研究 ダンス論 と言うより 勉強 コンテンポラリーダンスとは

 

                     2011.7.11  雑感色々のページに戻る  HPのトップに戻る

 

   

 

私のダンス道」で マイクのダンス歴や 分からないままやっていることを話してきました

少しは自分のやっていることを思い返してみる必要があると思い 思いつくまま書き込みました

しかし 余りにも素人臭く恥ずかしい内容で 折角やっていることにもう少しプライドある態度が取れないものか

研究とは言えなくても 勉強した上で 自分のやっていることを自覚すべきと思いました

 

ダンスに嵌っているダンス仲間からそのようなことをお教え乞うことは 可能であっても時間が掛かる

そこで本を探したが クラシックバレー等ばかりで 中々図書館では見つからない

やっと一つ見つけた「どうせダンスなんか観ないんだろ!?激録コンテンポラリー・ダンス」乗越たかお NTT出版

これを明後日までに返却しないといけないので 慌ててこれを読みながら感想を簡単に纏め そのあと少しは自分なりに考えてみることにします

中々ユニークな書きっぷりで 勉強不足のマイクには教えられたことも多い

 

登場して4半世紀の中央ヨーロッパでは閉塞感があるが 世界的にはまだまだ元気なところがあるとか

世界から見た日本ダンス状況を ガラパゴス状況 コンクールのウインブルドン化等と論じている

ダンサーの苦悩する生活 怪我やギャランティ レアでナマな問題点と打開策を模索している

 

息切れ感のある欧米に比べれば 山海塾や勅使川原三郎等の活躍が示すように アニメやゲームと同根の文化的ポジションにあると言う

ただの「何でもあり」とは言っても 「切実だがまだ言語化されていないリアリティを抽出し それを視覚化するダンスと言う芸術的エリア」

フランスで盛り上がったのは70〜80年代 国の支援で「新しいダンス」になり 地方にも拡張する政策がとられた

金森穣が新潟にカンパニー設立したのはやっと2004年

60年代のアメリカにも反権威としてのヌーベルダンスの基礎が生まれ 日本の寺山修二・唐十郎のアングラとも同じころ 土方巽・大野一雄の舞踏が生まれる

舞踏が世界に出るのは80年で 86年勅使川原がバニョレで入賞し 輸入品にして習い事であったダンスとは違うダンスが日本にも生まれ 日本のコンテンポラリーダンス元年となったとする

バブルの冠公演で欧米の盛り上がりを目にすることも多くなり 美しい動きとこれがダンスかと言う何でもありが認知される

持って生まれた自分の体でしか踊れないものを発見することと言うコンセプトが浸透し 公演とワークショップの時代が来る

対話で創り上げる振付も定着する

分からなくていい 面白ければいい 踊らなくてもいい 場所もどこでも・・・・・

ダンスで食えなくては 酒は飲め・人は会え・文化は混ざれ・・・・

コンクールはいるか 繊細に作りタフに上演しろ・・・

フリンジこそ光る 獣道を歩け 芸術なんておいておけ・・・・

セリフを動きに移す 分かるかどうかは分からない 語りを超えて ドリフで行くか真面目にかおフランスか・・・・

無力感は敵 敵と戦え 振りが出来たら構成を 時代の空気をこそ撃て・・・・

 

飛ばし読みしかできなかった

歴史と現状とこれからを激録激論している

公演と振付師とダンサーの活動を広く評論している

勉強になったと言うより勉強しなければならないとしっかり思った

マイクのダンスが とてもダンスと言えるものではないが まだまだ研鑚しなければ恥ずかしいものだと言う事を認識した

一人趣味ではなく 趣味であっても人前でするにはそれなりのプロ意識があって当たり前のように思う

まだまだ勉強しようと書き始めたのですが とても簡単でないことが分かったのでもう少し勉強してからにしようと思います

こんなことが分かっただけでも やっていることに対して少しは真摯に考えるでしょうし これから見る他のダンス公演にも見る目や学ぶことが変わってくるように思いました

今のところは恥ずかしながらこれ位にしておきます

失礼しました

 

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追記 2011.9.28

このページは出だしの勢いも何のそので 書き始めるとすっかり自信を失い ダンス論を語る資格がこれからもないと悟り切ってしまい 中途半端で終わったのですが この度 縁あって 鳥取の 鳥の劇場演劇祭に招かれて とてもとてもできない体験をし ダンスを真剣に考える機会を得たので 興奮覚めぬうちに プロダンス論をもう一度考える気持ちになりました

 

鳥の劇場演劇祭は 鳥取市の市町村合併で鳥取市にはなったが 実質 4500人のちいさな鹿野町に 東京から住みついた演劇企画者の中島さんが立ち上げて 4回目というものです

この小さな村の廃校と 役所の元町会議場を 小劇場にしたコミュニティ性あふれるフェスティバルですが 土日祝の3週間に 海外の5公演含め 15公演招待するなど そのレベルの高さに驚くもので また我々が公演をしてもっと驚いたことは 観客の反応の凄さでした

 

マイクたちの公演は 京都芸術センター企画のダンスフォーオール(4世代の コミュニティーダンス)の おやじグループのメンバーで ロスホコスなるカンパニーを立ち上げ JCDNの 推奨と支援で 演劇祭に参加できた

演劇祭の中でのコミュニティーダンスは 地元の トリットなるカンパニーが JCDNの企画で3年前に立ちあがっていて 彼等は毎回京都の振付師の演出でやっている

 

 

 

JCDNの博打なのか 我々ロスホコスのおやじのパワーに期待し 7人の親爺たちだけで作ってみよと任された

自信過剰の親爺たちは喜んでこれを受けて 今年2011年の7月より 9月17日18日の公演に向け 木曜日の夜しか集まれない現役のおっさん達の練習が始まる

おっさん達の個性には強弱があって リーダーも役割分担も決めず 統率力のあるようなないような状態が2週前まで続いた

 

3週前の一回目の試演会の時は 全員が恥ずかしい出来具合と自覚していたのにも拘わらず JCDNは 時間がカバーするであろうとみてくれたのか 余りお叱りはなかった

本番1週前の 二回目の試演会で 色々の人に見て貰ったが そこでは多くの人にボロ滓の言葉を浴びせられた

これには全員参ってしまい 当初からそのような時の応援に考えていた振付演出家に 遠巻きの条件で立ち会って貰った

公演日まで後2回の練習日しかなく その指示指導がだんだん厳しくなり JCDNも心配しだして大声で怒鳴られることしきりできつかった

鳥取舞台でのゲネプロになっても完成度低く 初回公演の後もダメ押しどころか振付変更など それはそれは厳しかったがそれに耐えるしかなかった

ともかく2回の公演を終え ほっとした所で 皆が公演の成功を確信できる程 拍手や色々の人からの温かい声を聞くことができた

 

ゲネプロの マイクの部分は 次のユーチューブで見られます

http://www.youtube.com/user/loshokos

これはloshokosGP GP2 に続くGP3の部分ですので 探して初めから通して見てください

マイクが床でソロストリートダンス

オープニングパーティや トリットとの交流会など 4日間のドサ回りの楽しさは もう役者稼業をやめられなくする

マイクは 実は ダンス公演好きとは言えないが ドサ回りは好きで好きで 堪らなく好きだ

ダンス公演は集団公演で カンパニーとしての統率と それに従う義務や責任があります

しがないサラリーマンだったとは言え 集団生活に慣れていないマイクには かなりのストレスとなることがある

マイクはダンスだけなら ジムのスタジオで 音楽ガンガンの中で インストラクターの真似をするだけでストレスが解消され 20年も楽しんできた

つまり マイクははっきり言って エアロ依存症ですが ジムのエアロは全くストレスとは無関係などころか ストレス解消のための依存です

しかしカンパニーダンスは 有料無料ステージに係わらず オーディエンスに対する責任がある

見ごたえのある作品を創り上げる責任があります

学芸会とは違って 自己満足では済まない内容と結果をこなす義務と責任があるのです

 

この点 ダンス公演の企画者 演出家 振付師という専門職は そのような能力と責任感を持つプロである

マイク達は素人集団ダンサーでしかないが この者達を使って作品を創り上げるには相当の賭けを覚悟したに違いない

その様子は 本番が近付くと だんだん丸見えになってくる

激しく厳しい 罵声に近い指示が 企画者JCDNと振付師から一杯発せられた

それはすごくストレスになったことは間違いない

しかもそれは我々ダンサーにばかりにではなく 企画者と振付師の方が強かったであろうと思う

それはつまり職業的責任の重さの違いによるものであろう

素人ダンサーに責任がどの程度であったかを語ることは止めておきますが プロとは比較にならないことは間違いない

 

マイクはこれまでの公演で 特に去年2010.8メキシコ公演で 若いがプロのクラシックダンサー5人と 素人おっさんダンサー二人が共演した

この時のプロダンサーの 公演前の体調つくりに掛ける時間と内容に ビックリした

昔 大阪室内世界陸上で 世界記録のロシアのブブカが棒高跳びの午後4時の本番まで 11時ごろから現場で調整をし続けるのを目の当たり見てびっくりしたことがある

 

素人ダンサーにとっても それを理解できない訳ではないが 慣れない親爺には相当こたえる

親爺7人は 普段は一匹狼であったり 亭主関白であったり 部下を抱えたサラリーマンである

集団行動をこなしてきたスポーツマンと謂えどもこれに戸惑うか 或いは集団の役割と責任を理解しこれに難なく耐えられたのか 人様々であったろうと今更に思う

 

マイクにとって このストレスとは一寸別のストレスもあった

今回の公演の演出と振付は 素人おっさん7人に任されたが 創作の過程で 各人の振りのアイデアを提案することになり マイクは 日頃のジムスタジオでのストリートダンスの振りをやってみた

ユーチューブにそれがあるhttp://www.youtube.com/watch?v=plqnzIy1oBI

 

それを本番でソロをやることになったのですが へヴィ・Dの ラップ「シスター・シスター」で 3分も踊ると 自分ながら飽きてくる

それを本番でやるには変化をつけるべく ヒップホップにバリエーションを付けて踊ったが 企画者と振付師からは締りなく見えたので ハードな動きに替えるように 目一杯の振りまわしをするコリオを指示された

ラップの音楽ではひとりでに体は乗りの軽いヒップホップになるが この場の見せ場として ヘビメタのような力一杯振り回す動きを強いられ それでは音と体の違和感に 心身がストレスを覚えた

それでもマイクはそれに応えるしかなかった

当たり前であるし マイクはそれをやろうとした

 

そのことは理解し 指示されることに対するストレスは何もなく ゲネプロでは従順に従った

しかし 本番は心身のストレスを感じながらも踊ることにしたが それでも踊り始めるとオーディエンスもラップの音とマイクの動きに親爺のヒップホップの面白さを感じているのがマイクには分かったので 部分々々にそれらしく踊って反応を感じてしまい 自己満足してしまった

これは造反であるが ここいらが素人ダンサー丸出しなのです

 

素人ダンサーであるのに ダンサーとしてのプライドとして やりたいようにやりたいとゴネルものもいた

実はマイクもそれに近かったので 色々なシーンで役を演じてみたくなって ついやってしまうと それらしく演ずることを何時も振付師から否定される

言われた通りの動きをそれらしく演じたつもりでも 素人がわざとらしくすることは却って下手を丸出しにすることに等しいからであるらしい

それでも素人は役者のようにやりたがるし マイクも時々やってしまうのが止められない

 

ここにダンス論として考えたいポイントがある

ダンスとは何を演ずるのか

演劇ではないので 忠実で具体的な行動の表現・再現ではなく 抽象的な表現で簡素に 或いはオーバーな表現の時もあるが 抽象的にセレクトされた誇張的な表現なのではないかと思う

シンプルな方が その振りは美しく見えるのでしょうか

誇張さればその美しさも誇張されるような気がする

そのようにして身体は美しく見える

 

演劇には言葉があり 役を演じている事が分かって当たり前です

しかしダンスは歌詞のない音楽のように 想像しイメージさせることしかできない

だから演じてはいけない

感性を如何に刺激できるかが大事で 見え透いた言葉や動きは却ってマイナスなのです

 

ダンスとは 特にコンテンポラリーダンスは身体表現であるとい言葉をよく聞く

本当にそうであろうか

何かを表現しようとしているのだろうか

そうしようとしている者やダンスであることもあるには違いないが そのことがどのような意味を持ち ダンスの必須要件かどうかは分からない

具体的な表現をするのではなく 抽象的表現で オーディエンスに感じさせ考えさせる事が使命なのでしょうか

 

親爺たちは バラバラにソロを創り上げ それを構成して全体を創り上げた

それだけであったかも知れないが それでも何とか作品になったように思う

しかしそれでいいのか 何が云いたいのか ダンスで何を表現したかったのか

そんなことはどうでもいいと云う者と それがなければ作品ではないと云う者がいた

そしてそのような談義を 練習の初めから最後まで続けながらの創作活動であった

それが親爺らしいところであったかも知れない

 

演出家振付家によってそのような考え方が色々と別れる現実を ダンス公演や振付家を色々知っているもの達が持論を得意げに云う

コンセプトを元に作品を作るコリオグラファーと コリオを作りながらコンセプトを後付けで作ってしまうコリオグラファーがいると云う

しかしどちらにせよコンセプトつまり ダンスで何を訴えたいのかが必要だと云う事には違いない

コンセプトレスという作品があるかどうかまでは議論しないが ないことは何かさびしい

創る側 見せる側にコンセプトがあっても オーディエンス側にそれが伝わるかどうかは全く保障されていない

作品に色々あるように オーディエンスにも色々あるので 定義や規定は出来ないところが 芸術のいい加減で且つ救いでもある

 

そんなこんなで ロスホコスはバラバラのままに演出振付演者を自らこなして出来上がったが 肝心のコンセプトが その内出来上がるだろうと云う筈のコンセプトは最後まで出来た様子はない

それでも見応えのあるものになったのは 素人ながら 詰まり振りは美しいとは言えないが 真剣に作った 演じたと云う事が分かる作品になっただけのことでしょう

企画者と振付家は それを見越して そこに期待を寄せていたので 厳しく指示指導しながら最後を仕上げた

コンセプトまで面倒を見切れなかったようにもみえるが プロとしてそれはしっかり作っていたとは思う

 

コンセプトは観るものが感じ作るものだと云う考えもある

無責任なようでも芸術一般的な 曖昧で 多様で 詐欺師が許される体質を孕んでいる

こんな素人ダンスには そんな考えは 只の無責任と言っておく方がいいのですが 結局そのままコンセプトレスで本番を迎えてしまった

 

親爺たちの素人にして初めての創作での葛藤は ステージダンスに コンセプトが要るか コンセプトがなくて 金の取れる作品になり得るか

コンセプトが要るにしても コンセプトをベースに創作すべきか コンセプトなしで創作は可能か

毎回同じような議論からスターする練習であったが 最後まで全員が納得するような結論はなかった

マイクには 成り行きで創り上げても コンセプトは後付けで出来上がると無理に納得するしかなかった

 

マイクは ラップでヒップホップを踊るしかできないので やって見せたらそれをやれと云う事になった

しかしやってみると ヒップホップは只のラップに合わせた体の動きを楽しむだけで 何かを表現するものではないので ステージダンスとしてやっていても何のための何を表現すべきか分からずやっていても 次第にストレスがたまる

何かキーワードを貰って 或いは自分で設定して踊ればいいいのだが 作品そのもののコンセプトがないのでそれも思いつかない

 

しかしコンセプトを楽しむのが演劇やダンスだと思いたくなるマイクだが とは言え コンセプトレスでも楽しければいいとも思える

それには素人なりに 真剣であればそれだけで見世物になるというが それではやっぱり学芸会なのではないだろうかとも思ってしまう

 

演ずるのは演劇であって ダンスは演じてはならない

白々しく わざとらしくなり 下手丸出しに見えるだけで 押し付けがましいのが演劇かもしれない

ナチュラルに 美しく それらしくない何かを 押し付けでなく オーディエンスに 身体表現と錯覚させて 感覚させ 考えさせる

そうかと思うと 激しく真剣に 或いは何気なく 見えないくらいにさらっと

 

こんな風に考えるとマイクには なんだか何がダンスなのか 分かったようでわからないと云うのが今回の結論になる

またまたこれくらいにして何時かもう少し考え直してみようと思う気になってきましたのですが これくらいにしておきます

 

最後に 創作活動 特に集団制作に於いてのストレスについて 一寸考えてみる

ストレスはエネルギーでもある

振付家からの指示も 演じながら感ずる違和感も ストレスになる

それがよりよい方向に進むための方向性のある つまりベクトルの見えるストレスなら ストレスを吸収することで成長し満足が必ず得られる

しかしベクトルがマイナスの方向に向いていることもあろう

そのような時はそれをスルッと避けてしまう等して 除けてしまえばいい

マイクはそのようなストレスを 上手くこなし吸収し ストレスを楽しむ マゾタイプな人間です

 

今回の最高に満足したダンスの本番公演以上に 練習創作の集団行動は マイクにとって色々の体験になり 久し振りに興奮しています

 

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追記 2017.12.28

マイクが2007年に初めての公演ダンスを経験し それから次々と色々考えながら舞台を楽しんで来ました

そのマイクのダンスへの思いを 素人なりに 私のダンス道研究ダンス論のページにしたのは2011年でした

 

KDEとロスホコスの二つの仲間に恵まれて あれから随分ダンスに嵌ってしまい 公演を重ねた様子を 私のダンス歴ダンス歴2のページに記しました

 

今回 2017.12.26に モノクロームサーカスの合田企画が毎月公演する「トライアル」@一乗寺LUCE にて 合田・香子さんと他二人に続き マイクが20分のソロ公演をする機会がった

エンジョイダンサー77才

おやじダンサーカンパニー「ロスホコス」所属

京都ダンスイクスチェンジ「KDE」にも所属

@落語「寿限無」をコンテンポラリー狂言素踊りで 5分 「チョリ童子」公演ファンのマイクは パクリをさせて貰いました

Aストリートダンス ラップ曲(4分30秒)で     ハウスに嵌っているマイクは 手振りを加えて目立たせようと工夫

Bアカペラで 「恋人よ」を歌いながら ジャズダンス5分  カラオケでシンコペーションするマイクは ダンスもシンコペーションこそと

Cアカペラで 「夢芝居」を歌いながら 日舞し直ぐに暗転 何故こんなトライアルをしたのか 暗闇でダンスを感じて頂く理由を5分の講釈

恥知らずな老人が 四つも下手なトライアルを

それでも主催者から トライアル企画の主旨にピッタリなことで喜んでいただけました

 

この4番目の 暗闇で踊ることを考え付いたのは 114日に 尊敬するアーティストでありギャラリーオーナでもある岡本光博さんが 改装中の京都市美の暗闇で アートを感じて貰うワークショップをされるチラシを見て 暗闇でダンスをするアイデアを思いつき 岡本さんにパクリの許可を得た

そして10月に開業した 懐中電灯で本を探す位にしたいと言われる程の薄暗い「弱法師よろぼし」と看板する古本屋のオーナーさんに 何故そうされるかをお聞きした

研究者らしきその方は 近現代の文化は 光に因って駄目になったと云う つまり観た目で思考が終わり 創造が発展し難くなると

加えて 伝統芸能は 琵琶・三味線・琴など 盲によって発展したとも また踊りまでもがと

(「弱法師」とは 間違って勘当され 乞食になり盲になってしまった息子俊徳丸を 親が四天王寺で7日間の施行の末巡り合う有名な謡曲)

それを聴いて 暗闇で踊ることを決めたマイクは 如何いう仕掛けで踊るかを 夜な夜な布団の中で考えました

色々アイデアを思いつき また出かけたギャラリーなどでも利用したらと思う仕掛けに巡り合い 楽しむことが一杯あった

しかしただ踊るだけでは 何のためにそうするのかを伝えることはそう簡単ではない

ダンスの振りを感じて貰うことより 暗黒ダンスの意味を考え マイクの思いを伝えることの方が今の段階では大事だと結論し 講釈を!

 

また ダンスとは ダンサーが踊るだけではなく オーディエンスも踊ることを忘れてはいけないのではないか

明るいと 見た目だけで終わるが 見難い方が感覚をフルに使い 刺激や想像力が豊かに繋がる

そして ダンサーとオーディエンスの感覚や振りの違いは 夫々のパーソナリティやアイデンテテイなのだと気付く

アートはコミニュケーションツールでもあるのです

マイクは コンサートを指揮者にでもなったつもりで聴く

ダンスも 他のオーディエンスの邪魔にならないように 股間で フィンガーダンスしながら見ることがある

しかし 他のオーディエンスの理解があるなら 他のオーディエンス同志のダイバーシティをも楽しめるのです

このような発想は マイクがアート鑑賞でいつも考えていることと重なっているのです

 

そんな暗黒ダンスの可能性を マイクは訴えようとしただけですが このままでは恥知らずな老人ダンスでしかなかったのではと・・・・

 

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