閻魔・地獄の時代を待ち望む

                2010.8.3 古人のパワーのページに戻る トップページに戻る

 

マイクは閻魔さんファンです

その理由を説明する前に 先ず京都の閻魔さんを調べてみます

 

古今和歌集歌人 小野篁(たかむら)が 昼は朝廷に仕え夜は冥界に通ったと言う井戸がある六道珍皇寺

8710日は精霊を迎える「六道まいり」に10万人が訪れる

その六道珍皇寺閻魔堂には閻魔大王座像があります

京都の三大念佛狂言のひとつを5月に催す千本ゑんま堂 ここには当然閻魔さんが祭られている

仏光寺烏丸西に 町家風情の大人の居酒屋「閻魔堂」があるが これは無視

 

しかし何と言ってもマイクのお気に入りは 大阪にあります

町ぐるみ博物館 大阪平野の全興寺地獄堂 http://www.senkouji.net/jigokudo/jigokudo.html

   

商店街全体が博物館で楽しめる町だが 中でも閻魔堂はお化け屋敷の様に子供が楽しめる

これを初めて見たとき おひがし・おにし本願寺にこれを真似して作って欲しいと強く思った

これこそ絶対に今の世の中に何よりも大事で有効だと思って 機会ある毎に気持ちを誰彼となく伝えた

坊さんにも話したことがあるが 少しの反応で終わってしまっている

何とか実現したいと言う気持ちをずっと持ったままです

 

さて マイクが閻魔さんファンであることは マイクが宗教観として仏教ファンでしかないと言っていることと同じです

仏教の社会的必要性を切実に感じているのですが 宗教を単純に信じているとは正直言えないマイクです

戦後 宗教心も倫理観も捨ててしまった日本人に 今どうしようもない社会的結果が現れています

もう遅いかも知れないのですが 仏教やモラルの再確立の必要性を強く感じます

社会的位置づけを考え 如何あるべきかを思案しても その社会的浸透を願い祈るだけしかできないマイクです

しかも祈りだけでは何のならないと決め込んでいますし 詰まりファンでしかないのです

 

宗教が無い社会であっても 法律がモラルを確立し宗教に代わっているかも知れません

法律の不完全性を宗教が補える訳でもありません

ならば宗教の役割は何か

法はモラルを示し 裁きもします 復讐を許さないのが法律

閻魔さんファンです

宗教は神が裁き 神が復讐を担う 詰まり罰をあてる

宗教は法律発生以前の時代の産物・文化です

自由平等博愛の近代社会が人を解放した       

罰や復讐のある社会

神からも

自己中で不完全な人間が モラルを失い 自由に振舞い 歪が生まれる

法律が神に代わって裁く そんな近現代

しかし法律はまだまだ未完成なシステムです 社会に歪が残るどころか歪を増すことも

 

やっぱり未完成でしかないストレス社会を何かで補正コントロールされなければ

それがやっぱり社会に共通共感される宗教でしかない

それにはそんな難しい信仰ではなく ファンであるかないかをお互いに知り合うことでいい

宗教ファン同志の繋がった社会 それを実現したい

 

その宗教もできるだけ簡単な 詰まり地獄や閻魔さんを信ずるだけの ファン倶楽部でいい

子供の時に 本願寺閻魔堂で地獄ゲームを楽しむ ゲームファン 閻魔ファンになる

それを通して仏教ファンになる

 

こんなところでしょうか これ以上難しく考えることもなさそう

シンプルに生きられる社会を羨望するマイクのシンプルな思いです

 

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