クラブ・イスラムの会など月例会で話し合いのできる楽しみに事欠きません
まだまだあるのですが兎に角目まぐるしく また色々の人いることを知ることになる
ライフワークという意味ではまだ何もつかみ切れていませんので 死に方を探していると言うことだけは間違いないそんな程度で 充実感はまだまだ少ない
100万が500万まで凹むのには短時間であっが 多いに苦しみ疲れた
その苦しみから抜け出ることができたのは それまでの人生を振り返った時に失敗こそ人生だとポジティブシンキングしたことであった
子供時から 振ったり振られたり 事故ったりたかられたり 色々あったことが自分の大事なサイズを決めていることを知って気が楽になる
同じ頃家内が買った塩漬け株でも同じ位損をし その後 家の買い替え差額でそれら以上の損となったが笑い飛ばせるようになっていた
最近の失敗は酩酊し前歯を折った今年の春のことですが 久し振りに結構堪えた
失敗こそ人生の勲章で 暫くすれば楽しい笑いごとになる
本当にそう言っていられるのはわが人生 たまたまのラッキーでしかないのかも知れないがこれまではこれで済んだ
やっぱりツイテいるのだと感謝する
プロフィールでお気付きのように ボヤキのマイクの捌け口としてHPを立ち上げました
難解で下手な文章に皆さん続かないようですが 偶にしつこい位の方がマイクを刺激してくれます
ナンバ走りの理論的検証については大学教授(今はスポーツ専門学校の校長)が我が家までやってきていただいたりしていますのでそこそこのものだと自負しています
メインキーワードは日本文化を最低にした我々元サラに対するアンチサラからくる懺悔と世直しです
戦後の自由教育で育った我々は自らの力でなく先祖の遺産を使い捨て破壊し 自己中であるばかりでなく他人や弱者を利用して這い上がっただけの醜い日本サラをマイクは嘆いてきた
自らもそうであったことに間違いだと気付き考えてきた
ちょうどアジア経済危機でマハティールがソロスに歯向っていた
デリバティブやマイクが失敗したことのある先物のバーチュアル性を多面的に理解しようと 本や講座や
色即是空のこの世の虚実を 何とか素人に見えるものにすべきとの思いがあるのは 愛読する雑誌ニュートンが 難解な科学をわかりやすく見せる社会的使命を感じさせるので 100人の村が経済や社会を分かり易く説くように バーチュアル経済や社会を見えるようにしたいと試行を重ねている
そのことを考え纏めようとしたページが虚数の世界です
次のページは古人のパワーです
世の中が発展し生き易くったのは確かだが 何処か不完全だし可笑しなところが多いし 失ったものも多い
何故そうなったのかを考えるために古人と今人の心と行動のパターンの違いを考えて見ようとした
人の能力は変わりなくとも思考や行動のパターンで偉人や凡人となる
それを色々体験体感しておきたいという思いそのもののページです
古人の歩行はナンバスタイル(手と足を同側同振りする)だというのが運動理論として流行っている
ジムのランニングマシンでしか走っていないが フォームを考え 疲れ具合を感ずるにはぴったりであり 色々なフォームで走りながら 効率的なフォームを探した
マイクが見つけたフォームは今流行りで有名な武道家甲野流でもなく 京大スポーツ理論学者のガニ股フォ
ナンバを餌にする学者さんまで非論理的であるのに疑問を持ち 私が物理屋であることから 高校物理レベルでしかないが結構ハイレベルな理論解析をして マイクのフォームの有効性を証明してきた
ナンバ学会ができて招待でもされることを夢見て まだまだ頑張るつもりです
このページを含めて夫々のページに掲示板があって 活発に論議させてもらっています
もう一つのマインドイノベーションのページは 懺悔と世直しを実現するにはどうしたらよいかを考え実行するメインページです
経済や社会のハードやソフトのイノベーションだけでは限界と充実度において欠陥がある
マインドから変えなければ そしてそのためには 自己中な利権や格差を明らかにしなければならい
それには自己中な抵抗勢力に立ち向かうという難しさがあるだけでなく 無関心な自己中愚民の立ち上が
日本には恥ずかしながら小さくてもよいのにその小さな可能性もないのだが あの厳しかったソ連で大きな無血革命がペレストロイカとしてなされた
ペレストロイカの前にグラスノスチを という言葉だけで実現したのはやっぱり理知的な国家である
色々の社会矛盾の中で差し当たりエコについて考える
ペット原料メーカーにいて リサイクルの裏の仕組みに疑問を持たなかったことに大いに懺悔し今は環境ボラをしながらクールにエコ論に徹する
そのためマイクはアンチエゴなエコロジストを自任しているので 非科学でしかないエコ信者に嫌われている
最後のページは雑感雑念を記録に残そうとしていますが アートとアーティストに関する想いを述べた
ボヤキのマイクで始まるが ボヤいて終わっては閻魔様が許して下さらない
まず懺悔しグラスノスチし 世直しペレストロイカをなす
難しいのは抵抗勢力でなく 幸せな自己中に育った愚民であり これは日本独特である
政治も経済も民主主義制度を利用して愚民を格差して温存させているのに 自己中の愚民は全く気付かないか知りたくないのです
江戸半ばに石田梅岩は実践の儒教である陽明学をベースにした石門心学で商人にモラルを説いた
アイフルやたけうちとか 格好悪い企業で有名になった京都を浄化するために 商工会議所が京都検定や百人一首事業ばかりに力を入れず 梅岩再考再来を願う企画をやって欲しいと当たっているところです
兎に角人の心を変えようなんてソクラテスもできなかった
女房子供に不満ばかり言って嫌われているようでは世間からそっぽを向かれるのは当たり前であるが それでもこれまでの自分がラッキーであったことに感謝し
今年はパソコンがウイルスにやられ 酔っ払って歯を折り 家内の大事な茶碗を割り 誰かに振られたり まるで厄病神に憑かれたようであるが コンテンポラリーダンスのワークショップを受け公演までさせてもらい 詩の朗読会を体験し ウクレレを仲間に一寸習い また毎日欠かさないエアロビクスと街中徘徊とイベント参加と仲間の誘いを待って飲む楽しみは変わらず続いている
学校同期友人に人事院総裁がいて 天下り制度を死守して頑張っている
昔 システムを一緒に開発した発注先のエンジニアは 一部上場会社を立ち上げて大分になるが 昨年はディープインパクトのオーナーとして多忙であった
ささやかで些細な暮らしのマイクであるが システム事業と素材事業の撤退での抵抗や アートセンターでの新聞記事になった竹土未事件での抵抗運動は 著名人や偉人の活動や成果に較べるもないが マイクの今のゴミ拾いに繋がっているのだと梅岩先生は慰めて下さっている様に思います
訪問者の少ないこのHPを御贔屓いただけるか分かりませんが グラスノスチな世界を そして陽明学再来を期待するマイクの独り言にお付き合い頂きまして有難うございました
最近は もう16年も嵌まっているエアロを 毎日欠かさず・・
毎日毎日・・懺悔を忘れて・・夜は般若に
そして菩薩を夢見ています
このプロフィールは 2007秋に 元会社研究所のOB会記念誌に載せたものをベースにしています
その後は・・・・