アートは修業と修行の・・     トップに戻る   雑感雑念のページに戻る

アーティストは修行僧

 
BD04956_河原乞食か太鼓持ちも  2005・4.23

 

マイクは 自分にそう思わせるだけのことがあった訳ではないのですが 子供の頃の絵心を親戚や先生や誰かに褒めちぎられたりした事はないでもなかった

だからでもないが ただのサラリーマンになってしまったときにも 少しはその気があって それが災いしてエコノミックアニマルの世界では 並みのサラリーマンとしては付いて行けないはぐれモノ そんな充実感のない野暮な40年を続けてしまった

 

それでも今 サラリーマンであったことの恩恵をビッシリ受けての楽々の完全年金生活をしていながら その屈辱のサラリーマンとは縁が切れ それだけでは つまり縁を切るだけでは済まされないほどサラリーマンを問題に思っているマイクは この自らもそうであったビジネスマンとはほど遠い日本特有のサラリーマンを糾弾するなり何かをしなければと このHPを立ち上げたのです

 

この思いは主に別のページで表していきますが ここでも世直しをライフワークに しかし何ができるか分からない今ではありますが そのうち並みのサラリーマンでしかなかったことの懺悔と罪滅ぼしの為に するべきことを見つけ それを実践したく思っています

 

その一つの具体的な目標が少し見えてきたものとして 今はゴミ拾いに専念していますが 直ぐできる事としてほかに アートを力づけたいと思っています

ボランティアとして ただギャラリー監視のお手伝いをしているだけの京都芸術センターでの活動ですが それでも若い作家さんと接する機会が多く 現代アートや 作家さんの仕事について考える事も多く 彼等を面白くも 楽しくも 不思議に思う事も多い

何しろサラリーマンで生きてきた私の世界とは違う 真似できない別世界のギャンブラーのような創造仕事人たち

羨ましいかと言えば羨ましいが 誰にでもできるわけではない 不思議な人達

 

このような人たちによって世界が維持できているのではないかと思わせる新聞コラムが最近あった

働き蟻は蟻全体の30%でしかないと言う

その働き蟻ばかりを捕まえて群を作り直しても 30%しか働き蟻として行列をつくることをしない

残りは新しい道を探し 新しい餌を探し 多雑なリスクを避ける可能性に賭けて 気ままとも思える浮遊行動をしている

 

それらが全て 蟻のアーティストである筈もないが 何割かはそうであり 何割かはフィールドワークする科学者であり 冒険者がいて そんな蟻が70%もいる世界だと思う

このルールが何億年もの蟻の種の保存則となっているのでしょう

人にもこれ位のルールがあった筈だが 世界でも戦後の日本にしかいない特殊なサラリーマンと言う働き蟻が異常に蔓延ってしまって 創造性や文化力やモラルを失い エコノミックにしか価値基準を見出せなくなってしまった日本

 

この事実を造ってしまった元サラリーマンは懺悔し 罪滅ぼしをすべきと思う

懺悔だけでは許される筈なく できることを直ぐに実践せねばならない それが世直し

マイクはささやかであるがそのほんの少しをアートの力を信じ ささやかでもやれることのあるのを感じている

 

しかし何しろ素人の独善である

ここにその思いを記して 叱正を受けて 少しでも間違いの少ない罪滅ぼしをしたい

その思いの原点として マイクのアート論を記す事で 叱咤ご指導を待ちするものです

 

前置きが長くなりすぎた

マイクのアート修行論は前書きほど長くは続かない

簡単に話してみます

 

芸人は河原乞食と呼ばれていた

私の親戚には その類が何人かいる またはいた

アーティストらしきものはいない

今は河原乞食も錬金術に成功し 照明を浴びて 一部の成功者はスターと呼ばれているが 昔は蔑視されて・・・

 

アーティストの定義はさておいて アーティストは 芸人とは違う仕事人と見るべきかもしれないのだが 芸術家と職人を差別するような無粋は止めておきたいので 広い意味の同じアーティストぐらいにして つまり河原乞食との類似の人類ぐらいにしておくべきだと思っている

でも何だか乞食は失礼かなと思い 考えついたのが修行僧です

 

仏教を起源とする念仏踊りが河原芝居や歌舞伎となったように 河原乞食もアーティストもお坊さんと同じと見ていいとマイクは考えている

お経を唱え 念仏や踊りや仏像作品によって 人生の また世界の在り様と あるべき姿を教え訴えようとしているものです

釈迦やキリストの教えをベースにしている宗教ですが アートは宗教の枠にこだわらず 今様の世相や思想や快楽にわたって広く凡人に伝えようとする哲学思想であり 画家や芸人や詩人などのアーティストの姿で 自らを宗祖或いは修行僧としてその道やヒントを説こうとするものでしょう

 

アーティストの作品は作家の創造したお経であり 見る者聞く者にお経と同じに有難く思われる事がなくてはアーティストではないでしょう

アートにはお経のような有難味がなくてはならないとマイクは思っています

たとえ自分だけの為の修行であっても 誰かにそう思われてこそ 趣味や自己中ではない 有難いお経や説法でありうると思います

 

釈迦は修行僧が自立する為の生き方として四依(しえ)と言う基本原理を確立し その一つに托鉢(乞食こつじき)を生き方として説いている

市井の民に受け入れられてこそ修行僧として生きていく意味があるとしている

アーティストもその若い時期は修行僧と同じく 何かにパラサイトして生きるしかない

親であれ配偶者であれ それで生きていけるとしても 少ないお布施でしかないかもしれないが市井の民を無視しては修行僧と言えない

 

いずれ修行僧も市井に認められ パトロンやファンを多く得て生臭僧侶となったとしても このことを忘れてはいけない

僧侶の説法や修行僧の修行に 俗人は有難味を授かり崇め お布施でそれを表現して応える

アーティストも自らの説法や修行を崇められるべく作品にして唱える

お布施をコミュニケーションとして 何を求めているのかをアーティストも知る

 

お経は サンスクリットでもなく 漢語でもない 理解できる 或いはイメージさせることの出来る またはヒントでもただのエンタメでもいいが それはアーティストの自己満足のためだけのものではないお布施を求める作品であるべきです

勿論全ての愚民の為のものではない

ほんの一握りであっても 崇高な思いであって 悩める人類の為なら尊敬に値する

 

作品を作るだけでなく 双方向を促進する為の工夫をもアーティストは怠ってはならない

アーティストが何を見て何を思い何に修行し何を語り 誰にどれほど役に立っているか

そのようにアートを見ることは興醒めでしょうか

 

長くなりましたので何となく気になることを キーワードだけを並べておき 一休みします

 

もっとクリティサイズとディフェンスをすべきアートの世界 ビジネスマンとしてのアーティスト

アートマネージャー セルフプロモーター セルフプレゼンテーション カスタマーズサティスフィケーション

現代アート後進国と地区 日本と京都 保守後進性の結果としての日本画の国際的消滅

古典天国 リッチな財産 自負心 保守性 危機感欠如

コミュニティアート パブリックアート アートの社会性 生活アート 愚民の為のアート 在野の魅力 親近性

在家 在野のアーティスト 在家のアーティストも修験する

愚民凡人平民 民主主義も独裁主義も愚民を利用して成り立つ 愚民主義なくして救われない

愚アーティストに修行を 自己中 趣味の 詐欺師としての

完成品僧侶 生臭よりも 未完成修行僧の魅力 生臭アート 純アート 未完成アート 可能性

修業なくても修行する僧 修業で有難味が見えるアートに

お公家 箱物 行政 市井 スポンサー パトロン メセナ フィランソロピー

アート力 文化力

双方向アート 感の交流 知の交換

感性アート 抽象 具象 イメージ 言語 非言語 音学 歌 画賛 比喩

アーティストの心の鏡を通した虚像のアート

大乗アート 小乗アート 大脳アート 小脳アート

アートのゴミ ゴミのアート

現代アート コンテンポラリーアート 今様アート 何でもアート エンタメアート

テンポラリーなコンテンポラリーアート

行政アートセンター パブリックギャラリーミュージアムの 愚民への責務

箱物 お寺 行政 協会 教授 僧侶

プライベートギャラリーのフィランソロピーに 行政の支援を

ギャラリートーク アーティスト アートマネージャーの責務

作品に顔写真を

お布施 投銭 チップ ギャラリーに賽銭箱 御代は見てのお帰り お心付けで 入場料1万円は税金から頂きましたから

フライヤーを野暮に 自分をリリース

ギャラリーツアーを修行僧の托鉢として

子供達に托鉢出前を

 

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