私のバランス道 マイクの場当たりで その場限りの 安易に迎合する生き方を弁護する

   2011.4.26  古人のパワーに戻る トップページに戻る

 

失敗の勧めやら 秘密を楽しめとか またそれをばらせとか 言いたい放題の老人道を先に語った

これをマイクの老人道 つまり老人の弁えるべき道として 老人道シリーズの初めにした

それに続いて 人生諦めが大事諦める老人道と言いながら 一方で闘う事なければ地獄行きだ闘う老人道と息巻いたページが続いた

 

諦めるべきか 諦めないで最後まで闘うべきか ではどちらが本物なのか

このまま言いっ放しでは マイクのいい加減さを指摘されてもしょうがない

マイクはいい加減な場当たり主義の面が無い訳ではない

だからと言って二つのページをいい加減に書いた訳ではありません

実際に どちらも大切で どちらでもあったり どちらでもないようなケースが現実なのです

 

使い分けると言ったら 場当たりと言われるでしょうし 無責任にもなる

しかし責任をはっきりさせるために使い分けることもあるでしょう

ぶつかってみたり逃げてみたり よくあることです

押したり引いたり

 

失敗を恐れるか止めるか ばらすか秘密にすべきか リスクに掛けるべきか それらをクールに考えると 悲観論か楽観論かになるように思う

達観できるか 諦観するか

どっちにしてもそれは賭けであり 個々人の責任に帰するのです

誰の所為でもないし 誰かの所為にしてはいけないのです

 

それを運命と言うのかも知れません

運命で世の中は回っているのです

運は回り転がるのです

それを運転と言うらしい

 

車の運転も 原発の運転も 事故になるのは運の転がりであると 小説家花村満月が言った

運命と知って諦観するか 運命に逆らって闘うか

生き方にはどちらかしかない

それを決めるのが自由と言う人生の宝です

自己を覚悟で 車や原発を運転するかしないか それが自由で宝だと

 

その宝を遣うのは必ずしも容易ではない

楽しく使うか 苦労を避けて使わないか

これも勝手でいいのです

玉村は サルトルの「人は自由の刑に処せられている」を取り上げ 運を転がす原発も車も所詮個人の自由の問題だと言う

 

但し自由の使い方ばかりか その選択も簡単でない

それでもその難しさを救うのは それらを比較してみることでしかありません

つまりバランスを掴みとることで その優位性を判断することで決めるのです

どちらに転がるか

 

 

何かとマイクは楽天的な機転で上手くこなして やり過ごすことが多い

それは 科学的で客観的判断に慣れているからだと思っています

勘に自信があるからです

何かとバランスを読み取るような癖もあるのです

 

それで結果的に 場当たり的であったり 主体性が無く誰にでも迎合することも多いかも知れない

それがまた結果的に楽天的だと言われてもそうかもしれない

自由と言う宝物を大切にすれば いい加減にも見られる そうなるのです

 

周りを見て生きる

バランスを掴む

変わり身を考えて先ずどちらかを選ぶ

やって駄目なら乗り換える

途中で諦めるか最後まで諦めないか 早目に判断するに越したことはない

それ位の事で すべてが解決するのではないでしょうか

こんな楽天の勧めは 快楽主義者エピクロス」の教えに嵌ったマイクだからなのです

 

 

とは言え本当は 未練がましい男なのです

些細なことにも拘る男なのです

そのため選択判断能力に欠ける 未練たらしい男なのです

なんでも捨てられない そんな未練も 生命の源ではないかと思う事がありました

私の自死道」につて考えていたときに思いついたことですが 人が簡単に死ねないのは 未練を断ち切る難しさにあるのです

そのことを「私の未練道」としてマイクの未練がましさをグラスノスチしてみたいと思っています

 

古人のパワーに戻る トップページに戻る

 

inserted by FC2 system